第十六章 隠没の果てに
管頭ドラゴンを倒した幅広通路を出た字矢は、岩土で出来た分岐の無い曲道だらけの通路を経て、今は“光る石”が規則的に配置されている石材の通路を歩いていた。幸いにも、今のところ化物の類には遭遇していない。
「いつまでも彷徨っている訳にも行かねぇよなぁ…。」
字矢はいい加減、地元の人間に助けを求めるしか無いと思った。だが、こんな化物だらけの場所に人が居るとも思えない。抑々、此処に至るまでに遭遇した人間達にしても、
「蟷螂に殺された二人はその前からボロボロ、それと若作りの騎士野郎かぁ…。あの騎士野郎、問答無用で襲って来た上に、何言っているか分からねぇし、言葉も通じ無かった。人に会えても厳しいかぁ…。参ったなぁ…。」
石材の通路に変わってからも、分岐の無い曲がり角だらけの通路が続いた。選択肢は進むか戻るかしか無かった。暫く進むと、通路の石材に岩土が混じり始めた。徐々に不規則な大きさの“光る石”も混じり、進むに連れて石材の比率は減り、遂には“光る石”混じりの岩土の通路となった。石材通路の時より幅も高さ広くなっていた。
更に進むと、奥から物音が聞こえて来た。複数の奇声だ。人間の物とは思えない。通路の突き当りは辻になっている様だ。字矢は更に用心しながら進む。辻の前まで来ると、軍用双眼鏡を録画モードに設定した。忍び足で右側の壁に身を寄せると、右の角から双眼鏡を持った手だけをほんの数秒出し、奇声が聞こえる通路右奥を撮影して直ぐに引っ込めた。念の為、通路左奥も同様に撮影した。周囲を警戒しつつ、辻から少し後ろに下がると、録画した映像を確認した。そこには、大きなニワトリの様な姿の化物が通路を塞いでいた。通路右約三十メートル先である。その巨大ニワトリを複数の小人宇宙人が襲撃している様だが、逆に巨大ニワトリが嘴と足の爪で小人宇宙人の身体を引き裂いていた。吊り上がった眼を血走らせたその巨大ニワトリは殆ど無傷の様だ。反対の通路左奥は約十五メートル先で行き止まりだ。特に何も無い。字矢は双眼鏡の電源を切り、ベストのフックに戻すと、セミオートスナイパーライフルを構えて辻の右角に身体を寄せた。巨大ニワトリと小人宇宙人どもの奇声と物音は近付いてはいない。字矢は右角から慎重に少しだけ頭を出して除いた。
「?!」
小人宇宙人の物だろうか?巨大ニワトリは嘴から紫色の体液を撒き散らしながら、生き残った小人宇宙人どもの方に振り向いた。一瞬、血走ったその両眼が光る。すると、小人宇宙人どもは動かなくなった。艶のある灰色の表皮は艶の無い薄茶色に変わっていた。怒り狂った巨大ニワトリの嘴と足が動かなくなった小人宇宙人どもに襲いかかる。脆い石像とかしていた小人宇宙人どもの身体は粉々に砕けた。
(何だ、あのニワトリ!睨んだだけで…。近付かれる前に奴の両眼を潰さないと“石”にされるって事か!)
