無職から国王に!? 実家、国からW追放された宮廷警備員。秘儀『女神テイム』で全属性魔法を極めて、世界最強へ。美少女らからも溺愛され、最終的には無敵の国王になるようです。
王国の庭、五月の昼下がり。
本来なら静かな時間が流れるべき優雅な空間に、魔物のけたたましい叫び声が響き渡っていた。
「ギャァァァッ!!!!」
ドラゴン種・ファイアドレイク。
火を自在に操り、そして吐き出す翼竜が、庭の植物たちへ向けて、灼熱のブレスを吹く。
ついさっきまで優雅に咲き誇っていた花々が、一瞬にして灰と化してしまったのが、その恐ろしさを物語っていた。
実際、体長もかなり大きい。悠に、人間の三倍は超えているだろう。
ここまで大きな個体は、初めて見た。それが縄張りたる森を離れ、城へ襲い来るなんて、誰が想像しただろう。
最近は、このように魔物の襲撃を受けることが多いとはいえ、さすがに規格外というものだ。
「アラン隊長、いかがしましょう!」
部下である警備員の一人・モアナが、横手からはきはきと俺に問う。
短い黒髪に、小さくまとまった顔立ち。
可愛いらしいが、活発そうな見た目に違わず、勇敢な女性だ。
十八の俺の一つ下、十七歳である。
彼女も、モンスターの襲来には慣れているはずだった。
だが気丈に振る舞ってこそいるが、恐怖に足が竦んでいるようだ。
「下がっていてくれ、俺がやる」
「……ですが、アラン隊長」
「心配するな。俺を信じろ。それに、別にモアナを過小評価してるわけじゃないよ。こいつが別格ってだけだ。いいから下がれ、モアナだけじゃない。みんなた」
「………お力になれずすいません。ご健闘を!」
モアナたちが一定ラインより後ろへ下がるのを、後ろ目に確認する。
俺は、腰に携えた警棒をゆっくり引き抜いた。
剣でも、蒼弓でも、槍でもない、警棒。
丸い鉄の棒で、使えるとしてもせいぜい護身用といった見た目だ。
でも、これが俺にとっての、唯一の武器で相棒だった。
なにせ俺は冒険者ではなく、警備員なのだ。
「……端から見たら絶望的だろうな、この絵」
切れ味ゼロの丸く、リーチの短い刀身。
さすがに自分でも、これだけではドラゴンを退治できる獲物には思えない。
そう、これだけならば。
俺は、左足を引き、右手に警棒を持つと、中段に構える。
最大の警戒を張るとともに、掌から魔力を一気に伝えた。
エネルギーの波動が、警棒の突っ先まで一気に伝わり、刀身がすらりと伸びていく。
ーー『波光剣』。
青々しく光り煌めくことから、昔、この国の王女様に名付けられた。
どうも名前が厳しいが、そんな大したものではないはず。元は警棒だし。
水属性魔法を駆使した、俺独自の技であった。
「…………グァ?」
空気中の魔力圧が変わったせいだろう、ドレイクがこちらに顔を振り向ける。やっと俺を敵として認識したらしい。
その圧には、ゴクリと唾を飲まざるをえなかった。
このクラスのモンスターと戦うのは初めてだったのだ。正直怖さは拭えない。
でも、逃げるわけにはいかなかった。
与えられた職である王国城の警備員として、その隊長として。俺は務めを果たさねばならない。
なにより、まだ齢十八の俺を、年上も多い部下たちが信じてくれているのだ。後退は、それすなわち裏切りだ。
俺は、さらに強い気を警棒へと込めていく。
それに反応したのか、ドレイクが大きく羽ばたき風を起こし、飛び上がった。
「それくらい、読めてるよっと!」
大地を揺るがす風が、地面に吹き付けられる。
それが跳ね返った勢いを利用して俺は、空中へと飛び上がった。
持久戦に持ち込まれれば、被害が広がってしまう。城を壊されてしまえば、名折れだ。
それを回避するには、一発で決めるしかなさそうだった。
できれば殺傷はしたくなかったのだが、しょうがない。
俺は空中で宙返りを決める。
頭の真上に位置取ると、体重の重さに、空気圧の力をも加えた上で、
「蒼・一閃!!!!」
ドレイクの首に刃を立てた。
切れるか不安だったのだが、ややあってから首がスライドして、下の芝生へと落ちる。
落下の衝撃で城を揺らさないため、身体の下へと回り込み、ゆっくりとその巨体を地面へと置いた。
間一髪だったと気づいたのは、戦闘終了後だった。その頬では、巨大な火球が燻っていたのだ。
あれが城に当たっていたら、被害は甚大だったろう。広大で強靭な城とはいえ、別棟一つは人ごと葬られていた。
「……ふぅ、なんとかなるもんだなぁ」
「隊長さすがです! やっぱり若くしてリーダーになるだけあられる!」
「あんまりおだてるなよ。調子に乗っちまうから」
「いえ、本当であります! 私、隊長のように強くなりたいです!」
モアナがキラキラとした顔で駆け寄ってきて、俺に飛びつく。
自分の魅力を理解していないだけに困った少女だ。決して抑揚がある身体ではないが、柔らかい部分はしっかり柔らかい。
どうしたものかと思っていたら、他の隊員たちも拍手喝采で、俺の元へ駆け寄ってくる。
なにに優勝したわけでもないのに、胴上げ騒ぎとなった。
…………おいおい。
空を舞いながら、呆れつつも、幸せだなと思った。
誰かに必要とされ、認められる。その環境のことだ。
どんな辛く惨めな過去があろうとも、こうして誰かに求められるならば、決して不幸ではない。
この身の丈に合う程度でいいから、人の役に立てるならば、不満などない。
ーーそう、思っていたのだ。
その日の夕方、退勤する頃までは。
今日の晩ご飯はどうしようか、なんて呑気なことを思いつつ城の門を後にした矢先、
「突然ですが、アラン・ウィンディ殿には、警備員の職を解かれることになりました」
「……は?」
正に晴天の霹靂。
城内を出てすぐのところで、解雇通知を受けたのだ。
♢
「は? 俺が解雇? なにかの勘違いじゃないの?」
「いえ、残念ながら本当だと聞いています」
俺と歳が変わらないくらいだろうか、人事官の紋章を胸につけた、下っ端らしき若者が淡々と言う。
まるで、暗記してきたかのような棒読みだった。感情が全くこもっていない。
俺は理解が追いつかなかった。戯言だと思いつつも、一応尋ねる。
「なにか不手際をしたのか、俺が」
言いながら振り返ってみるが、思い当たらなかった。今日のドラゴン襲来だって、最小限の被害に止めることに成功したのだ。
花は燃やされてしまったが、あれ以上の手は打てなかった。
「いえ、すいません。私はなにも存じ上げません」
「でたらめだろ?」
「いえ、残念ながら、本当です。国王陛下・カヤ様じきじきのお達しだそうです」
「国王が、だと……?」
まさかのビックネームが飛び出した。さすがの俺もそれには身が固まる。
「どういった理由だ? ただの警備員になった(・・・)俺が国王様になにか失礼を働くようなことはないと思うが」
国王・カヤとは、同い年だ。
三年前に俺が実家を追放される前、昔こそ仲良くしていたが……。ここ数年は顔を突き合わせたこともない。
つまり、彼に恨まれるような覚えはないのだ。彼にしてみれば俺など池で泳ぐカエル程度の存在だろう。
「……ロンボーか?」
とすれば浮かぶのは、若いカヤの宰相を務める俺の叔父・ロンボーの顔だった。
俺の実家は、代々この国の宰相を務めてきていた。
親父が長年そのポストについていたのだが、この間、ばたりと倒れ、そのまま亡くなった。
以来、叔父のロンボーがこの国の宰相となり、権力を振るっている。
家を追放されたとはいえ、同じウィンディの血を引く俺が、邪魔になったのかもしれない。
「と、とにかく、そういったことは私は一切存じ上げませんので」
俺は、キッと彼を睨んでしまうが、やめる。
下っ端の、お遣い相手に苛々としてキレてしまっても仕方がない。
お門違いというものだろう。
そんな俺の態度をチャンスと見たか、
「では、そういうことですので。勤務は月末である今日までです。これ以降、城に入るようなことがあればーー」
「処刑、か?」
「……と、おっしゃられていました。としか言えません。では、私はこれで!」
あくまで伝聞という姿勢は崩さず、人事官は小走りに去っていく。
俺は手を伸ばすのだが、戻って追いかける気にはなれなかった。
あまりの衝撃と、その事実に、思ったより気が滅入っていたようだ。不幸が地面からツタを伸ばし、絡みついてきたかのよう。足が動かなかった。
その場に立ち尽くす。ただただ、俺は深いため息をついた。
「……しっかり役に立っていたはずなんだけどな」
むなしく言葉が余韻を残す。
まさか、人生で二度も追放されることがあろうとは。
さっき言われるまで、つゆも考えなかった。そして今なお実感が全くないし、訳がわからない。
