十話 マンガマニアとテレビマンガマニア
翌日の放課後、俺は短大を出て明応大学に向かった。行き先はもちろんミステリ研だ。
勝手知ったるサークル棟に勝手に入って、ミステリ研のドアを開けると、中に知らない学生が三人いた。
「失礼します」と俺があいさつすると、
「どなたでしょうか?」と、女子学生が聞いてきた。
「私は秋花女子短大の藤野と申します。ミステリ研の一色さんの高校時代の友人です」と俺が答えると、
「ああ、あなたが!」と三人が同時に感嘆の声を漏らした。
「あなたはミステリ研では有名ですよ」と男子学生が答えた。
「女子大生探偵、一色先輩のアシスタントと記録係を務めたんですよね?」ともうひとりの女子学生が言った。
「あの、女子高時代の文芸部の活動報告のことですか?」
「そうなんです!」と男子学生が勢いよく答えてから、思い出したように、
「失礼しました。僕はミステリ研の新入部員の北田教雄です」と自己紹介した。
「私は姉の北田典子です。教とは双子の姉弟なんです」と、最初に口を開いた女子学生が言った。
「私は久米です。初めまして、よろしくお願いします」ともうひとりの女子学生が言った。
「これはどうも、初めまして。ご存知のように私は一色さんの高校時代のクラスメイトで、一色さんの謎解きにつきあったことがあります」
「今日は一色さんにご用ですか?」と聞く北田くん。
「いたら会って話したいと思ってましたが、実は用があるのは二年生のな、仲野さんって方です」
「仲野先輩ですか?今日は来ると思いますけど」と典子さんが言ったのとほぼ同時に部室のドアが開いて、一色さんと仲野さんが入って来た。
「あ、ミチ・・・藤野さんじゃないか!」と驚く一色。
「こんにちは、一色さん、仲野さん」と俺は二人にあいさつした。
「今日は何か用かい?」と聞く一色。
「実は仲野さんに用があって」と俺が言うと、仲野さんはびっくりした。
「え?私?・・・」
驚くのも無理はない。仲野さんとは一度か二度会ったことがある程度の知り合いだ。ただ、最初に会ったときの衝撃的な出来事が忘れられなかったのだ(「気がついたら女子短大生(JT?)になっていた」五十一話参照)。
「はい、仲野さんのお友だちに、マンガに詳しい方がおられましたね?」と俺は単刀直入に聞いた。
「え?ヒロちゃんのこと?」と再び驚く仲野さん。
「はい。・・・実は今会社訪問をしていまして、とある小さな出版社に行ったところ、これから出す雑誌に載せる原稿の見本を誰かに頼むように言われました」
「え?ほとんど初対面の、会社訪問した藤野さんに記事を書く人を探すように言われたの?」と驚く一色。
「話の流れでそういうことになってしまって。・・・で、これからはマンガの評論が受けるのではないかと考えたときに、仲野さんのお友だちを思い出したというわけです。そのお友だちか、あるいはお友だちの知り合いで、マンガの評論を書いてもらえる人がいないか、聞いてみてもらえないでしょうか?」
「会社訪問ってことは、就職活動を始めているんだね?」と一色が確認してきた。
俺はうなずくと、「仲野さん、藤野さんの就職活動のために、手伝ってもらえないかな?」と一色が一緒に頼んでくれた。
「そうねえ・・・?ヒロちゃんはマンガ雑誌の編集者になりたいとは言っているけど、評論なんて書けるのかしら?」と仲野さんは躊躇していた。
「ちなみに去年の大学祭で、仲野さんはミステリ研の機関誌に『八つ墓村』のマンガの書評を書いたんだよ」(「五十年前のJKアフターストーリーズ」七十八話参照)と一色が言った。
「じゃあ、仲野さんもマンガの評論を書けるんですね?」と俺が食いつくと、仲野さんはあわてて否定した。