字矢は、スナイパーライフルを手に再度、周囲に危険が無い事を確認した。右角から躍り出ると同時にニワトリに狙いを定めて引き金を引いた。初弾、眼には当たらず頭のど真ん中を撃ち抜いた。奇声を上げながら怯むニワトリ。続けて二発目、片目に命中、三発目、外れて首に。四発目、外れて口の中。五発目、もう片方の眼に命中。丁度マガジン内のカートリッジを全て使ったところで、巨大ニワトリは自らの体液塗れの頭部から前のめりに倒れた。振動が地面に伝わる。字矢はスナイパーライフルのマガジンを交換、初弾を薬室に装填すると、構えたまま倒れた巨大ニワトリに近く。動く気配は感じられない。字矢はスナイパーライフルを降ろして、スリングで肩に掛けると、巨大ニワトリの死骸と通路の間を通り奥に進む。ニワトリの死骸を越えた辺りで、背後から足音と奇声が聞こえた。字矢は既に安全装置を外した四十五口径自動拳銃を手にしていた。振り向きざまに数発ぶっ放す。四五ACP弾に拠って顔面と胸に風穴が開いた小人宇宙人が一体、地面に倒れた。どうやら巨大ニワトリに殺されて無かった奴が残っていた様だ。動く気配は無い。
先の通路は数メートル先で行き止まりになっていた。たが、字矢はそれ以上に不自然な地面が気になっていた。行き止まりの手前約二メートル四方、土の地面から所々、金属板が見えていた。良く見ると引き扉にも見える。土を退かしたいが道具が無い。字矢は仕方無く二本の大型ナイフを使う事にした。時間は掛かったが、徐々に金属板の全容が見えて来た。
「此れ、自動ドアか…。」
やはり、左右に開く引き扉か。取手は無い。土を退かした際に、その引き扉に向かって右横にパネルも現れていた。文字らしき物が見えるが掠れていて判らない。当然ながらパネルに触れても何の反応も無い。字矢はバッグパックを降ろすと、中から携帯用電工工具キットを取り出した。マイナスドライバーでパネル周りの土を更に退かした。
「六角?!この設備、俺らの時代の物か?」
パネルの外カバーは複数の六角ビスで留まっていた。サイズの合う六角レンチで全てのビスを外すと、外カバーを外した。外カバーの内側に繋がっている複数の配線の中には、外れている物も有る。中の機械を見ると左右にそれぞれ縦に四個、計八個の金属端子が有り、各端子から延びている細い銅板はパネルの外側に向って奥へと続いていた。更に予備電池と思われる電池にはハッキリと英語で“BATTERY”の表記が見えた。日本語では無いが、字矢は未来に来て久しぶりに自分の時代の文字に出会えた。
「やっぱり、俺らかそれに近い時代の物だ!行けるぞ。」
字矢は電工工具キットの中から短絡線を取り出すと、左右の金属端子を先ずは適当に短絡させた。反応は無い。と言うより通電していない。そこで、元々の予備電池を取り外す。工具キットの工具は絶縁仕様。字矢の軍用手袋も絶縁仕様で余程不適切な作業をしない限り感電する事は無い。取り外した予備電池の代わりに工具キットに有った非常電源用畜電池を繋いだ。サイズが異なるので、中には入らないが、銅線で問題無く繋ぐ事が出来た。検電器で通電を確認する。左側の四つの端子が一次側の様だ。
「十六通りか。開いてくれ!」
字矢は左右の金属端子を順番に短絡させた。そして、十二通り目で、鈍い電動音と共に扉が軋み出した。短絡線を端子から一旦離して、再度短絡させた。扉は金属が引っ掛かる様な音と共に左右に開く。だが音は其れだけでは無かった。床の開き扉とは別に、遠くで何か別の物が動く音が複数聞こえた。
「おいおい、他にも何か動いているなぁ。…大丈夫か?」
字矢は扉が開き切った所で短絡線を端子から離すと、右手で四十五口径自動拳銃を構え、左手でL型ハンドライトを持つと開いた扉の中を覗いた。
「何だ?…この部屋、向きが垂直だ!地面にドアとパネルが有ったのは、そう言う事か…。」
部屋は字矢が来た通路に対して垂直に傾いていた。部屋の奥、つまり底にも開き扉が見える。落下したと思われる複数のパイプ椅子とテーブルが一つ底の開き扉の前に積まさっていた。部屋の左右の壁には制御盤や分電盤の類が並んでいる。更にその周りの壁も含め、電線管と思われる配管や金属の枠の様な物が部屋全体の壁や天井に張り巡らされていた。また、殆どの制御盤は盤表面の表示ランプ等が点灯している。入口のドアを開けた時に、通電したのか、それとも元々通電していたのかは判断出来ない。
「底にあるドアを開けるか。開けた途端に奈落の底に落ちるかもしれないが…。」