今日の今日、ついさっきまで、俺は職務を果たしていたのだ。
あの人事官が嘘をついた? 実はドッキリ? などと平和ボケたことを思う。
だが待ってみても、誰もきやしない。残念ながら、事実は変わらないようだった。
「……まじかよ」
ぽろりと提げていた鞄を落としてしまう。
それが地面で音を立てた瞬間、俺には一層事実が重々しく理解された。
クビ、失職である。
膝から崩れこむように、かくんと俺はその場でしゃがみこんだ。背中から差し込む夕日に、嘲笑われている気さえした。
これで、人生二度目の追放だった。
地面の砂を握り締めると、一度目のことがありありと思い返される。
その時も、屋敷の外で、俺は砂にまみれていた。
ーー実家たるウィンディ家から、追放宣告を下されたあの日。
追放の理由は、『属性不明魔法』なんて魔法特性を会得したせいだった。
適性がある者は、数え十五歳になると、魔法特性が自然と発現する。
魔法特性とは、いわばギフトである。神々が、基本的には当人の家柄に基づいて、能力を授けるとされていた。
由緒正しい宰相家たる「ウィンディ家」では代々、『炎の剣聖』なる能力を持つものが、当主とされてきた。
名前の通り、火属性魔法と剣の合わせ技を極めることのできる能力だ。
それを受け継ぐはずの一人息子たる俺が、まさかの属性不明などという謎の能力である。
「出て行け! そんな汚れた能力の奴は当主になる価値がない!」
その時の、父親の言葉だ。
それまで父は、剣の道に励んでいた俺に、少なからず期待を寄せてくれていたのだが、それはあくまで後継者としてだった。
結局誕生日のうちに、俺は家を勘当された。
だが、父の最後の情けで、たまたま欠員の出ていた「警備員」として王城へ残ることとなったのだ。
実際、属性不明魔法はその任務にぴったりだった。
一つを極めることが叶わないとされている代わり、たくさんの魔法を器用に扱えるので、いろんな場面で役に立つのだ。
中でも、小回りのきく水魔法を俺はよく使ってきた。さっきファイアドレイクを倒したのもそれだった。
だが、所詮は便利屋である。
元宰相候補なのだから、城内での地位ランクは急降下だった。
周りの扱いは一気に雑になり、下劣なものに対するそれへと変わった。
前までは目が合うたびに、平伏していた貴族たちに唾を吐きかけられることさえあった。
「ありがたく受け取れよ、警備員落ちのカスが。貴族様の唾だぞ、ははは」
なんて暴言を吐かれたこともある。
それでも、与えてもらえる場所があるならば、務めを果たさねばならない。
ならばと誇りを持って警備隊として勤め、その一心で心ない声にも耐え忍んできた結果がこれである。
俺は失意のうちに、家へと帰った。
晩ご飯のことなど、考える余裕もなくしていた。
これからどうしようか。
右も左も見えぬ状況だった。情けないやら、悔しいやら、感情がまとまってこない。
それは家に帰ってからも同じで、普段通りに生活をしてみても拭えるものではなかった。
ベッドに入る気にはなれず、俺は一晩中考えを巡らせた。
改めて部屋を見渡す。思えば、ここは城勤務の人間にのみ住むことの許された寮だ。
つまり、ここもすぐに出ていかねばならなかった。となれば、うだうだ悩んでいるばかりもいかない。
荷物を整理しつつ、俺は考えうるいろんな選択肢を検討した。
その結果、選んだのはーー。
とにかく遠くへ行き、次の職を見つけること。
これだった。実家、王国城と追い出されたのだ。城下町に留まれば、またすぐに追放されかねない。それどころか不興を買えば処刑対象になるやもしれない。
そんな目に合うくらいなら、田舎や国外で、新たな人生をやり直す方がいいに違いなかった。
そう決めてしまえば、心がいくらか楽になった。
俺は、昨日とは一転、むしろ晴れやかな気分で朝を迎える。
心残りはまだたくさんあれど、しがらみから解き放たれたとさえ思えた。すぐにでも町を去る用意は整っていたのだが、
「……挨拶していかなきゃな」
俺は足を城へと向けていた。
処刑されてはかなわない。黒髪を魔法でオレンジに染め、どちらかと言えば幼い顔にシワを刻んで、変装を施す。
「納得いきません! どうせ、あのロンボーの悪巧みですよ!」
怪しまれないよう、非番だったモアナを呼び出し、同行してもらうことにした。
モアナは、城への道をザクザクと歩きながら、こんな風に口を尖らせる。
「そう荒れるなよ、モアナ」
「でも、だって! というか、アラン隊長はそれでもいいんですか!」
角っぽい目に涙が潤んでいる。
ここまで慕ってくれていたとは追放とは反対に、嬉しい話だ。
「いいんだ、もう決めたから。南にでも流れていくよ。そうだなぁ、魔法術集めの趣味でもやりながら」
「なら私も行きます! 私は隊長以上に尊敬する人なんていないんです! たぶん、他のみんなもそう思ってます」
「ありがとうな。でも、仕事しろよ、ちゃんと。それに、家族のために働いてるんだろ? やめられないんじゃないの」
「そうですけど……」
俯くモアナ。
彼女は、若いのだが、家族を養うために、魔法学校を途中でやめてまで、この城の警備隊に入ったのだ。
やっと生活が楽になってきた、と聞いていた。そこで俺の追放劇などに巻き込んでいられない。
俺は、彼女のデコをこつんと突いてやった。
「また会えるよ、きっとな」
俺たちは、城へと入る。
戦う女子だけあって、諦めが悪かった。散々しがみついてくるモアナをどうにか引き剥がして、最後の別れをする。
「隊長、お元気で! でも、やっぱいやだぁ……」
あぁん、と声を上げ、泣き崩れた顔。
だが、殊勝にもモアナは敬礼をする。
彼女につられて泣きそうになりつつも、俺が歩を進めたのは城の最奥だ。
この先で俺は、もう一回泣かなくてはならない。
普通に行けば、入りようがない場所なのだが、中庭の裏手から、十階分ほど水魔法を使って跳べば、なんとか辿り着けた。
変装を解いた俺は、重厚な戸をノックする。
「……アラン!!」
迎えてくれたのは、何重もの真っ白なドレスに身を包んだ美しい女の子だ。
流るようなスタイルと、甘色のミディアムヘアは、「国宝だ」なんて呼んでいる人もいた。
なにより、そのぷっくり丸い青の目で見られると、もう何度も会っているというのに、ついどきりとする。
「久しぶりだな、サーニャ」
サーニャ王女。
現国王の妹にして、現時点ではハリル王国の第一王女だ。
中へ招かれる。紅茶を淹れてもらい、高そうなソファ席に座るやいなや、サーニャが本で顔を隠しつつ、重々しげに切り出した。
「……噂、聞いた。その、本当なんだよね?」
「あいかわらず情報掴むのが早いな。またメイドの情報か?」
「もう。今はそんな冗談言ってる場合じゃないよ」
彼女は、国の方針もあってか、ほとんど部屋から出ずに生活をしている。もっぱら読書ばかりしているのだ。
せいぜい出歩いても、庭くらいのもの。
実家にいた頃は、幼馴染のような存在だった。その頃のよしみで、追放された後もこうしてたまに訪れては、話し相手になっていた。
それは忠義心からというより単に、彼女に会いたかったというのが大きい。
「あぁ、まぁな。俺は、本当はもうここにいちゃいけない人間なんだ。だから今日は別れの挨拶をしにきた」
にこっと無理に笑いかける。
サーニャが、はしっと俺の袖を掴んだ。内気な彼女にしては珍しい。
「本当に行っちゃうの、アラン?」
「仕方ないだろ、国の命令なんだし」
「……兄の命令なんだ。じ、じゃあ! 私だったら変えられないかな? 私、これでも王女なんだよ」
「変なこと考えるなって。これ以上、立場が悪くなったら困るだろ。いいんだよこれで」
サーニャを諭しつつ、自分にも言い聞かせるように、俺は言う。
しかし、よもやのことを彼女は口走った。
「王女なんて。望んでなったわけじゃないもん」
「……サーニャ?」
「アランがいなくなるなら、私、王女やめる。やめるもん!」
そんな、日雇い仕事を辞めるみたいなテンションで言うなんて。
俺は少し笑いかけるが、
「私をここから連れ出して。私は、アランと一緒じゃなきゃどこにも行きたくない。ここにもいたくないの」
サーニャは至って本気のようだ。
顔を真っ赤にして、甲高い声を振り絞る。
それにしても、自分の発言の意味を分かってるのだろうか、この子は。
これじゃあまるで告白されているかのようだ。それも、一国の王女がただの一警備員に。
「俺を国賊にするつもりかよ」
「私がいいって言ってるの。むしろ、連れ出してくれなきゃ、なきゃ……」
なきゃ? もしかして処刑か?
