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十一話 流星の女神(美知子の妖怪捕物帳・弐拾弐)

俺は晴讀社せいどくしゃ永峯ながみね社長に連れられて編集室を出ると、近くの喫茶店に入った。


「何でも頼みなさい」と言ってくれたので、いつも通りホットコーヒーを注文する。


「それで原稿の手配は?」と聞いてきたので、


「予定通りマンガの評論はマンガが大好きで、マンガ編集部に就職しようとしている知り合いの大学生に頼みました。テレビマンガについては、その人の知り合いで詳しい方に頼みました。お二人とも筋金入りのマニアで、弁舌を振るおうとするのを抑えるのが大変でしたが、一週間以内に原稿を書いてくれることを確約してくれました」と報告した。


「そうか、そんなマニアがいるのなら、君の言うサブカルチャー専門雑誌も買い手がいるかもな」


「それで、原稿料はどうされますか?お二人には、まだ雑誌が発刊されるか決まっていないので、出せないかもしれないとは言っておきましたが」


「雑誌に掲載することが決まれば所定の原稿料は払う。内容によるけどな。・・・原稿を預かって力作だと俺が思うほどなら、雑誌掲載の前に多少の謝礼は払うつもりだよ」


「そうですか。頼んだ手前、そう言ってもらえて助かります」」


「それでは一週間後に、原稿を受け取ったら俺を訪ねてもらおうか。だいたいあの机に座っているからな」


「わかりました」


「ところで君に相談したいことなんだが・・・」と永峯ながみね社長が言い出した。


「不可思議な現象の謎解きですか?」


「うむ、聞いてもらえるかな?」


「謎が解けるかわかりませんが、聞かせていただけますか」と俺は答えた。


「・・・実はもう何年も前の話だが、旅行で○○県の□□海岸に行ったことがある。そこは断崖絶壁の海岸で、観光名所であるとともに自殺の名所でもあるんだ」


「・・・話に聞いたことはあります」


「俺はもちろん観光目的で、海側にせり出した崖っぷちに立って景色を眺めていたんだ。日が暮れかかっていて、西の空は赤紫色に輝き、対照的に東の空は暗くなってきた時分だったな。俺が立っている崖の東側に同じような崖が幾重にも海側にせり出していたんだが、隣の少し高い崖のてっぺんから女が飛び降りたんだ」


「え、飛び降り自殺ですか!?」と俺は驚いて聞き返した。


「そうだと思う」


「それでどうされましたか?」


「女は海に落ちたようだ。もちろん俺には助けられないから、警察に電話しようと思って急いで人家のある方に戻った。ほかには誰もいなかった」


「近くに電話はなかったんですね?」


「そうだ。結局三十分くらい走ってようやく公衆電話を見つけて警察にかけたんだ。警察が来てからいろいろと状況を聞かれたけど、俺も落ちるところを見ただけだから、あまり話せることはなかった。その女の遺体が見つかったのか、どこの誰だったのか、翌日東京に戻ったから後のことは何も知らないんだ」


「背筋が凍るような体験をされたのですね。・・・それだけですか?何か不可思議な現象が起こったんじゃないのですか?」


「・・・そのとき、忘れられないことが起こったんだ。ただ、俺の見間違いかもしれなくて、今まで誰にも話したことがない」


「お話をお聞きします」と俺は先を促した。


「その飛び降りた女だが、ワンピースのような服を着ていたんだ。で、飛び降りた瞬間はその服が黄色っぽく見えたんだが、直後に服の色が緑っぽい色に変わったんだ・・・」


「もともと黄色い服で、崖の影に入ったために緑っぽく見えただけじゃないのですか?」


「いや、そのときの風景はこんなんだったんだ」と永峯ながみね社長はメモを取り出し、鉛筆で図を描いてみせた。


永峯ながみね社長が描いた図に色を塗ってみたもの

挿絵(By みてみん)


「このように俺の立っていた崖の東側に女が飛び降りた高い崖があり、その向こうにも低い崖があり、どちらも夕日に照らされていた。俺が見ていた間は女の体にずっと日が当たっていたと思う。それなのに服の色が黄色から緑色に変わったんだ」


「なるほど。光はずっと当たっていたのですね」


「不思議だろ?目の錯覚だったと言われればそれまでだが、俺の脳裏にはしっかりと焼き付いているんだ。だから忘れられず、東京に戻ってからいろいろな本を調べてみた。目の錯覚以外に服の色が変わる理由について」


