午後、教室にて。
全7話、完結済みで本日中に全話予約投稿済み。
種族差別的発言、外見を貶める発言などが出てきます。
有史以来、この世界から争いごとが潰えた時代はない。それは人間同士であったり、魔獣同士であったり、人間と魔獣の対立であったり。生存本能のため、餌のため、領土のため。種族も理由も様々で、思惑やイデオロギーは入り乱れ。それでも生きとし生けるものたちは全て、争いながら生きている。
そんな争いは、人間の、あるいは亜人種の知性が高まるほど、高度で複雑な戦略を伴った。人間と亜人種がそれぞれ『国土』を獲得し、国をかけた『戦争』へと発展するほど、被害の量も、質も、飛躍的に悪化していった。戦術も戦略も時代を追うごとに発展し、戦争に伴って文明が急速に発展するという皮肉は、これまでの歴史が幾度となく証明してきた。
争わぬ生命体など存在しない。知性があればあるほどなおさらに。戦争を正当化するだけの知性を持つ種族たちは、しかし同時に戦争による不利益を十分に理解していた。争わずにはいられない、対立せずには済まされない関係でも、どうにかうまく立ち回れば相応の利益が得られるのではないか。民が死ぬことなく、国力を消耗することなく、自分たちの権威と立場を確立できるのではないか。
戦争は必然ではあっても必須ではない。戦わずして争う。政治的戦略、というものを複数の種族が獲得したのは、確実に世界が戦争に倦んでいた証拠だろう。
国交、という政治手段を最初に提唱したのは、ヒルネシア帝国であった。オルコント大陸における最大の国家であり、人間が治める国としては最大の人口と国土、国力を誇る国である。相手となったのは、当時国境にある国土を巡って争っていたイーリス聖国。こちらはエルフが治めエルフのみが暮らす単一種族国である。
数十年の歳月をかけて続いた戦争の発端は、ヒルネシアとイーリスの国境にあるドリ・マーレという小都市であった。山岳地帯の中腹にぽつりと存在する盆地型の都市で、大本を糺せば数百年前にイーリス聖国を追われ落ち延びたエルフが開拓した小さな村であった。しばらくの間はエルフたちが身を隠すように倹しく暮らしていたが、種族の特性上長命であり、その反面繁殖力に欠けるエルフは少しずつ数を減らしていき、いつの間にかひっそりと種を絶やしていた。
それからしばらく忘れ去られた土地となったドリ・マーレに、今度はヒルネシアから人間たちが移り住んだ。こちらは山岳地帯において新たな農作物を育てるため、山を拓きながら進んできたのだ。そして、小さな村の跡地を見つけた。わずかな遺物やささやかな記録からエルフの村であったことを知ったが、誰一人住民がいなかったこともあり、村にあった建物などはその開拓民たちが接収した。
それを「侵略だ」と主張したのはイーリス聖国。元はエルフの土地であり、すなわちドリ・マーレはイーリスのものだ、と。開拓民の立ち退きを要求されたヒルネシアは、今まで放置していたイーリスには何の権利もないだろう、と真っ向から反発。行きつく先は戦争と相成ったのだ。
しかし小競り合いを繰り返す両国はどんどん疲弊していった。特にイーリスは、国力も戦力もヒルネシアに劣る。また人間が主体の多民族国家であるヒルネシア帝国には、少数ではあるがエルフも住んでいるのだ。敢えてエルフを徴兵し、同族同士を争わせるという悪辣な戦法には、種族間の結束が固いエルフたちには非常に堪えた。
だらだらと続く戦争に疲れ果てたイーリス聖国にとって、だからヒルネシア帝国が差し出してきた「国交」の切り札は救いの手に等しかった。初めての試みに懸念も大きかったが、これ以上戦争を長引かせるだけの体力も気力も、すっかり失せてしまっていたのだ。
ヒルネシア帝国から提案されたのは「平和的国交」。戦争の争点であったドリ・マーレを独立都市とし、ヒルネシア帝国の皇子とイーリス聖国の聖女を婚姻させ、二人にドリ・マーレを統治させるというもの。他にも条項は提案されたが、最大の焦点はここにあった。
一見平等に見える条件であるが、帝国皇子が統治する以上、やはり主導権はヒルネシア帝国にある。自国の手綱を他者の、しかも人間の手に委ねたも同然の条件。誇り高きエルフたちにとっては侮蔑に等しい講和条件だった。だが背に腹は代えられない。ヒルネシアとイーリスでは、あまりに国力に差がありすぎた。これ以上の戦は、イーリスの息の根を止めかねない。