ゴクリと唾を飲む。
「怒るよっ!!」
うん、やっぱりサーニャは可愛い。王女にふさわしいわけだ。
俺がまどろんだのは束の間、城の外が騒がしくなっているのに気がついた。
もしかすると、侵入がバレたのかもしれない。いよいよタイムリミットが迫っているようだ。
「今度こそ、行くよ俺」
ふるふる、サーニャが首を振る。
腕を掴まれる。その目には、決意が滲んでいるようだった。
王女の懇願をむげにするわけにもいかず、俺はしばらく足止めされる。
そのうち、廊下の方から足音が聞こえてきた。もしかすると、こちらへ近づいているのかもしれない。
どうしたものか。少しだけ考えて、俺はサーニャをまじまじと見る。
「なぁ、本当に離してくれないんだな?」
「……うん。私も行く、行きたい。あの、私ね、世話係の人に聞いちゃったの。このままだったら私、ロンボーと結婚させられるかもしれないって」
「……はぁ? なんでそんなことに。あのロリコンめ」
「たぶん権力のためなんだろうけどさ、私、そんなの嫌だよ。私は、私は、アランくんのお嫁さんにーーーー!!!!」
足音が、いよいよ扉の前まで迫る。
このままではあえなくお縄だ。
俺は、サーニャの体を引き寄せると、手でその口を優しく覆った。
静かにしていれば、王女の部屋に無碍に入ってくる人間はいないはずだ。
「アランくん? 私まだ大事なこと言ってないよ……」
「サーニャ。いいんだよ、もう」
「よくないよ、私はーー」
「なぁ、サーニャさえよければ一緒に出ていかないか? この箱の中から。二人で新しい職場でも見つけよう」
「……! う、うん!」
『誘拐』の了解を得た俺は、音を立てぬよう、扉の外へと出る。
最大限の警戒を張ったうえで、俺はありったけの魔力を水魔法、火魔法へとそれぞれ変換した。
自分でも力が漲るのを感じられるようになれば、あとは自在に繰れる。
右手に水、左手に火のオーラを纏い、ゆっくり両手を合わせた。
そのすきまから、あたり一体に、視界を遮るほどに白いモヤが広がっていく。
「この技たしか、『写さずの朝霧』!」
「やめろよ、その格好つけすぎなネーミング。名前負けも甚だしい」
「……だって名前付けるの好きなんだもん」
そんなに大した魔法ではないはずだ。
なにせ俺の魔法は、属性不明。
色んな種類の術を使える代わりに、極められないとされているのだ。
だが、逃亡には十分そうだった。見る限り、追手だろう人間たちは揃って右も左もみえず彷徨っている。
「これが名前負けなわけないと思うよ? 私が本で読んだこの魔法、お部屋一個分くらいが限度だって書いてあったもの」
「それ、部屋の大きさでも変わるだろ、お姫さま」
「でもお城全体はどう考えても大きいと思うな」
俺はサーニャを胸に抱いたまま、一直線に外へと駆ける。どうにか追手の目を交わし、壁を飛び越えて無事に城を抜け出すことに成功した。
サーニャは、こんな状況にもかかわらず、気恥ずかしそうにぽっと頬を染めていた。
内気なんだか、肝が座っているんだか。
♢
ーーアランが逃走を成功させた頃。
一方のハリル王国城内は、てんやわんやの大混乱に陥っていた。
先刻、突然のごとく城を覆った濁った霧が一向に晴れないのだ。そしてもちろん、捕縛対象者であるはずのアランも捕まらない。
当然である。彼はもう、そこを立ち去っているのだ。
「えぇい、あんななり損ない一匹捕まえられないのか!」
ところ、王国城の執務室。
宰相・ロンボーは、現状を報告に来た部下へ抑えきれぬ憤りをぶつけていた。
手元にあった万年筆を、部下の顔面へ向けて放り投げる。
「も、も、申し訳ありません! 今、警備員の者どもだけでなく、城の者総出で探させているのですが」
「死んでも探し出せ! どうせ、どこぞに隠れているのだろう」
「か、かしこまりました!」
顔面蒼白の部下は、執務室から逃げるように去っていく。
「使えない奴だ。次のクビはあいつか? 警備隊はどうしたというのだ」
文句を垂れて、人間性とは無関係に立派なヒゲを、ロンボーは触る。
そんな彼は、つゆも知らなかった。
こんな時に一番頼りになるはずの警備隊が、探すふりだけをして、一切協力していないことを。
隊長として、一人の人間として。アランを慕っていたのは、決してモアナだけではなかったのだ。
モアナが隊員たちに事を伝えると、全員一致で、アランの逃走に協力することとなっていた。
ロンボーは、醜いシワを眉間に刻む。
「くそ、あのクソ野郎め。アランだけが邪魔なのだ、私の計画には」
計画とは端的に一つ。
王女・サーニャを自分の妻にする。
これだけだった。
王女を嫁に迎えることができれば、自分の地位にはさらなる箔がつき、権力は揺るぎないものと化すのだ。
そしてそんな政治的思惑とは別に、ロンボーは彼女を気に入っていた。
歳は離れていようが、その美貌には惹きつけられる。
大量の金を積んだことで、自分の周りには絶品の女がはべっているが、それも彼女のおしとやかさには敵わない。
サーニャ王女は、それくらいには魅力的な女だった。
この間などは、王女が不在の隙に、下着を盗みに入ってしまったほどだ。
ロンボーはにちゃりと笑む。
隠していた下着コレクションをなでまわそうとした時、部屋の扉がノックされた。
伝令の使者が飛びこんでくる。
「大変です、ロンボーさま! また、また魔物が襲来しました! また、ドラゴン種です。既に、南館が破壊されたようです!」
「…………そんなものはなんとかしろ! クズどもでも束にかかってりゃなんとかなるだろ」
「か、かしこまりました。それで作戦などはーー」
「自分たちで考えろ、馬鹿者!」
怒声で一喝。
ロンボーは、使者を追い出すと、再び盗品下着へ手を伸ばす。鼻の下も伸びる。
その裏側で、国も、彼の野望も、砕け散らんとしているのに。
魔物を倒し城を守るため獅子奮迅の働きを見せていたアランを追放した時点で、破滅への序曲がとっくに鳴り響いていることを、彼は知らない。
一時間後。
事態が収拾を見せるわけでもなく、城の騒ぎは続いていた。
ドラゴン種の襲来はどうにか凌ぎ切ったものの、被害は甚大なものだったらしい。王国職員も、何人も怪我を負ったそうだ。
らしい、そうだ、というのは、宰相・ロンボー自身が見たわけではないからだ。
人任せにするのは、彼の定石だった。
仕方なく、ロンボーは執務室を後にして、玉座の間へと向かった。
報告のためだ。
「大変申し訳ありません、カヤ様。配下のものどもが、ぬかったようです」
ガラス細工が施され、複雑な紋様の彫られた厳かな装丁の椅子で、ふんぞり帰る若者。
彼こそ、カヤ王。
名前のごとく、蚊帳ーーつまりは鳥カゴの中で大切に育てられてきた、この国の象徴かつ名ばかりの支配者である。
ヒョロイ体つきに、凝り固まった頭。
唯一育った尊大な自尊心が、そのどこか世の中を舐め腐った顔から読み取れる。
「ドラゴンのことは良い。壊れた城など、民から金を集めて直せばいいのだ。湯水ほどあろう」
「はい、そこは全く同意見でございます」
実質的な支配者を自認する、ロンボーは形式的に、平伏する。
心の中では、王様など傀儡人形としか思っていない。