字矢は金属枠と電線管を伝って、底のドアを開ける為のスイッチがある制御盤を探す事にした。改めて部屋の中を見ると、入口のドアを開けた時に落ちた砂や土以外は、若干の埃は堆積していたものの、それ程汚くは無い。幸い金属枠と電線管もしっかりしていた。バックパックとスナイパーライフルを背負った身体がぶら下がってもビクともしなかった。字矢は右側の壁に有る制御盤まで辿り着くと、片方の手は金枠を掴んだままで、その盤の側面に足を乗せて軽く踏みつけた。安定している事を確認すると、両足を乗せ、ライトで部屋に有る全ての制御盤の表面の表記を確認した。此処でも英語表記を期待したが、盤の表にある各種表記はアルファベットと数字で構成された記号や型式番号の類で、其れだけでは何の事か判らない物ばかりで有った。字矢は電線管と制御盤伝いに底まで降りた。パイプ椅子の隙間から底のドアのパネルが見える。何も点灯していない。通電していない様だ。中を開けようにも、此方のパネルカバーは壁と一体の様で外しようが無い。
「ん?!」
字矢はそのパネルの上に刻印されている文字を見つけた。“TXFC−63”と有る。ライトの角度を変えて微妙な光の当たり方で漸く見えるほど掠れていた。
「“TXFC”?!さっき見た時に有ったな…アレだ!」
左壁の中央に有る制御盤の表面に大きく“TXFC”と刻印されている。字矢は金枠と電線管を伝ってその制御盤まで攀じ登った。盤の扉は観音開きの様だ。鍵は掛かって無い。扉表面に有るスイッチには目もくれず、観音開きの右側、実際には下に開く方の扉だけ開けて、ライトで中を覗いた。中には複数のノーヒューズブレーカーが並んでいる。大体、縦一五五ミリ、横一二〇ミリ位の物ばかりだ。その内の一つに“TXFC−63”と刻印されたラベルが貼られていた。字矢はそのブレーカーが“OFF”になっているのを確認すると、レバーを“ON”の方に倒した。すると、金属が軋む様な音と共に、底のドアが左右にゆっくりと開いた。ドアの上に乗っかっていたパイプ椅子と机が落下した。直ぐに地面に打つかる音がした。見ると、底のドアの先には岩土の通路らしき地面が見えた。深い縦穴などでは無くて幸いだ。ドアが開き切ったところで、制御盤内部から激しい短絡音と共に火花が噴き出た。字矢は咄嗟に片方の腕で顔を庇うが、ヘルメットとガスマスクのお陰で火傷を負うことは無かった。ドアはそのまま停止した。その直後、再び遠くで何かの駆動音が聞こえると同時に軽い振動が伝わって来た。その音と振動は程無く収まった。
「何か色んな所に影響している感じだなぁ…。」
部屋の中が暗くなっていた。各制御盤表面に有るランプの類が全て消灯している。非常電源の電池切れか、回路接続が切り替わったのかは判らないが、電力供給が停止した様だ。“TXFC”制御盤からは煙も上がっていた。
「流石に寿命か。」
落ちたパイプ椅子と机のお陰で、岩土の通路の地面に異常が無い事も判った。字矢は開いた底のドアの縁に両手を掛けると、ぶら下がった。身体を前後に揺らし、真下に有るパイプ椅子と机を避ける様にして飛び降りた。
高さ約三メートの“光る石”混じりのその通路は前後に伸びていた。良く見ると、字矢が降りて来たドア以外にも数か所、天井に自動ドアらしき物が見える。字矢は自動拳銃を手にすると、特に考える事もせずに自分が今現在、前を向いている方へ進む事にした。
暫く“光る石”混じり岩土通路は続いた。例によって上下左右に曲がりくねった通路には分岐が無く一本道だ。やがて岩土の通路が平坦で真っ直ぐな通路になると、ある地点から線で区切ったかのように金属の通路に変わっていた。残念ながら“光る石”は配置されていない。字矢は単眼ナイトビジョンの電源を入れ、マウントアームを改造ヘルメットに取り付けると、バイザーを上げて眼に当てた。警戒しつつ、通路を進む。暫く直進が続いた。途中、左右に分岐が数か所見られたが、何れも金属板と何かの障害物で封鎖されていた。構わず直進する。すると、下り階段に差し掛かった。単眼ナイトビジョンの視界が見え辛くなる。眼から外すと、階段の下の方から赤い光が漏れているのが原因と判った。
更に警戒を強めながら、一歩一歩階段を降りて行く。下に着くと、通路の数メートル先で広い空間になっていた。足を踏み入れる。赤い光は、その空間の天井から発していた。金属の床から六メートルは上に有る天井には、四角い赤色照明らしき物が複数個、規則正しく埋め込まれている。“光る石”とは異なり、自然発光の様には見えない。
