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日々つれづれなることを、書け!  作者: 三屋城 衣智子


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死の地点から生きるを見る

 死にたくないなと思うことが増えた。

 昔の私からは、考えられない事態。


 人によっては不幸だと嘆くだろうし、人によっては幸運だと天を仰ぐだろう。


 今の私は、ひどく幸せで、とても死に絶望している。




 幼少期、世の中に当たり前に点在しているだろう環境下で、いらない子、存在意義が無いとずっと感じていた。

 この辺りのことは、いずれ私小説にでもしてみたいのだけど……書きたいものが渋滞中で、タイトルだけ決めた状態。


 こういったことを書いたもんだから、やれメンヘラだの言う人に目を付けられたんだろうけど。

 私は作品において、時に赤裸々に書き綴ると決めている。

 口癖のようなもので。

 意図しようとしまいと人の言葉によって生かされた私は、人の言葉の力を信じているし。

 また、実体験から紡ぐ私の言葉もまた、巡り巡って、誰か一人の肩くらいは、そっと(いだ)くことができるだろうと考えているからだ。


 そんな私は、二十代に差し掛かった時に夢を納得ずくで諦め、就職をした。

 家族経営のその印刷会社は、既に単価下落で薄利多売の商売を長年続けていて。

 試用期間が三ヶ月前倒しで始まる、という珍しいところだった。

 同期が試用期間中七日目にして離脱。

 私も人見知りと、教えるというより一回仕事内容を聞いたら即戦力、という環境と。

 尋ねた途端にため息が降ってくる人間関係に、本採用から一週間経つか経たないかで離職した。

 同期で一人だけ残ったが、今も勤めているかはわからない。


 ちなみに個人的にその就職先には、戦力にならず申し訳ない気持ちと。

 その使用期間三ヶ月中、就職に有利な検定を受けられる授業内容と合格する心持ちだったのに、計画をぶち壊されたので非常に恨んでもいる。

 現に友人はその期間に合格した検定によって、職種ごと転職が叶った。

 だのに私はそれが無かったのと、三ヶ月間習えたはずの事柄がすっぽり抜け落ちていて、経験値ごとポンコツになってしまったので、当時の他者の顔色を窺うコミュ障っぷりと相まって再就職どころかパート一つ探すにも苦労をした。


 そんな時期を経て立派にヒッキーとなった私は、心もバキボキだった。

 宇多田ヒカルみたいに歌声がバキバキに凄く、は、ならなかった。

 もともと、いていいのか、折角産んでもらいなんとなしの愛情を感じてもいてその親を悲しませていいのか、いやそれだって働き手として必要なだけなのでは……などの葛藤があったがより強くなった。

 それは社会へもで。

 うまく働けなかった私は人材としてコンクリに混ぜ込む砂利にさえ到達していない、くらいの勢いだった。


 自身の存在を自分で肯定できたのは、結婚してからだ。

 そこでも子の存在を介在し、言語化の種の違いをお互いが理解してない事態には四苦八苦した。

 ぶっちゃけてしまえば、私は平均的能力はあったのに自分を過小評価していたし、相手は自分のある特定の能力が凹であるところを平均より高いと思い込んでいた。

 私は私のアイデアを押し切る事に消極的すぎたし、相手は相手で自分の思い込む性格を知らぬまま私こそがおかしいと糾弾すらされた。

 私に自分のやり方が当たり前だから取り入れろと言うばかりで、臨機応変さが必要な場面でも、私が実践してみせた有効打も、一度決めたやり方が変えられないゆえに興味もないようだった。

