第二章 新十津川技研
落下物の衝撃により砂埃が舞う中、字矢は立ち上がった。ハンドライトで横穴の先を照らして見ると幸か不幸か、まだ地下道として続いている様だ。取り敢えず破壊されたガスマスクは取り外してその場に捨てた。此処でもやはり呼吸が出来る。空気が有ると言う事だ。まともに空気が有る事自体、不自然では有るが今は気にしても仕方が無い。字矢は素直の助かると思っておく事にした。今更ながら此処が巨大な地下迷宮だと思い知らされる。この地下迷宮には箇所によっては、”光る石”が壁や天井、床から突き出ていた。大きさ・形・突き出ている位置・数もバラバラだ。その明るさは暗闇で光る一般的な蛍光材よりも遥かに明るい。先程、騎士と戦った空間には無数に有ったので、普通に照明器具を使用した室内の如き明るさであった。だが、今いる地下道にはその“光る石”は無い様だ。再びハンドライトとナイトビジョンの世話になる。背中のバックパックを身体から離さずにいて本当に助かった。字矢は現状の装備を確認する事にした。背中のバックパックを降ろして開けた。まず、武器は四十五口径自動拳銃、七・六二ミリセミオートスナイパーライフル、銃は全て一丁ずつで、弾もまだ十分にある。大型軍用ナイフが二本、軍用双眼鏡、水入の水筒、軍用携帯食が約二日分、携帯用医療キット、携帯用電工工具キット、L型ハンドライトに単眼ナイトビジョン、予備バッテリー類、予備のガスマスクとフィルターカートリッジ、それと“PBM”と呼ばれる機器だ。十二ゲージ軍用ショットガンは破壊され、九ミリ自動拳銃と九ミリサブマシンガン、は回収する間も無かったのが悔やまれる。だが、
「これだけ有ればまだやれる…」
字矢は全ての武器を即座に使用出来る様に整え直し、バックパックを背負った。そして、手には四十五口径自動拳銃、頭には単眼ナイトビジョン付きの特製ヘルメットを装備し、何処に続くかも判らない暗闇に向けて歩き出した。
そもそも字矢がこんな場所に来たのは、正確な時間など今更不明だが、字矢自身の感覚で約一週間位前、自衛官時代に上官だった人物から連絡を受けたからだった。―――――――――――――――――――――
―― 字矢は約二年の任期を終えて陸上自衛隊を退役した。その二ヶ月後に直属の上官であった石島 渡も退役していた。字矢が退役してから十ヶ月程が過ぎた頃、ある民間企業に籍を置いていた石島から仕事を手伝ってほしいと連絡を受けた。勿論しっかりとした報酬も払うとの事であった。字矢はその依頼を受ける事にした。字矢は幼い頃に両親を亡くしていた。他に身寄りの無い字矢は両親が家族同然の様に親しくしていた、ある体術の道場に引き取られ、その道場の最高師範夫妻に育てられた。自衛隊を退役してからもこの道場に戻り居候として暮らしていた。
「木道先生、仕事で暫く留守にします。具体的な期間は行ってからでないと判らないのですが…」
字矢は道場の事務室に来ていた。雲正流忍法体術の最高師範である第十六代目当主・達神木道に出発の挨拶をする為である。
「ほう、やっとまともに就職する気になったか?」
「まさか、あくまで単発の仕事ですよ。吹雪や氷刀と一緒に子供の頃から先生に体術、叩き込まれた身ですよ。サラリーマンなんかやるわけ無いじゃないですか。」
木道の娘の達神吹雪、そして字矢と同じく幼い頃に両親を亡くしている木道の甥、橘 氷刀は字矢と共に育った中で、年も近い。二人共この道場の師範である。だが、今は留守の様だ。
字矢の返事に、
「う~ん、確かにそうだな。」
木道は白髪混じりの無精髭をいじりつつ、ニヤつきながら言った。
「そう言やぁ、二人とも今は“例の副業”ですよね。」
木道は急に真顔になり、焦った様子で、
「仕事先で口を滑らすなよ、解っているな!他言無用だぞ!」
「解っていますよ。信用して下さい。」
字矢の言葉で焦りの無くなった木道が怪訝そうに聞いた。
「ところで、どんな仕事だ?」
「自衛官時代の元上官、石島からの仕事です。石島さんも自衛隊を退役して、今は北海道に有る“新十津川技研”と言う会社の課長職です。その会社が今やっているプロジェクトに関する調査の仕事だそうです。」
「プロジェクトに関する調査?何だそりゃぁ?」
「詳しい事は会社に来てから話すと言われました。」
「お前、それ本当に大丈夫なのか?」