「私はそんなの書けないわよ。どうしてもって言うのなら、ヒロちゃんに会わせてあげる。・・・これから彼に会いに行く?私も同席するけど、いいかしら?」と仲野さんが観念して言ってくれた。
「はい。よろしくお願いします!」と俺は喜びの声を上げ、一色と三人の新入部員にあいさつして、仲野さんと一緒に部室を出た。
ちなみに部室を出るとき、新入部員が一色に「ヒロちゃんって、仲野さんとどういう関係ですか?」と聞いていた。
仲野さんは顔を赤らめながら無視して部室を出、俺も余計なことは聞かなかった。
電車に乗り、令成大学の最寄り駅に向かう。
「ヒロちゃん、じゃない、五十嵐さんは令成大学の四年生で、大学の近くに下宿しているの。彼も出版社に出入りして、手伝いがてら就職活動をしているわ。でも、今日は下宿にいるはず」
「お手間をおかけして申し訳ありません」と一応謝ったが、仲野さんはなぜかうきうきしていた。五十嵐さんと会うのが久しぶりなのかな?再会を楽しみにしているのなら、頼んだ俺も気が楽というものだ。
電車を降り、駅を出てしばらく歩くと、五十嵐さんの下宿があるという安アパートに着いた。仲野さんは迷うことなく五十嵐さんの部屋の前まで行くと、ドアをノックした。
「ふぁ〜い」と気の抜けた返事をする五十嵐さん。
「私よ、蝶子よ。ちょっといいかしら?」と仲野さんが言うと、まもなく五十嵐さんが顔を出した。寝ていたのか髪がぼさぼさだった。
「秋花女子短大の藤野さんが、マンガについて聞きたいことがあるって」と仲野さんが言うと、五十嵐さんの顔がパッと明るくなった。
「それはそれはようこそ!・・・以前にどこかで会ったことがあるね。とりあえず中に入ってくれ」と五十嵐さんが言ってくれたが、
「若い女性をそんなむさ苦しい部屋に招待しないでよ!どこか近くの喫茶店で話しましょう!その前に身なりをきちんとしてね!」と五十嵐さんに注文をつける仲野さんだった。
「わかった、わかった」と五十嵐さんは答えて、いったん部屋に引っ込んだ。あまり時間が経たないうちに再びドアが開き、ちょっとだけ身だしなみを整えた五十嵐さんが出てきた。
「お休みのところ、お邪魔して申し訳ありません」と頭を下げる。
「かまわないよ、マンガの話ができるなら大歓迎さ」と五十嵐さんはにこやかに言った。
三人で近所の喫茶店に入る。コーヒーを注文すると、さっそく俺は晴讀社に会社訪問したことを説明し、本題に入った。
「・・・というわけで、試しにマンガの評論を書いてもらえないか、あるいは、書ける人を紹介してもらえないか、不躾ながらお願いに参ったのです。・・・ちなみにまだ雑誌が創刊されるかわかってないので、原稿料はもらえないかもしれません」
俺の本当に無遠慮な依頼に仲野さんは肩をすくめていたが、五十嵐さんはすぐに乗り気になった。
「僕は今漫画雑誌の編集者になろうとして小談社の編集部に顔を出してるんだ。でも、編集者ってマンガ家の先生に原稿を取りに行き、セリフの写植を貼ったりするのが主な仕事で、自分の考えを述べる場はないから、ちょっと興味を持ったよ。・・・編集者になったら他社の漫画雑誌の評論なんて書けなくなるだろうから、今のうちに書いてみようかな」
「よろしくお願いします。原稿料は編集長にかけあってみます」
「ちなみに何字くらいのを書けばいいんだい?」
「特に決めてはいません」
「じゃあ、一週間以内に書き上げるよ。蝶子に渡すから、明応大に取りに来てもらえるかな」
「わかりました。ありがとうございます。・・・ところで」と俺はもうひとつの質問を投げかけた。
「テレビマンガについて詳しい方はお知り合いにいませんか?」テレビマンガとは、言うまでもなく後に言うテレビアニメのことだ。この年にはまだ『アニメ』という和製英語はない。