国の中枢たる二人だが、その仲は表面的な信頼関係以上のものではなかった。
「それでロンボー。仕留め損なったのか、あの警備員は」
カヤ王は舌打ちをする。
彼は、アランのことが憎くて仕方がなかった。
唯一、実力で自分を凌ぐ彼が。
幼い頃、体力勝負で負かされ、勉強で負かされ、時には魔物から助けられたことは忘れていない。
感謝ではなく、忌々しい記憶として、である。
……その実、他の者たちが手加減をしているだけで、カヤには力など皆無だったのだが。
あるのは、圧倒的な血筋だけだ。
「……はい、どうもそのようです。どこへ逃げたのやら。もしかしたら、あまりに絶望的な状況に死を選んだのかもしれませんが」
「ははっ、それもありうるな! それならば愉快だが……」
「むろん、逃げおおせた可能性も想定し、街にまで捜索の手を広げています」
ご心配なく、とロンボーは胸に手を当てて見せる。
カヤ王は、ほくそ笑んだ。
魔法の実力含め大した男ではないが、その粘着力の高さだけは買っていたのだ。
「よし。ならば生きてようが死んでようが捕まえよ。晒し首か、死にかけの身体を持ってこい」
「はっ、仰せのままにいたしましょう。捕まえた暁にはーー」
「よかろう。妹をお前にくれてやる」
カヤ王は、ロンボーがこの国の実権を掌握しようと計画していることなど、知らなかった。
ただのロリコンである、と思っている。
この髭男に嫁ぐなど、なんて可哀想なのだろう、我が妹・サーニャは。
もっと可哀想な目に合えばいいのに、とカヤ王は思う。
彼にとっては、美人すぎる妹も嫉妬の対象だったのだ。
少し姿を現すだけで、チヤホヤされる彼女が気に食わなかった。
彼女を自室に閉じ込めているのは、城内での相対的な自分の評価を落とさないためだった。
邪魔立てするものは、皆が皆、不幸な目に合えばいい。
「ははは、愉快ですな、国王」
「全く愉快な気分だ。ロンボー宰相」
その一点のみ意見を同じにする二人の醜い笑いが、玉座の近辺で響く。
王国民のことなど、彼らの頭には一欠片も存在していなかった。
二人は、サーニャ王女がアランに連れ出されていることさえ知らないのであった。
♢
四話
まさか王女を連れ出すことになろうとは、ついさっきまで考えもしないことだった。
ひとり身なら、どうとでもなる道のりだと思っていた。男一人ほど、身動きに自由があることはない。
けれど女子がいれば、それも立場がある彼女との極秘の逃亡劇には、やはり制限がつきまとう。
「この森、いつも部屋の窓から遠目に見てたけど、初めて入ったよ私」
「というか、お城の外さえ数年ぶりだろ、サーニャ」
「あ、ほんとだ。私、外にいるんだ……」
「そんなふうに喜べる場所じゃないけどな。ここ、魔海森林なんて呼ばれてるんだ。好き好んで立ち入るやつなんていないっての」
「魔界森林……。なんだか怖いけど、名前は格好いいね。そそられるよ」
「……本当に怖いのか、サーニャ」
サーニャが、こくりと頷く。そして、俺の着ていた旅装束の裾を引っ張った。
彼女の小さな顔のすぐそばでは、城では考えられないほど雄々しく草木がうねっていた。
ザ野生といったところか。管理はろくになされていないようだ。
最近は、国全体を挙げて、外との戦ばかりに注力していたと聞く。
この荒れようも、その煽りを受けた結果なのかもしれない。
彼女の格好を、ちらりと見る。
ドレスでは目立ちすぎるから、サーニャにも、俺と同じく地味な服を着てもらっていた。靴も、歩きやすいようヒールではなく、布製だ。商人よりよっぽどみすぼらしい格好なのだが……。
にこっと薄く笑うサーニャからは、やはり気品が漂っていた。
ふと、綺麗な眉が悲しそうに傾く。
「それよりごめんね。私がいなきゃ、普通に街の関所から出られたんだよね……」
「あー、別に。それは関係ないっての」
「関係あることくらい分かるよ、私」
さらに声まで落ち込んでいくので、
「もし一人で正面の関所から抜け出そうとしてたら、今ごろ処刑台の上だったかもしれないし」
俺は、ややブラックな冗談を飛ばす。
言ってみると、本当にそうなっていたような気もしてくるから不思議だ。
「ふふっ。やっぱり優しいね、アランくん」
「変に褒めるなよ。恥ずかしいから」
それも絶世の美女からの言葉だ。照れくさくないわけがなかった。
俺は、ぽりぽりとこめかみを掻く。
サーニャと視線を合わせられないでいると、彼女は辺りを何度も振り見ていた。
「なにか気になるものでもあったか?」
「えっと、私、図鑑以外でこういう自然の植物見るの初めてだから」
なるほど、そりゃ気になるわけだ。
彼女にとっては、城の外は未知のものだらけの世界だ。好奇心もあるだろうし、怖さもあるだろう。
その他の世界への一歩目が、魔界森林なのだから、目に入るもの全てが新しいのは当然だ。
分かる範囲で、俺は木々や動物たちを紹介して歩く。知識欲のたくましいサーニャは、前のめりで耳を傾けてくれた。
そうしつつ、森を奥へと入っていく。どれくらいのところまで来ているのか、全く分からなかった。
ただ正しい方向は、手元の方位磁石の赤い針が教えてくれていた。まぁこれも、正しいのだか、狂ってるのだか分からないが。
「ねぇ、アラン。あれは? あのツノみたいなの、なに?」
しばらくののち。
サーニャが細い腕を上げて、草陰を指差す。
俺は、なにか珍しい植物にでも遭遇したかと、そちらを振り向いてぎょっとした。
ぴょん、というよりは、がさっと不穏な足音ともにそいつは飛び出してくる。
「き、き、きゃぁっ!! アランくんっ!!」
五つのツノを持った、魔物。一匹のマンティコアだった。
体長五メートルほど、サイズ感もかなりのものだ。そしめ見た目に違わず実力も。
その鋭い鉤爪は、地面を豪快に抉っている。血の気が多いのは言うまでもない。獲物を求める目をしていた。
彼らの獲物、大好物は人間だと聞く。
つまり俺たちだ。
「な、なんで、この森に!? マンティコアって、たしか北国の森にしか生息してないって話じゃ……」
サーニャがぱくぱくと口を忙しく動かして言う。
「大方、誰かが連れてきて捨てたんだろうな」
「……最近、国で強い魔獣育ててるってのは聞いたけど、それかな。手に負えなくなって、逃しだとか」
知識が多いのはさすがだが、この状況では、全く活かせなさそうな話だ。
俺は、サーニャを隠すようにして、獰猛な虎たるマンティコアの前に立ちはだかる。
そして、相棒を手に携えた。もちろん、警棒である。
「ガルウウウウ!!!!」
威嚇するように咆吼する獣。
俺はそれに応えるようにして、波光剣を発動した。
さて、どう戦おうか。
サーニャを守りながらの戦は、警備隊の仕事と勝手が似ていた。やりにくいほどのことではない。
経験に照らし合わせ、俺が戦略に頭を張り巡らせていたら、マンティコアがじりじりと寄ってくる。
いよいよ、くる。俺は警棒を上段に上げて、刮目。威圧の魔力を発したところ、
「…………にゃあん」
なぜか、その獣は両足を俺の前で折る。そして首をこちらへ差し出した。
いわゆる、服従の意志を示したのだ。
……えっと?