平和的終戦。歴史には大いなる叡智による戦争の終結と語られるドリ・マーレ講和の裏には、イーリス聖国の、ひいてはエルフたちの流した涙が隠されて――いない。当たり前ながら世界中の種族にとっての周知の事実である。だが建前は必要なのだ。「そういうことだった」としておく必要がある、というのもまた、世界にとっての当たり前の共通認識である。
◇
「――このドリ・マーレ講和に端を発し、大陸中に『平和的終戦』の大いなる動きが生まれました。この時代をパックス・オルコントと呼び……と、本日の授業はここまでです」
荘厳な鐘の音が学園内に鳴り響き、教壇に立っていた教師は粛々と頭を下げた。その背中を見送る教室内に、授業時間からの解放感がさざ波のように広がっていく。マリウスはふっと息を吐き、見苦しくない程度に椅子の背もたれに背を預けた。
「マリウス様」
「本日もお疲れ様でしたわ」
「ああ……二人もお疲れ様」
滑るような動きで二人の男女がマリウスの席の隣に立つ。見慣れた顔を見上げ、マリウスは穏やかに微笑んだ。瞬間、教室のあちこちから視線が突き刺さる。一割が好奇心、一割が敵愾心、残りの八割はうっとりとした秋波。幼い頃から浴び続ける視線の割合は、どこにいたってそう変わらない。
「本日は真っすぐ寮に帰られますか?」
さり気なく立ち位置を移して周囲の視線からマリウスを守りつつ、そう問うた男。同じ教室で学ぶ同級生なのに恭しい態度を決して崩さない彼は、名をレトルス・ケンドリッジという。幼い頃からマリウスの従者として教育されてきた彼には、マリウスに普通の同級生として接することなど根本から不可能だ。この学園に入学したときにさり気なく「口調を崩してみては」と勧め、思わぬ強さで反発されて以来、マリウスはその態度に言及しないことにしている。
「いや、図書館に寄っていくよ。今日の復習もしておきたいし」
「マリウスは真面目だこと。仕方ないからわたくしたちもお付き合いいたしましょうか、レトルス」
「はい、カトリーナ様」
マリウスの言に、皮肉半分苦笑半分といった口振りで応じたのは、名をカトリーナ・クォルム・ラ・ヒルネシア。現ヒルネシア帝国皇帝の皇姉の娘にしてクォルム公爵令嬢、マリウスの同い年の従姉だ。彼女がアイスブルーの冷え切った視線で周囲をじろりと一瞥すれば、マリウスたちの会話に聞き耳を立てていた顔ぶれが揃って視線をそらした。そそくさと教室を後にする同級生たちに睨みをきかせながら、カトリーナはフンと鼻で笑う。
「羽虫が煩わしいこと」
「カトリーナ、その辺りで……」
「お黙りなさいマリウス。わたくしは自分の役目を全うしているの」
控え目に宥めたマリウスの言葉を切って捨て、カトリーナはつんと顎をそらした。同い年なのに昔からこの従姉には頭が上がらない。そんな気弱な性質のあるマリウスをカトリーナが心から案じていることもまた理解しているから、彼女に向って強くは出られないのだ。
それに。カトリーナが告げた「役目」に関しても、マリウスは十分に理解している。他人の視線を集めやすい――どころでなく、これでもかと引き寄せるマリウスの防波堤となり、無関係な人間、特に女性をマリウスに近づけず、トラブルを遠ざけ、彼の身を守る。カトリーナが背負う使命だ。皇族の娘であり、マリウスの従姉であり、何よりカトリーナ本人にしかできない役割。それがマリウス――ヒルネシア帝国第三皇子たるマリウス・レ・ヒルネシアと共に学園に入学した彼女に与えられた責務であった。
「図書館に行くのなら急ぎましょう。席が埋まってしまうわ」
「先に行って席を確保しておきましょうか」
「ああ、じゃあお願いするよ、レトルス」
荷物を持って立ちながら、申し出てくれた従者ににこりと微笑んでみせる。途端に教室の隅で小さな悲鳴が上がった。ぎんっ、と音が立ちそうな視線でカトリーナが睨み、その声を黙らせる。ついでに「余計なことを」と言いたげな視線を寄越され、マリウスは苦笑するしかなかった。幼馴染でもある侍従を笑顔でねぎらうことすらできないとは。誰も好き好んで――といつも通りの思考に陥りそうになり、マリウスは溜息で思考ループを断ってからカトリーナと連れ立って歩きだした。