後日譚・狡猾一途
「ドノバンはどうなるのかしら」
廊下を並んで歩くクルトに尋ねる。
プロムの日から一週間。ドノバンが私に面会したがっていると聞いて、王宮にやってきた。もしかしたら謝罪してくれるのかもと淡い期待を抱いたからだけど、彼の目的は舌の返還だった。どうすれば戻るのかは、私も知らない。
面会は不穏なままに終わり、今はエントランスに向かっている。
「毎日いくつもの被害届が出されているんだ」とクルトが呆れ声で答えた。「気に入らない生徒、使用人に暴力をふるったり追放したりが常態だったようだ。市中引回しをしてから追放ではないかな。鉱山あたりに」
攻略対象だというのに、ずいぶんとひどい人間だ。やっぱり略奪推奨ゲームなんて、ろくなものではなかったんだ。喜々としてプレイしていた前世の自分が恥ずかしくなる。
「ところでドノバンの従者、リカルドのことなんだけど」とクルト。
足を止めて彼を見る。
「父には王宮内に正体不明の協力者がいたのだが、それが彼だった」
「まあ」
目を見開き、驚いたフリをする。
プロムの日にリカルドから、私にも知らせず内通していたと告白された。ドノバンの国費流用の証拠を抑えたのは彼だし、国王のほうでも暗躍していたらしい。
そうやって王宮が新体制なったら厚遇されるよう、備えていたそうだ。
現在リカルドは祖父の伯爵に引き取られ、養子縁組の手続きをしている。
「蜂起するまでは、王太子に非道な扱いを受けている気の毒な従者なのだと思っていたけど、そうではないようだね」
クルトがにっこりとする。
「ライバル宣言をされたよ」
「え? ライバル?」
カッと頬が熱くなる。
ライバルとは、私についてだろう。プロムのあとはかなり濃厚に口説かれて、あやうく初日に陥落してしまうところだった。
……別にそれでもいいのだけど。
せっかくだから、『本気を出す』というリカルドを長く楽しみたいじゃない。
クルトの手が頬にふれる。
「妬けるな。君が一目惚れしたのは、僕だったよね?」
「えっ……と。あの。そ、そうね」
心臓がどぎまぎいう。まさかクルトまで私を好きだというの?
婚約をしていたのは子供のころの短い期間で、会ったのは数える程度。いまの彼に好かれる理由なんてないと思うのだけど。
あ、まず手から離れなくては。
「僕もいい男に育っただろ?」
顔を引こうと思ったそのとき、耳のそばでパシリ!と音がした。
「ッ!」
クルトが顔をしかめて手を引く。その甲が赤くなっている。
なにがあったの?
彼が廊下の先を睨む。振り返ると、不機嫌な顔をしたリカルドがすぐそばまで来ていた。
もしかして彼が魔法で攻撃したのだろうか。
「グウェン」とリカルドがクルトに触られた頬に手のひらを当てた。「なにを触られている。拒め」
「あなたも勝手に触れているわ」
「俺はいいんだ。いずれ君からねだってくる」
「ずいぶんな言い様だな」とクルト。
「決まりきった未来だ」
ふたりの間に火花が散ったように見える。
これはまずいのでは?
「勘違いだったら恥ずかしいのだけど、クルトは私を好きなのかしら」
「どう思う?」
質問を質問で返された。
「かつて理不尽に奪われた婚約者が、予想以上に美しい令嬢に成長している。心が動くのは当然だよね」
「軽薄な」リカルドが私の腰に手を回し、引き寄せた。「異国で嘆くしかできなかった意気地なしは引っ込んでいろ」
「君だってドノバンが失脚するまでは、なにもできなかったのだろう?」
「ふたりとも、やめて」
廊下を行き交う軍人やら侍従たちが、私たちをちらちらと見ている。『あれがリカルドの本性か!?』なんて声まで聞こえるし。
「だけどね、グウェン」とクルト。「愛しい元婚約者が、狡猾で裏表が激しい闇魔法の使い手に言い寄られているんだ。見過ごせないよ」
またしてもクルトとリカルドの間に火花が散る。
「もう、やめてちょうだいってば!」
クルトが私を見た。
「驚かないね。闇魔法のことを知っているんだ」
しまった。ふたりのいがみ合いに気を取られていた。
「そうね。知っているわ」正直に答える。「ドノバンとの気が滅入る婚約を、六年間裏で支えてくれたのがリカルドなのよ」
クルトが眉を寄せ、リカルドは私を更に引き寄せた。
「あなたの言うとおり、狡猾だし性格も良いとは言えない。急に口説かれはじめて戸惑ってもいる。でも、イヤではないの」
「当然だ。それだけの信頼関係を築いてきた」
リカルドを見る。自信に満ち溢れた顔をしている。
「好きになるかどうかは別よ。あなたの手腕がどんなものか、楽しみにしているのだから」
「ほぼオチかけているくせに」
「まだよ!」
「心配だなあ」クルトがそう言った次の瞬間、リカルドが小さな悲鳴をあげて私の腰に回していた手を離した。
「お返しだよ」と笑顔のクルト。「それから、僕は結婚予定の恋人がいる。さっきのは勝手にライバル宣言をしてきたリカルドへの意趣返しだ」
リカルドが不満げに鼻を鳴らす。
「だけどグウェンのことは本気で案じている」
「余計なお世話だ」リカルドがそう言って、ふたたび私の腰に手を回した。「行こう、グウェン。俺はふたりきりでむつみ合いたい」
クルトに異性として好かれているのでないことにほっとして、ありがとうと礼を言う。
「礼はまだ早いよ。場合によっては、徹底的に邪魔をするからね」
「そんな必要はないわ」
「そうかな」と笑顔のクルト。
「必要ない」と断じるリカルド。「俺はグウェンの益にならないことはしない」
「なるほど」
クルトはうなずき、それ以上はなにも言わなかった。
挨拶をして彼と別れる。
「さて、グウェン」リカルドが歩きながら私の顔を覗きこむ。「とっておきのデートスポットがある。俺とふたりきりで行きたいか? 安全な屋敷に帰りたいか」
「デートスポットは安全ではないということかしら?」
「令嬢的には、恐らく」
「屋敷と選択したら?」
「無論帰さないでデートスポットへ行くし、『恐らく』ではなく『絶対』にする」
「ひどい選択肢だわ」
「狡猾で性格の悪い悪役だからな」
「仕方ないわ。屋敷にするわね」
歩みが止まる。リカルドが意外そうな表情になっている。
「迎え撃ってあげるわ。覚悟なさい」
本当はあんまり自信はないけれど。リカルドの本気には、私だって本気の対応をしたい。
「参ったな。ますます君を好きになる」
そう言ってリカルドは私を抱きしめた。王宮の廊下で! ひとが行き交っているというのに。
「好きだ、グウェン。俺のものになって」
「ええ。――あ!」
あんまりストレートな告白に、つい返事をしてしまった。まだまだ楽しむつもりだったのに。
くっくっと笑うリカルド。
「可愛いな、グウェンは。俺に激ヨワすぎる」
「そんなことはないわ!」
「そうか。ではもっと心して口説かないといけないな」
これ以上本気を出せるということ?
やっぱり激ヨワでもいいかもしれない。
すでにもう、心臓が爆発しそうなくらいにうるさいもの。
「いいわ、こうさ――」
唇に指を当てられた。
いたずらげな表情のリカルド。
「六年ぶんの俺の思いを受け止めてもらうからな」
ちょっと待って。
それは重いわ!
でも、いいか。
心臓なんて爆発させておこう。きっとリカルドが治してくれるから。
《おしまい》