♢
なにごとかと思う俺に構わず、マンティコアは、服従の姿勢を崩さなかった。
そればかりか、許しをこうかのごとく鳴く。
百獣を統べるなどと称されることもあるほど、猛々しい生き物がどうしたことか。
「な、なに、この子? 危なくないのかな」
「ま、まぁとりあえず大丈夫なんじゃないのかな」
俺が言うと、サーニャは恐る恐るといった感じで、俺の背にしがみ付きつつ獣の姿を伺いみる。
品のいい、やわっこいものが当たっているが、どうにか気にしないフリをする。
絶対と断言はできないが、反抗してきそうな感じはしなかった。
むしろ、捌きを待つ弱き者のようにさえ映る。
違う生き物かと疑いたくなるほどだが、近寄ってみると本物に違いないと分かる。
肉を食らう獣の、独特な魔力の匂いだ。
「……たぶん、アランくんの魔力の凄さに圧倒されたんだね」
「えっ、いやいや、俺何にもしてないし、そんなわけないし」
だが思えば、魔物が俺と対峙するなり戦意を失うことは、これまでも何度かあった。
無論、マンティコアに比べれば格下ばかりだったが。
マンティコアは意外にビビリなのかもしれない、うん。
だって俺はただの元・警備員なのだ。そんな凄い魔力を持っているわけがない。
ちょっとばかし、いろんな属性の魔法が使えて、便利なだけだ。それも普段は、ほとんど水魔法しか使っていない。
他になにかの原因があるだろう。俺がそんなふうに考えつつ、獣の頭に手をやると、
「お、お人形さんみたいになったよ!?」
マンティコアが、手乗りのサイズまで、小さくなったではないか。
にゃあん、と無害そのもの、普通の猫のような声を上げる。可愛い。毛並みを撫でると、もふもふふかふか、である。
「……テイムしちゃったみたいだね、アランくん」
「えっ、テイム?」
「うん。テイムしたら、モンスターって戦闘の時以外は小さくなるんだってさ」
魔物は、はるか昔に悪魔が作り出したと言われ、基本的には人にあだなす存在だ。
けれど、魔力でそのモンスターを圧倒してしまえば、しつけることができる。
魔物テイムの素質があるものに限った話だ。
「テイムするには、頭を撫でればいいんだって、本で読んだよ?」
……どうやら、知らずのうちにその儀式をやってしまったらしい。
全属性って怖い。
ミニサイズのマンティコア、というより、もはや子猫が俺の肩へ飛び乗ってくる。
隣でサーニャは、
「……どんな名前がいいかな」
こんなことを呟いていた。その目は、「カワイイ」にきらきらと輝いている。
さっきまで、怖がっていたとは思えない。
「目が青いから……、ブルーアイズワールドコア・キャット……!」
「いや、待て待て。落ち着こう、その名前を背負うこいつの気持ちになってみろ」
世界でも滅ぼさない限り許されなさそうなネーミングだ。
しかしとはいえ、名前をつけるなど初めてだ。その場で散々うんうんと唸った挙句、
「ミアちゃん。いい名前だね」
「……うん、少なくとも、他の猫に会ってもいじられない名前だな」
落ち着くところに、やっと固まった。
再び歩き出さんとしたところ、
「お待ちください、そこの勇者様っ!」
後ろから、うら若き乙女の声が飛んできた。こんなところで、人の声を聞くなんて。
なにかと、サーニャと二人して振り返る。
そこにいたのは、傷だらけの少女だった。見た目から推察するに、俺と歳が変わらないくらいだろうか。
召し物は、レースのあしらわれた薄手のワンピースらしき衣装。質が良いものに見えるが、どこかボロッとしている。
「お助けくださいまして、ありがとうございます。そのマンティコアに襲われて、困っていたのです」
「……えっと、あなたは?」
この森に住人などいたのか。なんて思っていたら、
「あぁ、わたくしですか。ふつつかながら、魔法を司る女神ですの」
……はい?
