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古美偲という少女

(マホガニーの赤色はきっと私の血なんかより綺麗なんだ)


華金。帰宅後。課題なし。ならば詩人にもなるというもの。制服から着物に着替えた古美偲ふるみしのぶは愛おしげにダイニングテーブルの天板を撫でた。


マホガニーという木材がある。チーク、ウォールナットと並び世界三大銘木と呼ばれる木材だ。その中でもキューバンマホガニーは本物のマホガニーと呼ばれ、現在では枯渇し輸出が禁止されている。彼女が触れたテーブルには、そんな木材がふんだんに利用されていた。


密輸して作らせたものではない。これはアンティークなのだ。現在でこそ珍しいマホガニーだが昔はよく利用されてきた。それが現在まで残り偲の手に渡ったのである。


1903年製、チッペンデール様式のダイニングセット。歴史とともに深みを増したマホガニーは、さながら柘榴石のような輝きを放つ。元々は英国貴族に使われてきた家具であり、チェアレッグには非常に緻密なボール&クロウの装飾がされている。またアカンサスのガーヴィンには――――


(ああ、幸せだ)


紅茶に口をつけ一息つく。メガネが少し曇った。


アンティーク・ヴィンテージなど、骨董品と呼ばれる物を偲は愛していた。その気品、歴史、携わってきた人々の愛、全てが大好きなのだ。物心つく前から触れてきたからか、骨董品がどのように使われ愛されてきたのか一目で分かる。だからこそ、その魅力に人一倍惹かれたのだった。


マホガニーはリボンもくと呼ばれる独特の模様を持ち、光の方向によって表情を変える。そこにうっすらと浮かぶ小さな傷たち。欠け、へこみ、擦られてできたものだ。これは、長い間愛されてきた証。それほど良い家具なのだ。


うっとりと杢を眺める至福の時間。しかしそれを邪魔するようにピンポン、と無粋なチャイムが意識に割り込んだ。現在古美家には彼女一人しかいない。心底面倒臭いが偲は部屋を出た。和洋折衷、大正ロマン、そんな言葉が浮かぶ廊下を抜けると、玄関に人影が見えた。


(何か注文した記憶はないんだけどな。何かの勧誘じゃないだろうね)


強引な勧誘なら対応に時間が取られる。それは勘弁して欲しかった。若干身構えながら偲は戸を開けた。


それはあまりにも奇妙奇天烈な光景だった。そこにいたのは一言で言えば変質者。もしくは真冬にハロウィンのコスプレをした阿呆な女であった。黒いローブに三角帽子、手には大鎌を持っている。いわゆる魔女というやつだろう。帽子の影に隠れて表情は読み取れない。


『高貴なる血を穢した雌豚の子。血を飲み干した後に犯してあげるから、まずは死になさい』


「は?」


飛び出してきたのは日本ではなく英語。イギリスのものだ。呆然と見つめる偲。真冬の冷気と共に運ばれる匂いは人間のものではなく、動物園で嗅ぐような獣臭に近い。思わず顔をしかめた。


『貴女、すごく臭うよ。どんな用事か知らないけど、とりあえずシャワー浴びてから出直して」


英語でそう言って戸を閉めようとする。しかし魔女はそれを意に介さぬようにゆっくりと大鎌を持ち上げた。


そこでようやく大鎌に注目する。すぐ側に道路があるから、あまりに軽々と持ち上げるから、見るまでもなくおもちゃだと断じていたそれは、しかしやけに鈍い光を放つ。柄は黒檀こくたん製で使い込まれた形跡が見て取れる。刃は明らかに鉄製で、骨董品とは異なり「生きた」刃物だった。


偲の顔が青くなる。声を上げる間もなく大鎌が振り下ろされた。尋常ではない風切り音に、偲は自身が着物もろとも両断される未来を幻視する。彼女はただの少女であり、特別運動ができるわけでも、武道を習っているわけでもない。故にそのまま死を受け入れるしかなかった。


鉄塊は皮膚を、肉を、骨を、そして着物を蹂躙する。次の瞬間周囲に広がったのは真っ赤な血。偲はなすすべなくその人生を終えた——はずだった。


最初の予想外は目覚ましを思わせる甲高い金属音。恐る恐る目を開くと、どういうことか大鎌は自身のすぐ横の足元に突き刺さっていた。


どういうことか。この距離で外すなどあり得るのか。いや、そもそも大鎌なんてものを十全に扱える人間などいるのか。パニックになり思考がまとまらない。しかし体は本能故か、的確に行動する。すなわち、踵を返し全力で家内へと逃げ込んだのである。






「あぁ、いいわ。その血、その才能。子宮おなかにキュンキュンくる!」


魔女は頬を紅潮させながら下腹部を撫でた。ローブ以外の衣類を身につけていないため、下は色々と大変なことになっている。


男をベッドに引きこみたい気分だが、今はあの少女を殺さねばならない。その血を我が物にしなくてはならない。我が家名を消さぬために。


本来であれば先程の一撃で全てを終わらせる予定だったが、存外あの少女もやるらしい。彼女は大鎌をまるで熟練の戦士のように避けてみせたのだ。流石は古美家、あの大魔女の子供である。


ローブをめくる。その影から現れたのは数匹の狼。従順な子供達。気高く強い、人狼の紛い物。母は彼らに命令を下す。



「さあ兎狩りよ。この巣穴は少しばかり広すぎるわ。みんなで分かれて探しましょう。殺さないよう気をつけてね」



駆け出す子供達を眺めて、魔女は妖艶な笑みを浮かべた。


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