「石島さんとは退役してからも電話やSNSで結構やり取りしていました。自衛官時代から器の大きい信頼出来る人ですよ。」
木道の心配を有難く思いつつ、字矢は腕時計を見た。飛行機の時間を考えれば、出発しなければならない時間だ。
「そろそろ出発します。帰宅の日時が判ったら連絡します。あの二人にヨロシク言っておいて下さい。」
そう言いながら字矢は立ち上がった。部屋を出ようと入口に向かって歩こうとした時、
「字矢!」
鋭い口調で木道に呼び止められた。
字矢はびっくりして振り向いた。
「死ぬなよ!」
何を思ったのか、木道が今度は重みの有る口調で言った。
「“例の副業”じゃ有るまいし、危険な仕事じゃないと思いますから大丈夫です。行ってきます。」
東京・八王子の道場を後にした字矢は交通機関を乗り継いで、空港に向かった。飛行機のチケットは事前に石島が字矢宛てに道場に郵送していた。北海道の空港に着いたのは午後一時を過ぎていた。字矢は空港内で昼食を済ませた後、石島から指示を受けていた交通機関を使って、会社から最も近いJRの駅に向かった。そこで、石島の部下の坂上と言う男が車で迎えに来る事になっている。駅に着いたのは午後五時半前であった。真夏の為、まだ日は落ちていない。約束の午後六時迄には余裕をもって間に合う事が出来た。晴れていたので、字矢は外のベンチに座って待つ事にした。時折吹くそよ風が、字矢の“ツーブロック”の黒髪を靡かせる。約束の時間の数分前になる頃、駅の正面に一台のRV車が停車した。その車の運転席からスーツ姿の男が降りて来た。ベンチに座って居る字矢を見つけると、
「柿崎字矢さんですか?」
「はい、そうです。石島さんの…。」
「ええ、新十津川技研の坂上と申します。待ちました?」
「いえ、先程着いたばかりです。」
本来、企業に勤める者であれば初対面の相手には挨拶時に名刺を渡すのが常であるが、坂上は特に名刺を出す事は無かった。相手が字矢だからと言う訳では無い。非公式プロジェクトに関わる全てのスタッフは、会社から外部の人間に絶対に名刺を渡すなと厳命されていた。仮に相手から求められても“申し訳ございません。自分は本来内勤で、お客様や業者様と直接会う部門の者では無いので、会社の指示でコスト削減の為、名刺を作成していないのです。”などと言って断る様に指示されていたのだ。
「トイレとか大丈夫ですか?何せ山奥目指して車でも一時間位はかかるもので…。」
字矢は、石島から会社が山奥に有る為、駅から車を使ったとしても、時間がかかる事を既に聞いていた。
「駅に着いて直ぐに済ませたので大丈夫です。」
「そうでしたか、どうぞ乗って下さい。」
坂上に促され、字矢はリュックを車の後部座席に乗せ、自分は助手席に乗った。程無く車は出発し、市街地を抜けてから舗装された山道を走り続けた。途中、鎖で封鎖された脇道に入る為、その前で坂上は車を一時停止して車から降りた。鎖を外してから再び車に乗り、車を脇道の入口の中まで進めてから車を一時停止して車から降りた。再度、脇道の入口を鎖で封鎖した。坂上は車に乗り、車は出発した。舗装されていない砂利道を数分ほど進むと同じような鎖で封鎖された脇道がまた現れた。坂上はその前で車を一時停止した。そして運転席のドアを開けて降りようとした坂上を字矢は制止して、
「自分が行きますよ。」
と言って字矢は車から降り、鎖の外しと再度の封鎖を行った。車は再び舗装された山道を走り続けた。この後、鎖で封鎖された脇道が現れる事は無かった。
駅を出発してから一時間十分位だろうか、半ば日は落ちているにも関わらず前方がやたらと明るい。それが建物の照明等からの光だと直ぐに判った。会社に到着したのだ。巨大な正面ゲートは左右それぞれに歩行者用と車輛用の出入口が有り、その全てに出入りを制限する為の遮断機が設置されている。警備員がいる監視所がゲートの左右、そして中央にも有り、更にその外にも警備員が立っていた。坂上は車を左側の車両用出入口の前で一時停止した。運転席側の窓を開けて遮断機の手前に有る機械に社員証をかざすと遮断機が上がった。左側の外に立っている警備員と中央の監視所の中に居る警備員が軽く会釈すると坂上もそれぞれの警備員に会釈しながら車を進めた。巨大ゲートを抜けると約三百メートル四方のかなり広い駐車スペース、その向こうに高層の建物が数棟見えていた。車はその内の一棟の正面入口の前に止まった。そこには既に出迎えの石島の姿が有った。両腕を捲ったワイシャツにネクタイと下はスラックスの着こなし、それと“ビジネスショートの王道七三刈り上げ”の黒髪が相まって、細マッチョで有りながら、何とも言えない貫禄を醸し出していた。