 私は私で自分が最低限かそれ以下の能力であり、他者にも自分と同等の能力は当たり前に備わっているだろうから、要求しても良いと思い込んでいた。

 私はとても傲慢に見えただろう。


 転機は、思いきって私が変だと言うなら医者にお墨付きをもらってくる、と言ったこと。

 他にも色々要因はあったが、そこは個人特定が容易になりかねないため、端折る。

 この時、別に自分がまっとうと思っていたわけではない。

 ただ問題が私にあるならば、工夫を授けてもらったり、なんらか変化させるきっかけになればいいなと思っただけだった。


 とにかく数奇な経緯でウェクスラー検査を受けた私は、喉から手が出るほど欲しかった「普通」という称号を手に入れた。

 知覚推理が128以外、どの数値も実に平均的だったのだ。

 そのかわり、凹もなかったのは一応の幸いだろう。

 自分を器用貧乏ではと疑っていたが、数値として改めて知った形とも言える。


 知ってみればあっけなかった。

 自分が変かもしれないとうん十年悩んでいたことは、まさに悩まずとも良かったことでもあり。

 ただただ、ヤングケアラーなどであったことからの不調であり、蓋を開けてみれば平均的なNISSAN あ、安部礼司と同等くらいの私しかいなかったのである。


 そうして振り返ってみれば、しょうがないで受け入れてきたことも、悲しかったり死にたかったことも。

 いつの間にか、思い出に変わっていた。

 その時々で死んだ方がいい、と思ったことも。

 子のためにも死ぬ訳にはいかぬ、となった峠を越えればなんてことはない、相互理解がなかった故のいらぬ命の放り投げだった。


 相手を知れば、自分に責任がないことがわかった。

 対処法も、あった。


 何より。

 私が決めていいのだ。

 相手になんと言われようと。

 相手が自分より上で何もかも見通せて私を要らないと判断しているわけでなく、なんとなしいなくなれと思っている時もあるし。

 自分を有能と勘違いしている他人から、意見を排除される時もある。

 私だって他者をできるできないで見る時だってあるし。

 恨みからちくちく言葉を放つ時だって、ある。


 でも。

 そもそも自分がいたくているならば、他者を害しない限り自由だ。

 そして常に二元論で見る人はごく少数で。

 誰だって他者のいいところを見つめる時間はある。

 まぁ、常にぐちぐちして御意見番の如く上から目線の具体性なしな言葉を投げてる人もSNSにはいるけれど。

 それだって、一人でやっている分には自由だ。

 もちろん、私がそれにカウンターアタックするのだって。


 気づけば、本当に。

 お互いの気質や特性への理解があれば、おおよそのことはしょうがなかったり、工夫で理解しあったりができるものでもあって。

 私はしこたま自己分析と理解を繰り返していたので、自己を解析しなくても生きていくことができる、ということ自体を本当の意味では知らなかった。

 ボンボンなんだから、と揶揄いながらも、素敵なことだなと思ったし。

 ちょっとは、羨ましかったりもしたけれど。

 幸せに生きてきたであろう人のその人生を思うと、とても良いことだと胸が温かくなった。

 そういう人生もあるのだ、そして世に対してそこまで拗ねてなかったからこそ、私も隣にいて幸せだったりしている。

 ぶち壊した先に新しく構築していく価値観や関係性でもって、今我が家には笑いが絶えない。

 喧嘩を沢山した、その期間に発生してしまった片付けの習慣の身に付かなさとか、問題だってあるけれど。

 それでも笑顔があって、のんびり暮らせている。


 これっぽっちも死ぬことなんて考えてなくて、死んでしまったらどうしようと思うことが増えさえした。

 なるべく気づかないようにとは、日々を過ごしているけれど。

 後どれくらい成長を見守れるだろう。

 どれくらい作品を残せるだろう。

 なんの知恵や智慧、工夫を置いていけるだろう。

 思い出を、紡いでいけるだろう。


 怖い。


 けれど目を瞑る。

 明日は誰にも分からない。

 二百歳まで生きてね。

 そう言われるたび、うん、千年は生きるよと、冗談みたいな顔して言う。

 結構な本気度で、言う。


 せめてなんらか、幸せよと。

 大丈夫よと言ってもらえるその日まで。

 生きたいと死ぬのが怖いがセットだなんて。

 嘘みたいな冗談みたいな。

 そんな感覚が人生で初めてで。

 泣きそうなほど切なく胸が締め付けられるけれど。


 それすらもきっと、幸せと名がつくものなんだろうなと、噛み締める。

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