臆病な告白
この冬は記録的な暖冬だとニュースで報じられていたが、それでも手袋がないと少しだけ肌寒さを感じる日々が続いていた。
普段は学生や主婦らしき人たちで賑わっている商店街も、今日はいつもと違って、特別な雰囲気が漂っていた。街行く人たちの声や歩みもどこか躍動的で、喜びや期待に溢れているように感じられた。
まるで、この街全体がクリスマスを待ち望んでいるかのようだった。
きらびやかなイルミネーションや、ジングルベルの音楽で、今日が何の日だったかを思い出す。
しかし、その喧騒の中に身を置きながらも、僕は深いため息をついた。
クリスマスはあまり好きではなかった。
別に何か悪い思い出があるわけではない。
ただ、いつも通りの日常とは違った、孤独感や寂しさが押し寄せてくるような、そんな気分にさせられるからだ。
周りの友人らは、恋人や家族との幸せな時間を送っている中、自分は今年も一人きりで過ごすことになる。彼らが築いている「普通のクリスマス」の姿を目にすればするほど、自分が孤立した存在であるかのように感じられた。
それが普通の人間の感情なのだろうか。あるいは、自分は普通ではない、異常者なのだろうか……。そんな疑問が頭をよぎる。
僕は、心を摩耗し続けるこの日を、好きになれないでいた。
洋菓子屋や精肉店が賑わいを見せる中、僕は一人でコンビニに立ち寄った。
クリスマスソングが流れる店内には、チキンの宣伝が至る所に貼られており、クリスマスの陰鬱な影がまた一つ、心に迫る。この街中がクリスマスの魔法にかかっている中、自分だけが取り残されているような気がしてならなかった。
「あれ、隆太じゃん」
声をかけられ振り向くと、彼女はにっこりと笑っていた。
「あ、彩音……?」
その眩しい笑顔に、少しだけ胸の高鳴りを感じた。
「久しぶりだね! これから晩酌?」
彼女の明るい声が、憂鬱だった僕の心を明るく照らす。
「そうだよ。今日は一人で宅飲みでもしようと思って」
彼女は眉をひそめて、僕のカゴに手を伸ばした。そして、彼女がカゴに缶ビールを入れるのを見て、僕は驚きの表情を浮かべた。
「一人で飲むより、一緒に飲んだ方が楽しいでしょ?」
彩音の提案に即座に頷きたかったが、「誠実」という名の臆病さがそれを拒んだ。
「えっと……彼は大丈夫なの? 付き合ってたよ
ね?」
僕は恐る恐る尋ねた。
彩音と彼との関係を知ってるからこそ、僕は何かに期待していたのかもしれない。
「うーん、そうなんだけどね。今日も夜勤なんだってさ。本当はどこで何してるんだろうね」
彩音の言葉に、僕は少しだけ安堵した。
しかし、その安堵の中には、同時に強い罪悪感が混ざっていた。
顔を背けていた彼女は、「そんなつまらない話どうでもいいでしょ!」なんて言いながら、僕の手から買い物カゴを奪うと、そそくさとレジへと向かった。
店内に流れていた「ジングルベル」も、気がついたら「サンタが街にやってくる」に変わっていた。
こんな不誠実な僕の元にも、サンタはやってくるのだろうかーー。
そんな不安と希望が入り混じった想いを抱えながら、僕は彼女の後を追いかけた。
ーーー
家に誰かを呼んだのはいつ振りだろうか。
まして、年頃の女性が来ることなんて、大学の時以来かもしれない。
飲み始めてから数時間が経ち、彩音は僕の肩にもたれて眠っていた。彼女の穏やかな寝顔を見つめていると、ふと過去の記憶が甦る。
あの日もたしか、こんな寝顔だったっけなーー
あれは大学3年の春。サークルの合宿で、夜遅くまでみんなで飲んで騒いだ後、彩音が酔い潰れて僕の部屋まで連れてこられた。友人たちは「隆太、面倒見てやれよ」と言い残して部屋から出て行った。
彼女は酔いが覚めるまでの数時間、僕のベッドでぐっすり眠っていた。そのときも今と同じような、とても穏やかな寝顔だった。僕は彼女を見つめながら、ずっと心の中で告白のタイミングを図っていた。