「柿崎さん、到着です。お疲れ様でした。私は車を駐車場に入れて、そのまま自分の職場に戻りますので、これで失礼します。」
「坂上さん、送って頂き、ありがとうございました。」
そう言うと、字矢は後部座席から自分のリュックを取り、車を降りた。
「良く来てくれたな柿崎!」
石島はそう言いながら字矢の肩を軽く叩いた。
「柿崎字矢陸士長、只今着任致しました!!」
字矢が硬い表情で姿勢を正し、敬礼しながら大きな声で着任報告をすると、
「あぁ、お互いもう自衛官じゃないからなぁ、堅苦しいのはナシ、ナシ。」
石島が気の抜けた様な感じで言うと二人は顔を見合わせて、大声で笑った。
株式会社新十津川技研は北海道の山中に広大な土地を有し、今、字矢が訪れている本社ビルや各種研究棟・開発施設・工場等もその敷地内に有る。個人が買う様な商品等は一切取り扱って無いので、あまり一般には馴染みは無いが、幅広い分野の各種専門機器や特殊な重機等の開発・製造を行っている大企業である。
「柿崎、移動だけで疲れただろう。敷地内に有る社員寮の空き部屋一室をお前の為に用意してある。本格的なミーティングは明日の十三時からにしよう。今日はゆっくり休め。社員寮内の食堂は二十四時間利用可能だ。バーも併設しているので、十七時から翌朝二時迄はアルコール類も飲めるぞ。」
石島は本社ビル内の一室に字矢を案内した。そこで、字矢に社員寮の部屋のシリンダーキーと首掛けホルダーに入ったセキュリティーカードを渡した。
「敷地内の建物のドアはこのカードが無いと通行出来ない。カードを認識させるパネルの操作を間違えただけで侵入警報が発報して警備員が飛んでくるから気を付けろよ。」
石島はカードの使い方を字矢に教えた後、字矢を社員寮に用意した部屋に案内する為、本社ビル三階の渡り廊下を通り社員寮の有る棟に入った。社員寮の入口を含めてドアが四ケ所有った。そこで字矢にパネル操作をやらせて慣れてもらった。
「操作は解りました。警備員に飛んで来られたら面倒ですからね」
更に食堂とバーにも案内された。そこでも字矢はパネル操作を行う。カードをパネルにかざして、入退室を行った。用意されていた部屋に到着すると、字矢は取り敢えず自分のリュックを部屋の奥の隅に降ろした。そして、石島と約一時間半後に社員寮内のバーで待ち合わせする約束をすると、石島は自らが所属する開発部の有る研究棟エリアに戻って行った。
部屋でシャワーを浴びた後、字矢は食堂で夕食を済ませた。丁度その頃、石島が併設しているバーに姿を現した。石島に気付くと字矢もバーの方に向かった。二人で酒を飲みながら近況や世間話・自衛官時代の話に花を咲かせていると、後ろから若い女性が声をかけて来た。
「あははっ、石島カチョウー、楽しそうー、アタシも混ぜてくださいよー!」
「おぅ!彩香ちゃん、今日もご機嫌だね。」
既に程よく酔っている“ウルフカット”の黒髪が何とも可愛らしい若い女性=剣崎彩香は、社員寮の住人で、営業部企画課に所属する社員である。
「彩香ちゃん、紹介するよ、俺が一番信頼している元部下で友人の柿崎字矢だ。明日からの仕事の為に来てくれた。」
「ヨロシク!」
「初めまして、剣崎彩香と申します。宜しくお願いします!」
酔って陽気になっている事も有るのか、彩香の挨拶は真面目で元気な小学生の様であった。
「この娘なぁ、ここのバーの超常連なんだ。しかも今みたいな感じで、直ぐ他の利用者に声をかけてなぁ。部署も全く違うし、一緒に仕事した事は無いにも関わらず、俺もすっかり馴染みになったって訳だ。」
「へぇー、そう何ですか。」
石島は字矢と彩香の顔を見ながら、
「それじゃ、改めて三人で乾杯しようか!でも彩香ちゃん、あんまり飲み過ぎないでよ!」
「何言ってるんですかぁ、この前一緒に飲んだ時、課長の方が先に潰れたじゃないですか!」
「?!そんなに強いのか…」
字矢は驚いた。そして若干の不安も感じた。彩香の可愛い顔からは想像もしていなかったからだ。とは言え、男二人よりは陽気で明るい若い女子が居た方が盛り上がるのは言うまでもない。結局、三人はバーが閉まる翌朝二時まで飲み続けた。彩香はともかく、字矢も石島も幸い酔い潰れる事無く、三人とも午前二時半には各々の部屋に戻って行った。