再び、俺の頭は疑問符でいっぱいになった。
自らを女神と名乗ったロリ巨乳。
もとい謎の少女を前に、俺とサーニャは、瞬きを繰り返すだけになる。
そりゃあ突然、目の前に女神が現れたのだから当たり前であった。
普通ならパニック状態に陥ってもおかしくはないのだが……。そうならないのは、
「そんなの信じられるわけないだろ〜。どういう冗談?」
戯言にしか聞こえなかった点だ。
神様がこの世に現存している時点で疑わしいのに、このボロっとしたナリである。
女神はおろか、町娘にさえ映ってしまう。
そのスタイルの出るところは出て、締まるところは締まった、世にも立派な様は一旦置いておけば。
「本当ですわよっ!? わたくしこそ、女神ですのっ!!」
「えーっと……でもその分じゃ説得力ないけど」
うんうん、とサーニャが同じる。
自称女神様は、本当ですもの! と、ややムキになって拳を固めた。
だが、そうかと思えば、膝からカクンと崩れ落ちる。
俺は、すぐさま側まで駆け寄り、彼女の前でしゃがんだ。彼女の頭を、ひざの上に乗せて、地面へ座り込む。
「大丈夫か! ……えっと、女神さん……?」
呼び方が分からず、俺はあいまいに声をかける。
「お優しいんですのね、あなた。わたくし、レティシアと申します」
「あぁ自己紹介。俺はアランで、こっちは、サーニャだ」
「素敵なお名前ですわね」
ぱあっと晴れた笑顔で、彼女は笑った。なんというか、太陽のようだ。
長くしなやかな、オレンジ色のロングヘアが、深く奥まで沈み込ませるようなルビーの瞳が、そんなイメージを想起させる。とはいえ、今は少し陰っているようだ。
「情けない格好をお見せしてすいません」
「しんどいなら喋らなくてもいいからな」
俺は少しでも手当てをできる道具がないかと、背負ったリュックを探る。
すると、彼女のほっそりと長い指が俺の腕を引っ張った。
そして連れて行かれたのは、彼女のたおやかな胸元だった。
「お、おい! な、な、なにしてんだよ!」
ふにんとした感触が少しあるや、俺はとっさに腕を引く。肩に乗っていた、ミアが驚いて跳ね飛んだ。
「……な、なぁっ…………!?」
突っ立っていたサーニャは、もごもご口ごもっていた。
その目に、メラメラとした穏やかでない意志が籠もっていくのを感じる。
不可抗力なのに。
「あら、どうされましたの?」
一人、余裕なのはレティシアのみだ。
「どうされた、って、なんでその、胸に手を……?」
「あら♡ 変な勘違いさせちゃったかしらね? 違いますわ。わたくし、女神ですから、薬や食べ物ではなく、魔力があればすぐに傷など癒えますの。だから、魔力の量をここで確認しようかと」
「……えっと」
「嘘などつきません。本当ですわ、ここで測りますの! それにしても、さすが救ってくれただけあって、すごい魔力の量ですわね。よければ少し分けてはいただけません?」
「まじ……?」
まじもまじ、と女神が受け合う。
神聖さより、なんだか俗っぽさが極まっている。
「なにか証拠とかあるのかよ、いや、あるのですか? レティシアさん」
「かしこまらないでくださいまし。レティで結構ですわ。そうですわね。証拠でしたら、この手を取って、魔力をわたくしにお流しくださいまし。そうしたら分かりますの」
「えぇっと、これでいいか……? なんだか騙された気がするけど……」
俺は、レティシアが差し出した手をそうっとゆっくり握る。溜めていた魔力を外向きへ変換した。
「わ、わっ! なに!?」
すると、サーニャが声を上げる。俺は、目を瞑ってしまった。
なぜならば、レティシアの身体が煌々と光だしたからだ。
本当に神様が降臨でもしたかのような、明々とした光だった。鬱蒼と木々が茂って、瘴気が篭り、昼にも関わらず暗かった森が、照らしあげられる。
「ありがとうございますっ♪ まさかこれほどまで魔力をいただけるなんてっ! ……それでいかがでしょう。お二人とも、わたくしが女神だと信じてくださる?」
そして彼女を見ると、無数にあった傷や服の損傷が本当に消えている。
ぴょん、と跳ねるように立ち上がる。
ただのヒールには、到底思えない代物だった。
こんな光景を見た以上、俺には頷くしかできない。
隣でサーニャも、こくんと首を縦に振る。
「よかったですわ♪ それでもう一つ、勇者さまにお願いがあるのですが……」
「あー……アランでいいよ、別に」
「では、アラン様♡ どうか、わたくしめをテイムしてくださいませんか?」
なにを言ってるの、この人。いや、この女神。
「見たところ、あなたは『属性不明』魔法をもってらっしゃいます。そのうえ、魔力の上限も計り知れない!」
「なにをでたらめ言ってるんだよ。俺は昨日まで、ただの警備員だったんだぞ」
「昨日は、昨日。今日は今日ですわ。あなたには溢れる才能があるのです、今たしかに。そう、『女神テイム』さえ出来てしまう程の圧倒的な、選ばれしものとしての才能がっ!」
ぽかん、としてしまった。
俺は、一人でに盛り上がるレティシアをぼうっと見つめる。
女神テイム?
選ばれしもの?
警棒一本で戦ってきた俺が?
「……アランくんの隣にいるのは、私だけでいいのぉっ!!!」
静かに深く、森に落ちる沈黙。
それを裂いたのは、王女・サーニャの絶叫だった。
身分違いだが、なんだか勘違いしたくなる台詞だった。
さて、女神をテイムしおえて。
いわゆる「ステータス」が見えるようになった。
_________
名前:アラン・ウィンディ
職業:元警備員
レベル:5
H P:1000
攻撃力:200
防御力:250
素早さ:200
魔法特性:全属性魔法(火、水、土、草、風)
スキル:神の警棒使い
__________
「見えたはいいが、よく分からないな。警備員のせいなんだろうけど、防御力が少し高いくらいか……」
数字なんて相対評価だ。
ふっと、俺はサーニャに目を移す。
「アランくん。私の能力も見えるの?」
レベルは5、体力は「150」、能力欄は、全て「20」で、魔法特性は「興国の土」になっていた。
王家特有の魔法特性だ。
「……私、素質はあるはずなんだよ。一応、王家の人間だから。魔法力を上げる鍛錬もそれなりにやってきたの。実践は、ゼロなんだけど」
「そうだったのか。どうりで、俺とレベル同じ……って、俺毎日のようにモンスターと戦ってきたのに?」
昨日のドレイクに限らず、それなりに場数は踏んできたはずだ。
鍛錬だって欠かしていない。
首を捻っていると、レティシアが俺の肩を抱く。
「レベルはマックスが100と決まっていますの。ですから、同じレベルでこれだけ能力値に差があるのは……ご主人様に残された成長値があまりにありすぎる、ってことですわ♡」
「なるほど……」
「ご主人様、自分の凄さが分かりました?」
正直、よく分からないし実感もないが、まだまだ強くなれると考えれば気分は悪くなかった。
レティシアや、魔獣・ミアの能力を見ようとするが、表示は出ない。
「テイムされたら、その人や獣の能力は出ませんの♡ それにわたくしは神ですから、どちらにしても出ませんわ、ご主人様」
「……あぁなるほど、って、え、ご主人様?」
「はい、ご主人様!」
「あの、思ってたんだけど、レティ。その呼び方はちょっと」
一応は貴族の生まれだが、追放されて久しい。
ご主人様なんて立場の人間ではないから、なかなか馴染めない。
しかしそんな俺を置いて、彼女は森の奥へと駆け始める。
「とにかく森を抜けましょうか、ご主人様、サーニャさん。この先に街がありますわ、まずはそこでお仕事がないか探してみましょう」
俺とサーニャは、はたと顔を見合わせた。彼女の肩で、ミアがにゃあと鳴く。
「なんか急に賑やかになっちゃったな。ミアいれたら、もう四人だ」
「……アランくんは好かれ体質だね。ちょっと妬いちゃうよ」
「いやいや、二回も追放されてるからな、俺。嫌われ体質でもあるかも」
二人して、くすっと笑う。それからレティシアの後ろを追った。
体力のあまりない、サーニャにペースを合わせつつ、進む。
途中、魔獣たちに何度か遭遇をした。といっても、マンティコアに比べれば、雑魚ばかりだ。
ほらまた、小さなスライムが草陰から飛び出てきた。
水タイプらしく飛沫を吹いて攻撃してくるのを、ひらりと避けて
「サーニャ、戦ってみるか?」
俺は、背中に隠れていた王女に、こう提案する。
城を出てきた以上、サーニャも、これからは王女らしく引きこもっているだけではいけなくなる。
せめて自衛ができれば心強い。
「えっ、私……? でも実戦なんて初めてなんだけど。練習って言っても、魔法を練ったことがあるだけで……」
「初めて、は一回目だけだよ。一回やれば、あとはすんなりいくさ。……そうだな、もしも不安なら、教えるから。俺なんかでよければ」