「何かわかりましたか?」


「いや、さっぱり。・・・そのうちにあの女は水光姫みひかひめだったんじゃないかと思うようになった」


水光姫みひかひめ?」


水光姫みひかひめとは『新撰姓氏録しんせんしょうじろく』という平安時代初期の氏族名鑑に出てくる女の名前なんだ。神武天皇が井戸でその女と出会ったとき、女の体が光っていたそうだ。『古事記』や『日本書紀』にも同じような逸話が載っているが、そっちでは井光イヒカという名前になっている」


「飛び降りた女性が古代の神話に出てくる光る女性だと思ったのはなぜですか?」


「女は黄色く光っていた。しかし落下するとともに死が近づくから、光が弱まって緑っぽくなったんじゃないかと考えたんだ」


水光姫みひかひめはなぜ光っているのですか?」


「一説では、水光姫みひかひめは流星の女神とされている。つまり、光る流れ星を擬人化したという解釈だ」


「しかし、流れ星の化身が身投げをしたなんて信じられません」


「もちろん、俺も本気で信じているわけじゃないんだが、あまりにもはっきり記憶しているから、何かの理由をつけて自分自身を納得させたかったんだ」


永峯ながみね社長はそう言った後、考え込んでいる俺に気づいた。


「何かわかったのか?」


「・・・そうですね、心当たりはあります。でも、口で言っても納得できないと思うので、今度原稿を持って来るときに説明用の資料を持って来ます」


「そうか。あの謎がわかるかもしれないんだな。・・・今度会うときを楽しみに待っているよ」


永峯ながみね社長と別れて下宿に戻ると、スケッチブックを出して一部をハサミで切ったり、色を塗ったりし、出来を吟味した。これで納得してもらえるといいんだが。




一週間後に明応大学のミステリ研を訪れると、仲野さんが待っていた。


「いらっしゃい、藤野さん。ヒロちゃんと八頭やつがしらさんだっけ?二人が書いた原稿を預かっているわよ」


「ありがとうございます。お手間を取らせましたが、助かります」と俺は礼を言って仲野さんから原稿を受け取った。


五十嵐さんのは原稿用紙二十枚ほど、つまり約八千字の評論だった。一方、八頭さんは原稿用紙を三十枚ほど書き上げていた。いずれも力作で、最後は今後のマンガやテレビマンガの発展を予想していた。


「ざっと見た感じですが、なかなかよさそうですね。出版社の社長が謝礼をくれるかもしれませんので、すぐに持って行きます」と俺は言った。


「そうなの?じゃあ、しばらく待ってるけど、遅くなりそうだったら先に帰るからね」


「はい。わかりました」と俺は言ってミステリ研を後にした。


晴讀社せいどくしゃに着き、永峯ながみね社長に原稿が入った紙袋を見せると、一週間前と同じように近くの喫茶店に誘われた。


再び「何でも頼みなさい」と言ってくれたので、今日はプリンを頼んでみた。喫茶店で注文したのは初めてだ。


「じゃあ、原稿を見せてもらおうか」と聞いてきたので、俺は紙袋ごと永峯ながみね社長に手渡した。中から原稿用紙を出す永峯ながみね社長。


「マンガマニアの五十嵐さんという方のマンガの評論と、テレビマンガマニアの八頭さんの原稿です」と説明する。


「こいつは・・・二つともなかなかの力作だな」と原稿用紙の厚さに驚く永峯ながみね社長。


さっそく原稿を読み始める永峯ながみね社長を見ながら、俺はウエイトレスが持って来たプリンを食べ始めた。・・・家で作るプリンとはなんか違う!


読み終わった永峯ながみね社長は顔を上げ、「これはいい記事の見本ができた。これを参考にして知り合いの雑文家にも記事を頼み、雑誌の体裁を整えてみよう。そして出版だ!」と言った。


「ほんとうに雑誌を創刊されるのですね?」


「ああ、この原稿を読んで手応えを感じたよ。季刊になると思うが、実現させるよ。・・・原稿を書いてくれた二人には、とりあえずこれを渡してくれ」


永峯ながみね社長は俺に二通の封筒を差し出した。表には「謝礼」と書かれている。


俺が受け取ると、永峯ながみね社長は「原稿料の手付け代わりの図書券を入れてある」と言った。


何円分入っているか知りたかったが、さすがに中を改めるのはためらわれた。


「お二人に渡しておきます」と言って俺の手提げ鞄にしまう。


「ところで、先日のご相談の件ですが」と俺は言って手提げ鞄からスケッチブックを出した。


スケッチブックを開いた中には人型に切り取り灰色に塗った紙が二つはさまっていた。長さ五センチほどだ。その灰色の紙をスケッチブックの何も描いていない白いページの上に並べる。