翌朝、と言っても午前十時過ぎに字矢は目が覚めた。若干、二日酔い気味では有るが問題無さそうだ。字矢は食堂で朝食を済ませてから一旦、部屋に戻り、身支度を済ませた。スマホで石島と連絡を取り、準備出来ている旨を伝えた。暫くすると石島が字矢の部屋に迎えに来た。二人はこれから字矢が働く事になる石島が責任者を務める研究施設に向かった。社員寮が有る棟の一階から外に出て本社ビルが有る方向とは逆の方へ歩いた。複数の建物の間を抜けて、広いスペースに出た。先の方に見た目が五階建て位の建物が見える。そこが目的の研究施設だ。だが、その研究施設より更に大きく、しかも建設途中と思われる塀の様な物に囲まれている建物が字矢の目に入って来た。字矢から見て目的の研究施設の約二百メートル左側辺りだ。その大きな建物に向かって足早に歩いている女性がいた。
「…あれっ!黒輝三曹?!何でこんな所に…。」
字矢は女性士官の制服を着ているその女性自衛官の横顔に見覚えが有った。顔だけでは無い。帽子を着用していなかった為、特徴的な“くびれショート”の黒髪がハッキリ見て取れた。
硬い表情で正面を見たまま歩いているその女性自衛官は、字矢に気付く事無く大きな建物を囲む塀らしき物の中に消えて行った。
「柿崎、知り合いか?」
「はい、黒輝紫穂三等陸曹です。あ、いえ、何年か経っているので、階級は上がっているかもしれませんが…。石島さんの部署に配属になる前、一時的に技術系の部署にいた時の直属の上官です。」
「技術系?!まさか、その頃から北海道に来て何かやっていたのか!」
石島が急に鋭い口調で聞いてきた。
「いえ、それは無いと思います。技官として、電気や通信設備点検、又は工事の監督業務が主な任務でした。少なくとも自分が所属していた頃には、出張が必要な遠出もありませんでしたし。」
「今の所属部署は、判るか?」
「黒輝三曹始め、その部署の人達とは個人的な付き合いは一切無かったので、自分が異動になった後の事は判らないです。人伝に聞いた事も無いですし、…すみません。」
申し訳無さそうな字矢に石島が、
「あ、いや、すまない、いいんだ。実は、あのデカイ建物が出来る前から堂々と士官の制服を着た奴らが出入りしている。良く判らんが防衛省と組んで、あっちはあっちで何やら非公式のプロジェクトを進めている様なんだ。」
「あそこで何をやっているか石島さんも知らないんですか?」
「あぁ、非公式プロジェクトに関しては、会社命令で情報共有禁止になっている。つまり担当しているプロジェクトの事しかお互い知らないと言う事だ。」
本来、一般的には企業内においては情報共有・コミュニケーションは重要であるはずだが、この会社の非公式プロジェクトに関しては真逆である。会社勤めの経験の無い字矢でも、その程度の一般的な感覚・常識は有った。
「石島さん、なんか胡散臭いですね。“非公式プロジェクト”って、つまり“非合法プロジェクト”って事ですか?」
字矢は不安どころか寧ろ楽しそうに訪ねた。
「……」
一瞬、返事に詰まった石島だったが、
「後で詳しく話すよ。俺が担当しているプロジェクトも非公式プロジェクト扱いだ。どうだ、やる気無くなったか?」
石島の心配とは裏腹に、字矢は、
「いいえ、益々やる気出ましたよ!」
終始歩みを止めずに会話をしていた二人であった。研究施設正面入口の前に着くとドアの右横に立っている警備員が石島に敬礼した。石島も警備員に
「お疲れ様です」
と声をかけた。 今まで目にして来たドアは、ドアレバーが付いていて、カードでセキュリティーを解除した後、人の手で開け締めする開閉式のドアであった。だが、この施設のドアは人の手で開け締めする為の物が一切無く、只の一枚の金属の板が有るだけであった。 石島が入口を開ける為、金属の板の左横に有るパネルを操作して、自分の持っているセキュリティーカードをパネルにかざした。 すると金属の板が右にスライドして、中へ通じる通路が現れた。その通路は赤いランプに照らされていた。
「柿崎、すまない。この施設のドアはお前に渡したゲスト用のセキュリティーカードでは開けられない。出入りする時は一緒に行動しよう。」
石島と字矢がその通路の中へ入ると再び金属の板がスライドして入口は閉じられた。