「此処も通電しているのか?」
赤く染まった空間は、まるでアナログカメラフィルムの現像室の様であった。十メートル四方は有るこの空間には、正面に先に続く通路と左右の壁に金属製の自動ドアらしき物が有る。それぞれの横に操作パネルも見える。
「?!」
背後に何かを感じた字矢は、瞬時に左に翻った。そこには、人らしき者の横顔が有った。長髪の其れは、眼を見開き、大きく開いた口には長い牙が見えた。その形相は明らかに人間では無い。字矢の自動拳銃が至近距離で火を吹く。牙男の側頭に命中。たが、出血は無い。
「%○+△$□−−!!」
牙男は体制を崩しながらも、意味不明な奇声を発した。その牙男の長く鋭い爪を持つ片手が字矢を襲う。字矢は体術を以って此れをかわすと、更にその襲って来た腕を掴んだまま、牙男の体制を崩して床にねじ伏せた。間髪入れず、後頭部に数発の四五ACP弾を打ち込んだ直後、再び背後に気配を感じた字矢は、前方に飛び込んだ。床で身体を回転させ、背後に向かって自動拳銃を撃つ。そこには、鋭い爪を横薙ぎで空振りさせていた別の牙男がいた。弾は外れて金属の壁に当たる。部屋全体に甲高い金属音が響く。
「速い!仕方ねぇ…。」
字矢は即座に背中からバックパックだけを外した。良く見ると、字矢が身に着けている防具の所々に爪跡が刻まれていた。牙男は、両手の爪を振り翳し、更には鋭い牙を向き出しにした口を大きく開けて字矢に迫る。字矢は体術で受け流すと同時に牙男の背後に廻り、既に左手でで抜いていた大型軍用ナイフで牙男の首を跳ねた。やはり出血が無い。
「ハァー、ハァー…。」
多少、息が上がっていた字矢はバックパックを拾いに行こうとした。だが、その時、先に後頭部を銃で撃って倒した筈の牙男がヨロヨロと立ち上がった。崩れていた顔も段々と元に戻りつつある。字矢は立ち上がった牙男の足を銃で撃って体制を崩すと、その横を駆け抜けた。字矢が振り返って確認した時には、既に牙男の首は床に転がっていた。二体の牙男の顔を改めて良く見た字矢は、自動拳銃のマガジンを交換しながら、
「こいつら、吸血鬼って奴か?それにしては高級感が全然無いなぁ…。」
容姿の見た目や服装が“吸血鬼”のイメージからは掛け離れていた。
「○△□%%+−φ♭……。」
正面通路奥から声と足音が聞こえて来た。声は意味不明ではあったが、落ち着いた低く通る如何にも紳士的なそれであった。足音が大きくなるにつれ、人型のシルエットが段々と見えて来た。赤色照明の為、本来の色は不明だが、耳に掛からない長さの髪はオールバックで整えられ、胸元と両手首に大きなフリルの有るドレスシャツ、所々に大きく複雑な刺繍が施されたタキシード、背中には衿の高いマント、そして尖った両耳で人では無い事も判る。字矢の目の前に姿を現したその人型は、先程の牙男どもとは真逆で、世間一般がイメージする絵に書いた様な高級感漂う“吸血鬼”のそれであった。字矢の方を向いているその顔は、落ち着いた中年紳士の表情から段々と両眼が大きく開き、軽く開いている口の上の二本の犬歯が伸びて鋭い牙となり、凶気の表情となっていた。
金属の部屋に銃声が響く。字矢は、自動拳銃を数発ぶっ放した。
「?!」
吸血鬼の下腹部に数か所穴が開いていたが、全く怯まない。それどころかその開いた穴は、数秒もしないうちに衣服に開いた穴を残して綺麗に塞がった。次は心臓を狙って撃ったが、そこに吸血鬼の姿は無い。吸血鬼は上空に飛んでいた。両手の爪を振り翳し、上から字矢を襲う。字矢は前方にダッシュして此れを交す。すぐさま振り向くと、吸血鬼の大きく開いた口と牙が目の前に迫る。字矢は素早い動きで、体術を以って此れを受け流すと同時に吸血鬼の体制を崩すと、更にナイフで吸血鬼の両手首を切り落とした。止めに首を刎ねようとしたが、吸血鬼の姿が消えた。瞬間、字矢は横に走り出す。走りながら背後を振り向くと、部屋の端から吸血鬼が迫る。両手首は既に復元済みだ。自動拳銃で狙い撃つが、全て当たる寸前で横に交される。弾が尽きた自動拳銃のスライドが開く。自動拳銃を手放した字矢は、すぐさまスナイパーライフルに持ち替えた。その間も吸血鬼を凝視していたが視界から消える。字矢は再び背後に廻り込まれた事に気付いた。咄嗟に両膝を曲げ、前屈みで斜め前方にダッシュする。だが、その動きは明らかに出遅れている事を、字矢は自覚していた。今振り向いても間に合わない。
(クソッ!殺られる!)