「この人型は何色に見えますか?」と永峯ながみね社長に聞く。


「何色って・・・どっちも同じ灰色に見える」


「同じ人型を今度はこっちのページの上に起きます」と俺は言って、スケッチブックをめくった。次のページは半分ずつ青色とピンク色に塗ってあった。それぞれの色の上に灰色の人型を置く。


「じっくり見てください。それぞれの人型は何色に見えますか?」


★スケッチブックの上に置いた人型の紙

 (左は白紙上、右は青とピンクの色を塗ったページ上)

挿絵(By みてみん)


「同じ人型じゃないか。灰色に決まっている・・・。おや?見ているうちに青色の上に置かれた人型がくすんだ黄色になってきた。ピンク色の方の人型は・・・くすんだ緑色か?」と驚く永峯ながみね社長。


「そうです。元は灰色だったのに、背景の色によって違う色に見えてくるのです」


「どういう手品なんだ?」


「手品じゃなりません。これは目の錯覚です。正確には錯視と言います」と俺が言うと、永峯ながみね社長はさらに驚いた。


「これが錯覚だって!?色がついているように見えてしまうと元の灰色には見えない。錯覚がずっと続くのか?俺の目はどうかしてしまったのか?」


「社長の目が変になったわけじゃありませんよ。誰でもそう見えるはずです。そして、これは人間の脳の高度な機能のせいなんです」


「脳の?・・・高度な機能?」


「はい。我々が見ている景色は、光の信号として目に入り、神経を介して脳に送られます。そして脳がその色や形を認識するのですが、周囲が暗かったり、色味が強かったりすると、本来はこんな色だろうと脳が勝手に補正するんです。例えば、周囲が青いときは青の補色の黄色がかった色に見えます。・・・補色とは、虹の色を円形に並べ、赤と紫を隣り合わせにしたときに、対角線上にある色どうしの関係のことです。青の補色は黄色、ピンク色の補色は緑色です」


「補色か?初めて聞いたな。・・・最新の理論なのか?」


「色を円形に並べた色相環カラーサークルを最初に考え出したのは万有引力を発見したニュートンだと言われています」


色相環カラーサークル

挿絵(By みてみん)


「歴史がある理論なのか。・・・錯覚とは気の迷いのようなものと思っていたが、科学的に裏打ちされた現象なのだな」


「はい。・・・社長はご自分が見られたのが錯覚ではないと思い込んで調べられたようですが、錯覚の可能性について調べればすぐにわかったことと思います」


「これは一本取られた!」と言って笑い出す永峯ながみね社長。一本取ったわけではないのだが。


「おそらく俺が見た女は灰色の服を着ていて、飛び降りた直後は背景が青暗い東の空だったので服が黄色に見え、ピンク色に染まった崖が背景になったときに緑色っぽく見えたのだな。・・・長年の謎が解けた!藤野くん、ありがとう!」


永峯ながみね社長は俺の両手を握り、ことのほか喜んでくれた。


「ところで君の就職の件だが」と永峯ながみね社長が言い出して俺ははっとした。


「君が我が社に入社してくれるのならいつでも大歓迎だ。新しい雑誌の担当にしてもいい。ただ・・・君は優秀だから、我が社なんかに埋もれていいのかという思いもある。だから、もう少しほかの会社を訪問して、より自分にあった会社があればそっちに就職するといい。・・・就職したい会社がほかになければ、俺に声をかけてくれ」


「わかりました。ご配慮ありがとうございます」と俺は言って頭を下げた。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

永峯泰造ながみねたいぞう 晴讀社せいどくしゃの社長兼編集長。

仲野蝶子なかのちょうこ 明応大学文学部二年生、ミステリ研部員。

五十嵐宏樹いがらしひろき(ヒロちゃん) 令成大学文学部四年生。仲野蝶子の幼馴染。

八頭忠士やつがしらただし テレビマンガ(アニメ)マニア。五十嵐宏樹の知人。


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