「テレビマンガねえ・・・。僕自身はテレビを持ってないから観てないけど、友人にひとりけっこう熱心なやつがいるよ。近くに住んでいるから、呼んで来ようか?」
渡りに舟とはこういうことだ。こんなにすぐに話が進むとは思わなかった。
「是非、よろしくお願いします!」と俺は五十嵐さんに頼んだ。
「じゃあ、ここで待っててくれ。すぐに呼んでくるよ」と言って席を立つ五十嵐さん。
五十嵐さんが喫茶店を出て行って、俺は仲野さんと二人きりになった。
「いろいろお手数をおかけして申し訳ないです。でも、助かりました」
「まあ、ヒロちゃんはマンガが大好きだし、私といるときもしょっちゅうマンガについて熱く語っているから、喜んで書いてくれるわよ。・・・ただし、文才があるのかどうか、よくわからないけど」
「それでも、ありがたいです。・・・私が思うに、マンガ文化は今後ますます隆盛を極め、まず衰退することはありませんから、マンガ評論という仕事はいずれ確立されることと思います」
「あなたもけっこうマニアね」と仲野さんに言われてしまった。俺自身はそれほどこの時代のマンガには精通していないが。
それからしばらくミステリ研の活動、特に一色が犯罪捜査に協力しているという話を聞かせてもらった。
そこへ五十嵐さんがひとりの男性を連れて来た。頭がぼさぼさで、メガネをかけ、よれよれしたパーカーを着ている。この人と比べると五十嵐さんはまだまともな方だな、仲野さんがついているからかな?と考えてしまった。
俺と仲野さんの向かいに座る五十嵐さんとその男性。
「彼がテレビマンガに詳しい八頭君だよ」と五十嵐さんが紹介してくれた。
八頭さんは俺の顔をちらりと見ると、あいさつも自己紹介もせずにいきなり語り出した。
「君がテレビマンガについて語ってくれと言った人かい?そもそも日本のテレビマンガは昭和三十八年の元日に放送が始まった手塚治虫の『鉄腕アトム』が幕開けと言っていいけど、同じ年に『鉄人二十八号』、『エイトマン』、『狼少年ケン』などの名作が次々と放送されるようになった。これは劇場で公開されるマンガ映画の歴史があるから可能だったことなんだ。例えば戦時下にも『桃太郎 海の神兵』という長編映画が公開されていたし、『白蛇伝』を始めとする東映動画のマンガ映画シリーズは戦後の日本に、マンガ映画が娯楽性と芸術性を兼ね備えていることを証明してきたんだ。週一回放送のテレビマンガは時間的にも予算的にも制約があるけど、年々その品質は向上している。もう少し年代を追ってこと細やかに発展の経緯を説明すると・・・」
「ちょ、ちょっと待ってください!」と俺は八頭さんの暴走を必死で止めた。
「テレビマンガやマンガ映画について見識と情熱を持っておられることはよくわかりましたが、それを今ここで口で説明されるのではなく、文章でいただけないでしょうか?可能であれば雑誌に掲載し、世間に公表したいと考えています」
「これは失敬」メガネの中心を押さえて謝る八頭さん。
「僕の思うことを雑誌に記事として載せてくれるのかい?」
「現時点では確約できませんが、八頭さんのような見識高い方の原稿をいただけたら、それを編集長が判断して掲載される可能性があるということです。原稿料もどれだけ出してもらえるのか、私は出版社の人間ではないので、お答えできないのですが。・・・ただ、八頭さんの情熱はきっと編集長を動かすと思っています」
「なるほど、了解した。原稿用紙を何枚書けばいいんだ?」
「とりあえず、一週間で書ける程度でお願いします。
「承知!」と八頭さんは一言だけ答えた。