字矢に戦慄が走る。
「%○+△$□−−!!」
異様な悲鳴と共に銃の連射音が字矢の背後で鳴り響いた。
(この音、アサルトライフル!まさか?)
字矢はスナイパーライフルを腰溜めで構えながら振り向く。そこには、既に首と胴が切り離された吸血鬼の姿が有った。未だ宙を浮いているその首は連射の的になったのか、顔の半分が崩れている。更には、次の瞬間、吸血鬼の胸から黒い刃物の先端が突き出て来た。丁度、心臓の辺りである。何者かが背後から突き刺した様だ。その突き出た先端が素早く引っ込むと、首無しの吸血鬼の身体が膝から崩れる様に床に倒れた。
(女?…。アレは!間違い無い、アサルトライフルだ。コイツ、何処から来た…。)
吸血鬼の背後にいた人物が姿を現した。精悍な顔の美女だ。“ソバージュロング”の髪は背中まで有る。右耳の辺りの髪を三つの細長い三角ヘヤピンで後ろに流して、額の一部を出している。派手な装飾が施された中世ヨーロッパの“スチームパンクコート”に、複数のバックルベルトの付いたロングブーツを身に着けている。その美女は字矢の方に顔を向けると、
「待て!敵じゃない…。」
字矢は耳を疑った。ここに来て言葉が解る人物に出会えたのか?尚もスナイパーライフルを構えてはいたが、気が抜けそうになる。女性は片方の掌を字矢に向けながら、ゆっくりしゃがむと、アサルトライフルを床に置いた。両方の掌を向けたまま再度ゆっくりと立ち上がりながら、
「落ち着け、武器を下げてくれ、私の言う事、解るか?」
女性の言葉は、字矢の耳には間違い無く日本語に聞こえた。だが、女性の口の動きと全く合って無い。字矢は違和感を抱きつつも、
「あぁ…、良く解る…。」
字矢は答えると、スナイパーライフルの銃口を下に下げた。
「良かった。『翻訳の指輪』を装備していて正解だな。あぁ、済まない。私はヘンリエット、ヘンリエット・タールベルクだ。貴殿は?」
ラグザスタン所属のクィーン・ヴァンプ=ヘンリエット・タールベルクは、自らの名を名乗ると字矢に問いかけた。
「アザヤ、アザヤ・カキザキだ。」
普通に“カキザキ・アザヤ”と名乗れば良かったのだが、字矢はヘンリエットの見た目と名乗りに釣られて、無意識に口に出てしまっていた。
「アザヤ、噛まれて無いな。怪我も無さそうだし、無事で良かった。」
「危ない所だった。有難う。ところで…何で言葉が通じるんだ?」
「この指輪のお陰だ。」
ヘンリエットは右手中指に嵌められた指輪を見せた。
「『翻訳の指輪』と言って、強力な魔力の込められたアイテムだ。その効果は、異国の者同士や異種族同士が、お互いの言語を全く知らなくても会話が出来ると言う物だ。今で言えば、私は自分の国の言語で話しているが、アザヤにはアザヤの国の言語に置き換わって聞こえている筈だ。アザヤの話す言葉も私の国の言語に置き換わって聞こえている。」
「魔力の力…か…。」
信じ難い話しでは有ったが、ここに至るまでの事を考えれば、今更驚く事でも無かった。同時に口の動きが合って無い理由も理解出来た。字矢は疑問が晴れた上で、
「俺は自分のいた時代に戻りたい。差し当たり、この時代に来る為に使用した装置が、地盤沈下で落下した場所に行きたい。俺一人では辿り着けそうにない。ずっと彷徨っていた。力を貸してくれ!ヘンリエット!」
字矢は、ここぞとばかりに頼んだ。勿論、ヘンリエットを完全に信用した訳では無い。だが、話しの通じる、況してや仮にも自分の窮地を救ってくれた相手に頼む以外には考えられ無かったからだ。
「流石に一万七千年前から生き続けている訳では無さそうだな。時間を越えて来たと言う事か?」
「あぁ、六万三千二百二十五年前の時代から来た。“光る石”を二つ回収して帰還するだけの簡単なミッションの予定だったが、地盤沈下のせいで全てが狂った。危険生物と遭遇する可能性が有ったので、多少、大袈裟な装備を身に着けて来ていた。そのお陰で死なずに此処まで来る事が出来た。だが、何れ銃の弾が尽きる。そうなれば終わりだ。」
「出会えて良かった。勿論、協力する。安心しろ。実は、私の仲間達がアザヤを見かけていたのだ。丁度、アザヤがランプレイ・ドラゴンと戦っている時だ。」
