うつわの楽しみ
突然だが皆さんは、うつわ、お好きだろうか?
これまで意識してこなかった人から、収納が思うようにいかなくて自重している人から、もしかしたら陶芸など習っていて、自作のうつわで食事を楽しんでいる、そんな人もいるかもしれない。
かくいう私も、諸事でストレスが溜まるまで、そして遺品整理をするまではそんなに意識はしていなかった。
そんな私がうつわを大好きになった、その顛末をちょっと語らせていただきたいと思う。
私には家族がいる。大好きな家族だ。けれど難治性の病気など色々なことが重なりすぎて、一時期とても疲れていた。動けないでいたそんな時、妹がネットのフリマサイトをしている、という話を聞いて興味が湧いた。
ミルフィーユ状の暗い事柄とコミュ障気味ということもあってインドアがちだった私は、売り買いの時にやりとりがある、というサイトの説明を見て気分転換に家にある不用品を売ることにした。人と交流できて少しのお金も入り、相手にとっては必要な品を届けられる。それはとても素敵なことにも思えた。
えてして私はハマりにハマった。家の中の不要な、けれどちょっとした金目になりそうな物を売り捌きに売り捌き、念願の人との交流を手に入れ、それはもうウハウハである。
そんな時、サイトの中でとても素敵なうつわを、偶然見かけた。私にとってとてもキラキラとしたうつわは、それを手に入れたら何だか豊かになりそうな面持ちのものだったからつい、ぽちっと、購入するボタンを押してしまったのである。
そうして我が家にやってきたうつわは、確かに私の心を慰めた。
食事をする時に、そのご飯をどのうつわに入れようか。考えることは楽しみになった。
それからはそのサイトに限らず、実店舗のあるリサイクルショップを訪れたりした。丁度その時祖父母の遺品整理の縁などもあって、昔の盆暮正月に集まっていた時使っていた物なども譲り受け、少しずつ色とりどりのお気に入りを見つけていった。
少しずつ、少しずつ、少しずつ――は、やがて膨大になってぎちぎちのラストを迎える。物には限度と収納の広さの問題があったのである。宇宙は無限だが、家は無限、とは流石にいかなかった。楽しいけれどジャストサイズの我が家である。
けれど、それも中々に面白い物であった。私はパズルが好きだったので、引き出し式の棚にどう入れよう、何を組み合わせたらうまく入るのか、そう思いながら一つ一つ丁寧に収めた。入りきらない物は、吊り棚に入れた。今は収納用品も百円からあるし工夫は無限大なので、きっちり収めきったのはちょっとした私の自慢になった。
そういったことを考えるのは、私に挑戦する心を思いださせるかのようだった。
こうして、私のキラキラしたうつわ収集ライフは終わりを迎えたわけであるが、実はまだ続いているものがある。
それは、あともう少し残っている祖父母が使っていたうつわを、次のオーナーとなる人へと引き継ぐ役目と、今ある祖父母の思いが詰まったうつわを使い倒すこと。
それと、子供に自分で選ぶ楽しさを味わってもらうこと、である。
……あと少しだけ、割れる食器の割れない使い方のお勉強、これはまぁオマケではあるのだけれど。
たくさんある中で何を選ぶのか。
これって結構人生の中で大切だったりするから、ちょっとしたことだけれど。本当にちょこっとしたことだけれど、うつわを選んだり、例えばお洋服を選んだりとか、したい事持ちたいものや気持ちを選ぶっていう行動を積み重ねて。自分の好みだとか、自分が何を思ってそれを選んだのか、とか知っていってもらえたらなぁ。
と、私も親であるからして、子の成長を面白く観察しつつも願っていたりするのだ。
そうして自身も、その時その時の心のままにうつわを選びながら、人生を食し、日々を彩れたらいいなと子供の包んだ餃子を一口齧りながら、ポン酢の入ったお気に入りのうつわを眺めている次第である。
これ、応募時に「家の中の不要な金目を売り捌きに売り捌き」と、オブラートが消失していました。
かっこいいこと言っといて、ちょっとだけ、ほんの50円アップ位だけ利益欲しいとかいう心の声が駄々漏れていました!
しょうがないじゃない、だって俗物だもの。
清濁はちゃんと合わせて私ですよ。
ちなみに、三服文学賞応募作でした。
落ちたぜちくせう! 納得だ!!