翌朝、彼女が目を覚ますと、何事もなかったかのような笑顔で「ありがとう」と言って部屋を出て行った。僕はその瞬間、胸が締め付けられるような寂しさを感じた。
そして、あの日から数日後、僕は意を決して彼女に想いを伝えた。
「彩音……君のことが好きだ。ずっと前から……」
彼女は少し驚いたような顔をしたが、すぐに優しい笑顔を浮かべて言った。
「ごめんね、隆太。今は誰とも付き合う気はないんだ。就活もあるし」
その瞬間、僕の心は音を立てて崩れ落ちた。彼女の笑顔が逆に辛かった。それ以来、彩音とは普通に接するよう努めたが、心のどこかで距離を感じてしまった。
今、こうして肩にもたれて眠る彼女を見ると、あの頃の切なさと一緒に、やはり彼女に対する想いが心の中でくすぶり続けているのを感じる。
「彩音……」
小さく呟いてみるが、彼女は何も反応せず、ただ穏やかに眠っている。過去の傷を引きずりながらも、彼女との再会がもたらした小さな灯火を見つめて、僕は静かに心を整理していく。
やがて、彩音がゆっくりと目を開けた。
「ごめんね、久しぶりに飲んだからさ……寝ちゃったみたい」
彩音は申し訳なさそうに微笑んだ。その笑顔が、僕の心をチクりと刺した。
「いや、気にしないで。僕もさっきまで寝てたから」
僕はそう言って微笑み返した。
彩音がソファに掛け直し、僕も隣に座る。ビールの残りを飲み干しながら、僕は心の中で葛藤していた。再び彼女に想いを伝えるべきか、それともこのまま良き友人を続けるべきか。
「彩音……」
彼女がこちらを見つめる。その瞳に、僕は思い切って言葉を紡ぎ出す。
「やっぱり、僕……彩音のことが好きなんだ。ずっと前から変わってない。付き合ってる人がいるのは分かってる。だけど、もう一度ちゃんと伝えたくてーー」
部屋に静寂が訪れる。彩音は何も言わず、ただ僕を見つめている。その瞳に映る感情を読み取ることができず、僕は心臓が破裂しそうなほど緊張していた。
やがて、彩音はそっと目を伏せ、重い空気を感じたのか、小さくため息をついた。
「隆太……」
彼女の声が静かに響く。そして、彩音は何も言わずに立ち上がり、玄関の方へ向かう。僕はその背中を見つめながら、言葉を失っていた。
彼女が玄関で靴を履く音が聞こえる。ドアを開ける音と共に、僕の心には再びあの時と同じ切なさが押し寄せた。
そして、振り返ることなく、彩音は何も言わずに部屋を出て行った。
しばらくの間、僕はただ立ち尽くしていた。
彼女が去った後の部屋には、静寂だけが残っていた。僕は深く息を吸い込んで、彩音の残り香を感じながら、この現実を噛み締めた。
何も言わずに出て行った彼女に対して、僕は何を求めていたのだろうか。返事を待っていたのか、あるいは自分自身の気持ちを再確認したかっただけなのか。答えは見つからないまま、心は揺れ動いていた。
テーブルの上には、二人で飲み干したビールの缶と、食べかけの唐揚げが寂しげに残っていた。ふと、彼女がビールをカゴに入れた瞬間が頭をよぎる。あの時、僕は何かを期待していたのだろうか。
ソファーに座り直し、僕はぼんやりとその景色を見つめた。これからどうすればいいのだろうか。彼女の気持ちを尊重するべきか、それとも……考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていくように感じた。
その時、テーブルの上のスマートフォンが震えた。画面を見ると、彩音からのメッセージが届いていた。胸が高鳴り、震える手でスマートフォンを手に取る。
「ほんと、タイミング悪すぎ(笑)」
短いメッセージだったが、その言葉にはどこか温かみが感じられた。思わず苦笑いを浮かべながら、僕は返信を打ち始めた。
「そうだね。でも、話せてよかった」
返信を送り、スマートフォンを置いた。
再び目を瞑り、今日の出来事を思い出す。
この先、彼女との関係がどう進展するかはまだ分からない。もちろん、上手くいく保証なんてどこにもない。
それでも、今年のクリスマスは少しだけ、特別に感じられたーー