「ランプレイ・ドラゴン?…ドラゴン!管状の頭に眼が八つ有るドラゴンの事か?」
「そうだ。人間の仲間達が高台に有る、一部の壁が無い部屋から見ていた。」
「つまり上から見られていたと言う事か…。」
字矢にしてみれば、管頭ドラゴンとの戦いで精一杯。誰かに見られている事など、況してや別ルートの部屋が高台に有るなど気付く筈が無い。と、此処で字矢は有る事に気付く。
「人間の仲間達?人間じゃ無い仲間も居るのか?」
ヘンリエットの顔を見詰めながら問いかける字矢で有ったが、今更ながら気が付いた。赤色照明の為、本来の顔色こそ判らないが、恐ろしい位の美しさと、話し方こそ人間と変らないが、その表情は殆ど無表情だ。耳こそ尖ってはいないが、明らかに人間にしては不自然だ。何かを察したヘンリエットが、再び両掌を前に出しながら、
「待て!確かに私も人間じゃ無い。上級の女吸血鬼だ。でも恐れるな、安心しろ。そこに倒れている人を襲う吸血鬼共と一緒するな!私は影で魔物から人々を守っている組織の一員だ。」
「影の組織…。」
「そうだ。“ラグザスタン“と呼ばれている。六万年以上前から存在する。三人居る上級の吸血鬼は私を含めて親の代から、それと、”ハイエンシェント“と言って、眉間にもう一つ眼が有る”三つ目の神“の様な存在も四人身を置いて居る。彼らは私たち吸血鬼よりも遥かに長寿で、寿命が三十万年前後も有る。そして、一万七千年前までは居た人間の仲間達は銃火器を含めてアザヤと同じ様な装備を用いて魔物共を退治していた。だが今の人間達は違う。銃火器が有った頃の文明を知らないからなぁ。今居る人間の仲間たちは剣と魔法で戦う者達だ。」
ヘンリエットの口調は何か懐かしそうである。
「三つ目の神様に俺と同じ装備の人間か…。」
(もしかして、若作りの騎士野郎が問答無用で襲って来た事と何か関係が有るのか?)
ヘンリエットの話を聞きながら、そんな事を考えていた字矢であったが、ふと床に眼が行った瞬間、背筋が凍った。命綱の一つとも言うべき、単眼ナイトビジョンが無惨にも真二つにされた状態で転がっていた。無駄な事と知りつつも、右手でヘルメットのジョイントを触る。マウントアーム自体も途中から切断されているのが感触で直ぐに判った。
「ヘンリエット、俺は暗闇で行動する為の道具を失った。吸血鬼共に襲われた時に破壊された様だ。今気付いた。ハンドライトは有るが、敵に此方の存在が気付かれてしまう…。」
字矢は破壊された単眼ナイトビジョンを指差しながら話した。
「私は上級の吸血鬼だ、暗闇は寧ろ得意な場所。何も心配いらない。任せろ。何れにしても一度、私達のアジトに行こう。アザヤの行きたい場所がこの迷宮内の何処か調べる為にだ。ただ、私もこのルートは初めて来た。来る途中の扉と言うか壁も閉じてしまって戻る事が出来ない。」
「初めてのルート?」
「えぇ、つい数時間前、毎日調査しているルートを歩いていたら、その一部の壁が、轟音と共に上にスライドした。壁が天井に収まると、今で知らなかった通路が現れた。それで早速、調べに入って来た訳だ。」
「あっ!」
字矢には思い当たる節が有った。
「俺もその轟音は複数聞いた。ただ音自体は遠くからだったが…。」
「そうだったのか。スライドする壁は数か所有った様で、私が入って来たそこの扉の数メートル先の分岐の通路が、私が通った直後に天井から壁が下にスライドして閉じてしまった。」
「アジトには辿り着けるのか?」
「常にアジトの有る方向が判るアイテムを持っている。いざとなれば、仲間に居場所を知らせる方法もある。任せろ。」
「頼む。」
字矢は急ぎバックパックを背負い、スライドが開いたまま床に落ちている四十五口径自動拳銃を拾い上げた。
ヘンリエットも床に置いたアサルトライフルを拾い上げると、スリングを肩に掛け、いつでも撃てる様に構えた。自らがこの部屋に入って来た扉の前に立つと、扉は横にスライドして開いた。
「行こう。」
「あぁ。」
二人は通路を進み、分岐まで来ると、閉じた壁の有る通路とは別の通路を進んだ。