「教えてくれるの、アランくんが? じ、じゃあやるっ!」
急に鼻息を荒くするサーニャ。
レティシアとミアに見守られながら、俺は彼女の横に立った。
まずは見本を見せねばならない。久しぶりの土魔法。うまくいくだろうか。
「サーニャは土魔法が特性なんだよな? だったら武器がない時は、地面に向けて……こう!」
俺は手でいくつか印を作って、片膝を折ると、地面を触る。ほんの軽くだ。
すると、その部分が隆起し、土埃がたちのぼった。
遠くの木の根本にたどり着き、巨木を揺るがす。
「……かなり先までいってるよ、アランくん。やっぱり規格外だよ」
「俺のことはいいんだって。とにかくやってみろよ」
こくりと、彼女は緊張した面持ちで頷いた。
俺と同じように、いやもっと丁寧に印を結ぶと、
「目覚めよ大地の竜! 我が魔に答えて!」
得意げな顔で、地面に手をつく。
詠唱のわりに小さな土の波が、スライムの横をかすめていった。
「惜しいな、もう少しだけ指を寄せたほうが方向が定まる」
「どうすればいいかな……」
「少し手触ってもいいか?」
「も、もちろん大丈夫、ずっと触っててもなんならよくって……」
ごにょごにょ言いつつ、掌をぱっと開いて見せてくるサーニャの指を俺はそっと握る。
そして二人一緒に、今度は詠唱なしでまた魔法を放つ。
「ぴ、ピギィ!!」
当たると、スライムはすぐに倒れた。
初めてにしてこの威力の高さは、王家譲りなのかもしれない。
「や、やったよ、私!」
「あぁ、はじめてにしては上出来だ。もっと上のランクのモンスターでも倒せそうだな」
「そ、そうかな? ほんとアランくんのおかげだよ……。ありがとう」
初めての討伐成功を、興奮気味なサーニャと喜び合う。
「おめでとうございます、サーニャ様! 素敵ですわっ!」
レティシアにも祝ってもらい、彼女は嬉しそうに頬を綻ばせていた。
そうこうやりつつ、俺たちは順調に森を先へと進んでいき、夜を迎える頃。
やっと、街の明かりが見えてきたのだった。
森を抜け、整備された公道を歩くこと少し、街の関所に到着する。
サテラタウン。国の中では南の方に位置し、近くの高原での牧畜がさかんな街だ。
もうすっかり日は落ちていたが、関所の前には行列ができていた。
どうやら、商人の一団が通りかかったことにより、手続きやらが遅れているらしい。
列に加わって、俺たちは息を潜める。
「こんな見事なまでに全員、清廉潔白じゃないことってあるんだな……」
追放者に、王女に、女神に、危険な魔物(今はただの猫だが)。
あまりに特殊な存在ばかりだ。できるだけ目立たないに越したことはない。
「……アランくん、正面突破って大丈夫なの?」
深々と衣装にベールを巻いて、顔を隠したサーニャが言う。
「……うーん、でも他に手がなさそうじゃないか? 塀を越えられないかと思ったけど、どうやら奥には見張りがいそうだし」
「この街の警備って、厳重なんだね」
「どうやら最近悪党が多いらしいな。誰彼構わず言いがかりつける奴がいるとか」
俺は、列の手前から聞こえてきた噂話をそのまま彼女に受け流した。
なんでも、騒ぎを起こしては、その機に小金をせしめて逃げるのを繰り返している、タチの悪い窃盗が横行してるとか。
「……大丈夫かな」
サーニャは、少し不安げな声を漏らした。
それとは綺麗に正反対、肩の横から満面の笑顔が覗く。
楽天的かつ、とにかく無責任な女神の。
「なるようになりますわよっ、さぁ前に詰めて詰めて♪」
今に舞でも披露しそうなぐらい愉快そうだ。
俺は少し笑って、レティシアに頷きを返す。
「そうだ、きっと大丈夫。ちゃんと根拠もあるからさ、俺には」
実際、無謀すぎるほどの話でもなかった。
魔界森林を超えた分、この街までの道中は、普段よりかなりのショートカットをできた。
正規のルートを通れば、早馬を飛ばしたところで、一日近くの移動時間を要する。
追手がまだ来ていないだろうことを考えれば、この場の全員、俺の従者だとしてしまえば、どうにか通り抜けられるだろう。
詳細な身分が明かせない場合、通行料がやや高いようだが。
警備員時代の報酬をかなり積み立ててきたから、問題ない。
「む、ご主人様。それでは、わたくしがまるでなにも考えていないかのように聞こえますわ。…………実際、そうですけど」
「レティ、今はとにかく静かに」
「はっ、ついうっかり……! 分かりましたわっ!」
その声が響いていることには気づいていないようだ。
この天然女神様をどうしたものか。少し考えて、俺は彼女の肩にミアを伝わせる。
「うにゃぁ……」
「こ、これはどういうプレイでいらっしゃいます、ご主人様?」
「俺的にはむしろその状況はご褒美だと思うけどな」
眠そうな猫が、べたりとレティシアの華奢な肩によりかかる。
くすぐったそうにしつつ、まんざらでもなさそうに女神は戯れあっていた。
……さっきまで、襲いかかる側と襲われる側だったとは全く思えない。
環境の違いとは恐ろしいものだ。
「そこのお姉ちゃん、可愛いなぁ。俺とよろしくやらねぇか?」
「……お、よく見たら、ベールの子もいいスタイルしてんじゃねぇか」
列の脇から、変な輩二人組に声をかけられた。
淀み切った下衆の目が、女子二人に注がれる。
俺は、とっさにその前へと割って入った。
「なんだぁ、お前はよぉ。お前が情けなさそうだから、俺たちが奪ってやろうってのに」
「どうせ冒険者崩れだろ? お前にはもったいねぇよ、そんなレベルの高い子たち」
暴言が出るわ、出るわ。
俺がそれら全てを努めて無視していたら、そいつらの顔は、どんどんと赤くなり、沸騰していく。
「俺たちは強いんだぞ、この辺じゃあ、恐るべき方の「最恐」コンビなんて呼ばれてんだ」
その片割れが不気味に笑って、背中から飛び出ていた柄を抜く。
姿を現したのは、大きな斧だった。
見れば、もう一人の手には、既にナックルダスターがついている。
にわかに、場が騒然としだした。
サーニャとレティシアは男らを睨み、ミアは歯を剥き出しにしていた。
「……彼女たちには、指一本、触らせない。ミアにもな」
俺は、腰に差した警棒に手をやった。
だが、まだ抜かない。抜いてはいけない。抜くべき時はーー
「ははっ、そんなもんで勝てるわけないだろうが!」
「俺たちの鈍打でなぶり倒してやるよっ」
相手からの危害が加えられたとき。
「この素早さじゃ、雑魚には避けられんだろ!」
双方とも、風属性の魔法特性を持っていたようだ。
速さには誇りがあるようだが、……遅い。
ーーーーまず一秒待っても、来ず。
ーー次に二秒待って、やっと顔が拝める。
そして三秒後には。
俺は簡単に斧を避け、繰り出された拳を的確に掴む。
そしてあとは、水魔法を込めてぽんと警棒でひと叩き。
殺してはいけないからと、かなり加減したのだが、
「波光剣、使うまでもなかった……」
もう悪党どもは、地面に平伏していた。
かたや顔が地面に減り込み、もう片方は天を仰いだまま動かない。
手応えなし。驚きつつも、彼らのステータスを見る。
レベル四十、なんと俺の四倍もあった。
レベルの上では「格上」の相手だった。けれど、俺のステータスはほとんど上がっていない。
つまり、彼らはそれほど強くないようだ。
やや気が抜けて息をついたら、
「すげぇじゃねぇか、兄ちゃん!」
拍手喝采の中にいた。
あれまぁ、目立たないはずだったのに。
身を潜めるどころか、悪党を退治したことにより、一目ヒーローに祭り上げられた結果。
もしかしたら関所を通るのは難しいかもしれないとさえ思っていたのだが、
「この度は、本当に助かりました! 彼らには、ほとほと困らされていまして。あなた方のような、強いお方を待っていたんですよ」
むしろ金一封を握らされ、一人一部屋で宿の手配をしてもらい、感謝の令状を受け取り、挙句の果てにはラッパによるお出迎え。
とんでもないほどの歓待を受けることとなった。
街のメインストリートを、注目を浴びつつ歩く。
妙に居心地が悪いが、敵意ではないので、気分は悪くない。
目立ちたくはなかったけれど。
「でも、そんなに強い奴らだったんだな、あいつら」
「そうだったみたいですわね。まぁご主人様にかかれば、誰がかかってきても、あぁなりますわ♪ それにしてもーー」
ぽっと、レティシアは頬を染める。
「格好よかったですわ、わたくしたちを守ってくれたお姿♡」
「……うん、私も本当そう思う」
警棒でぺしっと叩いただけなんだけどな。
……もしかして扱える魔力が上がっている? とすれば、これも女神テイムの効果なのかもしれない。
俺が不確かな感覚を得ていると、地図を握っていたサーニャの足が止まる。
「今日のお宿、ここみたいだよ」
見上げれば、目の前には大聖堂!
