第3話・完全勝利
私の足元に、ポトリとなにかが落ちた。どこから現れたのか、わからない。リカルドがかがみ、ハンカチで包んで拾う。
「舌みたいですね」
ドノバンが口を開きよだれを垂らしながら、うめき声のようなものをあげた。舌がない。まさか『二度と嘘をつけなくなる』の約束のために、舌が切り取られたのだろうか。これでは嘘どころか言葉も発せない。
まあ、自業自得だ。
「殿下のでしょうか。どうぞ」
冷静なリカルドがソレをドノバンに差し出す。だけど彼の手に渡る前に、サラサラと粒子になってこぼれ落ちてしまった。
床に広がった砂のような粒を、王太子が膝をついて必死にかき集めている。
「ま、魔力をこめたからって、こんなことになるはずがないわ!」
キャンティが叫ぶ。彼女も怯えているのか、小刻みに震えている。
「私もここまで強い効力があるとは思いませんでしたわ。ちょっとしたお守り程度のつもりで魔法契約にしたのですもの」
――嘘だ。私は最初から、ドノバンに断罪されたら倍返しをするつもりだった。そのためにラスボスを頼ったのだから。
バッドエンドなら私は聖女として覚醒する。それはつまり、私にはそれだけの能力が秘められているということ。だからラスボスに、能力を開花してくれるよう頼んだ。悪魔の力を借りたラスボスには造作もないことだった。
その代わり、私はラスボスと魔法契約を結んだ。彼の復讐に手を貸し、身の安全に尽力すると。
だって私は悪役令嬢だもの。不幸な未来を変えるためなら、なんだってするわ。
突然プロム会場に、数人の軍人がなだれ込んできた。悲鳴をあげる生徒たち。ドノバンは身振り手振りで私を逮捕しろと訴える。
だけど軍人たちは王太子をとり囲み、書状を読み上げた。
それはドノバンが犯した罪の数々で、嫌がらせやカンニングといったものから、国費の私的流用まで多岐に渡った。
「約束のふたつめ、か」とリカルドが呟く。
『ドノバンに責がある罪を明らかにする』、だ。
書状を読み終えた軍人が、ドノバンを縄でしばりあげる。そして、リーダーらしき男がぐるりと見渡した。
「我々は、すでに国王も国民に対する背信罪で逮捕しています。国王も王太子も裁判にかけて、犯した罪にふさわしい処罰を与えます。みなさんには新生国家をつくるためのご協力をお願いしたい」
私は手を叩いた。リカルドも。すぐにほかの生徒や教師も続き、会場は万雷の拍手に包まれる。
自己中心的で横暴な王族に、みんな辟易していたのだ。
リーダーが帽子を取って、頭を下げる。
「プロムを邪魔して申し訳なかった。ぜひ学園最後のパーティーを楽しんでほしい」
ふたたび拍手が盛り上がる。
「あ、あの、あの」
蚊の鳴くような細い声。キャンティが両手を体の前で握りしめ、カタカタと震えている。彼女は私にいじめの罪を着せていたのだ。どんな罰がくだるのかと不安になっているのだろう。
「ご、ごめんなさい。謝るから許して」
「私は嘘をつかないよう、あなたに再三警告しましたよ」と、リカルドが冷ややかに告げる。
キャンティの目に涙がたまる。
「夢を見ちゃったんです。貴族になれたから、もしかしたら王妃にもなれるかもって」
「言い訳にもならないな」とリーダーが言う。
私もそう思う。だけど彼女は略奪をテーマに掲げた乙女ゲームの主人公なのだ。ゲームに抗えなかっただけ、と言える。
「許すつもりはありません」とキャンティに伝える。
彼女の涙はますます増えた。
「だけど、婚約者がいるのにあなたの誘惑に乗った人間が一番悪いわ。だから今回だけは見逃してあげます。庶民に戻って、相応の暮らしをなさい」
「いいのですか!」
「チャンスは一度だけ。あなたがまた誰かの婚約者に手出しをしたら、私は訴えるわ」
「ありがとう!」
キャンティはペコペコとなんども頭を下げ、そして走り去った。
「甘い」とリカルドが呟く。
だけど私は約束の魔法を成功させるため、あえてドノバンとキャンティの仲を見過ごしてきたのだ。利用したのだから、このくらいはしてあげてもいいいと思う。
「ドノバンの横領は彼女へのプレゼントに化けたんだがな」
とリーダーが言う。
「アヒム・ヒュフナー様」と、私は彼の名前を呼んだ。
かつての婚約者の長兄だ。
アヒム様は笑顔になった。
「久しぶりだね、グウェン。実は裏で入るタイミングを見計らっていたんだ。君がまずいことになっていて心配したんだが、杞憂だったようだ」
「ええ。彼のおかげで賢くなりましたから」と、ほかの軍人に引きずられて、プロム会場を出ようとしている元王太子を見る。「クーデターの首謀者は?」
アヒム様が笑う。
「父だよ。クルトの一件以来、ずっと機会を伺っていたんだ。君の父上の協力もある」
「そうでしたの」
実は知っている。けれどなにも知らない無垢な令嬢のフリをする。
「グウェン」と、もうひとり、この場に残った軍人が声をかけてきた。
彼の容貌が変わる。魔法だ。魔術師しか使えない、高度な技。現れた顔はどこか見覚えがある。
「もしかしてクルトなの?」
かつて私が利用して婚約した、クルト・ヒュフナー。隣国に追いやられて以降、ドノバンの指図で一度も帰国できていなかった。
「ああ。しばらく前にこっそり帰国してね。父たちの手伝いをしていた」
「元気そうでよかったわ! ずっと心配していたのよ!」
それと、お詫びを。巻き込んでしまったことを六年間悔いてきた。
「ありがとう」とクルトが優しげに微笑む。「君はますますキレイになったね」
つい、とリカルドが私の前に進み出た。
「いつまでも軍人がいては、プロムを再開できません」
クルトが苦笑する。
「確かに。仕事に戻るよ。積もる話はまた今度にしよう」
「そうね」
「僕ね、本当に魔法の才能があったんだ。魔術師養成学校は首席卒業だよ。だから」とクルトはリカルドを見て、さわやかに微笑んだ。「君の魔力が普通ではないこともわかるよ」
『それではまた』と言って、ヒュフナー兄弟は仲間たちの後を追っていった。
リカルドと見つめ合う。
学園長がプロムパーティー続行の宣言をする。歓喜の声がそこかしこで上がり、楽団が音楽を奏で始めた。