「今月放送が始まったテレビマンガは、『あしたのジョー』と『赤き血のイレブン』だったかな?編集部で話題になっていたよ。去年は『どろろ』、『忍風カムイ外伝』、『男一匹ガキ大将』、『タイガーマスク』、『アタックNo.1』が放送された。どれも原作マンガに人気がある作品だよ」と五十嵐さんが口をはさんだ。
「マンガに人気があるとテレビマンガが作られる。そのテレビマンガを見ておもしろがった子どもが原作マンガを読むようになる。出版社にとって旨味があるから、当分はマンガ作品をテレビでやることが続くだろうね」
「確かに、今はマンガ原作のテレビ化が多いけど、そのうちテレビマンガ制作会社が企画する独創的なテレビマンガが増え、世に台頭して来ることは間違いない」と八頭さんが主張した。
「さっきも言ったように、『白蛇伝』などの東映動画のマンガ映画は制作会社で企画したものだからね。テレビマンガでも同様の制作が広がって行くと思うよ。『ガリバーの宇宙旅行』なんて、ラストの寂寥感が何とも言えない名作だし・・・」と八頭さんがまた語り始めたので、俺は必死で止めた。
「そ、それでは、一週間以内に書いていただいた原稿を五十嵐さんを通じて仲野さんにお渡しください」とお願いしてこの場を納めた。
三人にお礼を言って分かれる。飲み物代は俺が出した。俺が依頼してきてもらったから当然だが、領収書をもらいながら永峯社長が払ってくれるのかわからなかった。
その足で晴讀社に向かい、「こんにちは」と言ってドアを開けた。奥の机に永峯社長が座っているのが見えた。
「おう」と言って手を挙げる永峯社長。
「原稿の目処をつけてきました」と俺が言うと、
「そうか。じゃあ、近くの喫茶店で話を聞こうか」と永峯社長が言って立ち上がった。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
北田教雄 明応大学医学部一年生、ミステリ研新入部員。
北田典子 明応大学医学部一年生、ミステリ研新入部員。教雄の双子の姉。
久米須磨子 明応大学文学部一年生、ミステリ研新入部員。
一色千代子 明応大学文学部二年生、ミステリ研部員。
仲野蝶子 明応大学文学部二年生、ミステリ研部員。
五十嵐宏樹(ヒロちゃん) 令成大学文学部四年生。仲野蝶子の幼馴染。
八頭忠士 テレビマンガ(アニメ)マニア。五十嵐宏樹の知人。
永峯泰造 晴讀社の社長兼編集長。
テレビマンガ情報
フジテレビ系列/鉄腕アトム(1963年1月1日〜1966年12月31日放映)
フジテレビ系列/鉄人28号(1963年10月20日〜1965年11月24日放映)
TBS系列/エイトマン(1963年11月7日〜1964年12月31日放映)
日本テレビ系列/狼少年ケン(1963年11月25日〜1965年8月16日放映)
フジテレビ系列/あしたのジョー(1970年4月1日〜1971年9月29日放映)
日本テレビ系列/赤き血のイレブン(1970年4月13日〜1971年4月5日放映)
フジテレビ系列/どろろ(1969年4月6日〜9月28日放映)
フジテレビ系列/忍風カムイ外伝(1969年4月6日〜9月28日放映)
日本テレビ系列/男一匹ガキ大将(1969年9月29日〜1970年3月28日放映)
読売テレビ系列/タイガーマスク(1969年10月2日〜1971年9月30日放映)
フジテレビ系列/アタックNo.1(1969年12月7日〜1971年11月28日放映)
マンガ映画情報
松竹動画研究所/桃太郎 海の神兵(1945年4月12日公開)
東映動画/白蛇伝(1958年10月22日公開)
東映動画/ガリバーの宇宙旅行(1965年3月20日公開)