……のような見た目をした、煌びやかな建物があった。
手の込んだ彫刻が入り口の前に据えてあり、やたら広い庭が篝火で幻想的に演出されている。
「サテラタウンで一番高いお宿ってだけあるね。……もちろん、お城よりは小さいけど」
「そりゃああれは国で一番大きい建物だからなぁ。でも、ここもかなりの大きさだ」
「そうなんだね? もうヘトヘトだからゆっくり寝られるのは嬉しいな」
疲れの覗く顔で、サーニャは笑う。
とぼとぼとした足取りで、入り口へと進んでいった。
思えば、彼女にとっては、ほとんど初めてだろう長期外出だ。
それも足場の悪い山道を、魔物に襲われながら歩いてきたのだ。疲労が蓄積するのも無理はない。
「ほんと幸運だ。普通に泊まるだけだったら、もっと安いところだったろうなぁ」
ここならば、城と全く同じとはいかずとも、寝具も相応によいものを使っていそうだ。
風呂も充実しているだろう。
そんな風にサーニャの疲労回復を心底祈りつつ、一方では少し期待もしていた。
なににかといえば、もちろん食事である。
「くるり豚、アブラ牛に、コーゲン鷄♪」
レティシアはすっかりその気で、変な自作の歌を口ずさんで小躍りを決めていた。
「レティ、エネルギーは魔力でいいって話じゃなかったっけ」
「女神たるもの、食べ物からも得られますの。それに、なにより心の癒しなのですわ。
最近ときたら、雑草、花の蜜、獣の生焼け肉……」
「壮絶だな、それは」
女神というより野武士みたい。
振り返っていく顔は、げっそりこけていた。
とはいえ俺も自慢ではないが、大した食事をしてきたわけじゃない。
だからこそ期待に胸が膨らんでいたのだが、俺たちを待ち受けていたのは、
「……なんというか、これは…………」
「えっと、控えめでいいんじゃない? 私はそんなに食べない方だから別に」
「わたくしは、食べないとダメになるタイプなのですっ。少なくないですこと?」
皿に小盛りにされたおかず、いや前菜ほどの量の小鉢だった。
文句の言える立場ではないのだが、レティシアと同じく、物足りなさは覚える。
「実は最近、畜産の方が不調で、肉が取れないのです。申し訳ありません」
そこへ、こう謝りにきたのは、レストランのシェフだった。
「どうやら高原の方で問題が起きているようでして、詳しくは知らないのですが。噂によると、魔物が出てるとか」
「魔物、ですか」
「はい……。あそこは高原ですから、ドラゴンでも住み着いたのでしょうか」
少し気になる話だった。
明日以降、確認に行ってみるのもいいかもしれない。
結局控えめな食事を終えて、俺たちは各々の部屋へと引き下がる。
猫のミアをだきながら、ベッドにちょこんと座ると、長かった一日がようやく終わるという実感が湧いてきた。
なんだか、嘘のようでさえあった。
昨日の夜まで追放されたことにうじうじ悩んでいたのが、今日は新しい仲間たちと素晴らしい旅路についている。
考えれば考えるほど気持ちが昂って、俺は庭へと散歩に出ることにした。
一人庭に出て、芝生に腰を下ろした俺は、夜風に当たる。
そうしつつ、俺はこれから先の身の振り方に思いを馳せていた。
もちろん、就活をしなければならない。
できればサーニャやレティシアのためになり、誰かにも貢献できる仕事がいい。
だが俺は、二度の追放を受けた身だ。
もしかしたら次の場所でも追放されるなんてことにーー
「アランくん、こんなところにいたんだね」
後ろから、声がかけられた。
振り向くと、サーニャが寝巻き姿で立っている。
王女様らしく凛としておらず、抜けた格好も、また可愛い。
「お部屋尋ねたら、いなかったから。……びっくりした」
「寝てなくて良かったのか?」
「うん。なんだか寝付けなくってね。いつもはぬいぐるみに囲まれて寝てたし、メイドさんがいたからさ。だから、そ、その、私、アランくんさえよかったら一緒にーー」
え?
「な、なんにもないよ、やっぱり! そ、それでアランくんは? こんなところで、物思い?」
「……まぁな、これから先どうしようかなぁなんてさ」
彼女は、俺の横にちょこんと膝を折る。
「そっかぁ、私もちょっとそれ考えてたよ。王女じゃなくなって、これからどうなるのかな、って」
「……サーニャの場合、俺より大きな変化だもんな」
「大きな変化って意味ではアランくんも一緒だよ。これから先に期待もあるし、不安もある」
でも、とサーニャは口角をにっとあげる。
「私、アランくんがそばにいたらね、どんな変化でもきっと受け入れられるよ」
どんな可憐な花でさえ、かないっこない美しい微笑みだった。
俺は少し間、釘付けにされて魅入られる。
「アランくん、顔赤いよ? 大丈夫なの?」
「あ、あぁ、うん」
「ほんとにー?」
サーニャは心配そうにして、俺に寄りかかってくる。
整った顔立ちがすぐそばまで来ていた。つんと尖らせた唇が、麗しい。
近距離で、視線が重なった。
どきどきと止まない胸の鼓動と戦っていたら、
「なんか眠くなってきたかも」
「…………えぇっと?」
「アランくんのお膝、あったかいんだもん。なんか落ち着いちゃって。えへへ……………アランくん、私ね、アランくんのこと。だいす……やぁ」
「おい、サーニャ? え、この状況で寝る?」
心地よさげに、寝息が立つ。揺すっても起きそうにない。
やっぱり疲れがきたしていたようだ。
無理に起こす必要もない。俺は、もう少しこのままいることにする。
「あー! こんなところで二人でいらしたのですねっ!」
そこへ、女神が駆け寄ってきた。
夜だというのに、全くその勢いが落ちないのがさすがだ。
「レティ、少し静かに」
サーニャの様子を見せて、俺はこう促す。すると、彼女は何度か頷いた。
少し静寂がやってきて、二人して夜空を眺める。
「ご主人様、今日は本当にありがとうございました」
改まって、レティシアが頭を下げた。
「気にしないでくれよ。やりにくいからさ」
「……そうおっしゃるなら。でも、わたくしにとっては本当に救世主でしたから、やっぱり言わせてくださいまし。
ありがとうございました」
「それじゃあ、今日でお別れみたいに聞こえるぞ」
えぇ! と、ショックがにじむ声が上がる。
この女神様には冗談が通じないようだ。
ならばと、俺は手を差し出す。
彼女はわけもわからず、たぶんほとんど条件反射的に握っていた。
「これから世話になる。改めて、よろしくな、レティ」
「はいっ、わたくしはずっとついていきますわ♡」
女神がキラキラと笑う。
ぴったりと肩を寄せてきた。俺にしなだれかかってくる。
展開がなんとなく読めてしまった。くかー、とよだれを垂らしている。
「……やっぱり寝た」
両手に花。
それもこの世で最も美しいバラ二本。
雑に扱えるわけもなく、俺は身動きが取れなくなる。
なにか方法は……、と考えて、
「起きないと、キスするぞ〜」
奥の手に思い至った。
「はうっ、起きたらキス……ほんとに!? あっ間違えた、その、えっと、すやすやぐがー」
「ご主人様、わたくしはいつでも歓迎ですわっ!! あっ、えっと、おやすみなさいですの」
うん、可愛い。
起きなかったけど。
新作始めています!!
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