第七話 ラジオ・ドラマ
俺の名前はジョン。
ここ十数年で金持ちになったり貧乏になったり、忙しい糞ったれな日々を過ごしている。約十年前に始まった大恐慌のせいで貧民となった俺は、日雇いの仕事を探しながら何とか金を稼いでいる毎日だ。
だが最近では、ようやく景気が上向きになって来たのか、多少俺の生活はマシになってきた。その証拠に飯のタネになりそうな話が俺の周りに、チラホラと現れ始めた。
その事に俺は何と有り難い事か――と、思わなくもないが、世界を巻き込むような戦争が始まるって噂もあるから、感謝の念を抱くのも馬鹿らしいだろう。
上の人間は、下で這いずり回っている人間の事なんざ考えない。それは神様も政治家も一緒で、あいつらは大を生かす為に、小を殺すのだと嘯くのが仕事だ。だから適当に気の向いた時だけ感謝して、恩など感じない方が心にゆとりを持てる。
そしてもう一つ、俺の心が平穏を保つ為の大事な儀式がある。
「今日も、お仕事お疲れさん」
俺はそう言いながら大事に抱えている紙袋をテーブルの上に置く。そしてそれと同時に、同じテーブルの上に乗っているラジオを点けて、聞こえてくる放送を垂れ流す。
その流れてくるラジオの放送を聞きながら、俺はテーブルの上にある紙袋を破る様にして開ける。すると中から出てくるのは、近くの店で購入したビールとワインと、肴として買ってきたジャーキーやチーズだ。
俺は体の全身の力を抜く様に椅子に座り、ビールの栓を開ける。そしてジャーキーを噛みちぎり、ビールでそれを胃の中へと流し込んでいく。
「ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ」
ビールの炭酸と苦みが喉を適度に刺激し、噛みちぎったジャーキーを脂ごと腹の中に納めていく。キツイ労働で無くなった水分と栄養を一気に取り戻した気分だ。
「くあぁぁ。溜まんねぇな、おい!」
これが俺の一日を終える大切な儀式だ。
労働を終えた後の酒とツマミ、そして無駄に垂れ流されるラジオ。こういったどうでもいい儀式が人の心に余裕を与え、こんな下らない日常でも生きられる理由になる。そうしたものが次の日も過酷な労働の意欲になる――と、俺は思っている。
だからこそ俺は、戦争をおっ始める国の上の連中は、碌でも無ぇヤツラだと思っている。もちろん他に人が居る場所では口に出すことはない
「戦争を起こすヤツラこそ、戦場の最前線に立てばいいんだよ。そうすりゃ、戦争なんて直ぐに終わるに決まってらぁ……ヒック」
俺は酒を飲みながら、国に対して一人で愚痴る。話を聞いてくれる相手など誰も居ないが、貧民の酒飲みなんて皆そんなものだ。俺みたいな落ちぶれた人間の心を癒すのは、いつだって酒と煩わしくない程度の他人との繋がりだ。
こんな俺に優しくしてくれる人間など居ないが、そこは……そう! アレだ! あの、ラジオがある! 俺の話を聞いてくれる訳じゃないが、そこに他人の声があるだけで一人じゃないって思えるからだ。
『えー明日の天気予報を今からお伝えします。明日、予想される天気は――』
そんな俺の孤独を癒してくれるラジオの方だが、今流れているのは聞いてもつまらない明日の天気だ。だがそれだって人間が生きて行くのには必要なもので、無駄な事は何一つもないって意味を暗喩していると考えるのは大袈裟だろうか?
だが俺は、このつまらない天気予報が嫌いじゃない。押し付けがましいDJや、胡散臭いお涙頂戴的な物語を聞かされるよりは、よっぽどマシだと思っている。何故ならこんな糞ったれな現実にも、安堵を得られる様な日常があるのだと、少しでも気づく事が出来るからだ。
しかし今日はどうやら、そんな俺の最低な日常が――日々の終わりの楽しみが、ぶっ壊れる日だったらしい。
『緊急速報! 緊急速報です! 今から明日の天気予報を中止し、臨時ニュースをお送りいたします! もう一度お伝えします! 緊急速報! 緊急速報です! 今から明日の天気予報を中止し、臨時ニュースをお送りいたします!』
ラジオからは、ニュースキャスターの焦った声が流れてくる。
俺はラジオから流される放送を聞きながら、ついぞ戦争でも始まったか? とも思ったが、その予想は当たり前の様に外れていた。だがラジオから流れてくる次の言葉は、戦争が起きる事よりも馬鹿みたいな内容だった。
『今晩8時過ぎ、ニュージャージー州に隕石の様な物が落下しました。そのの形状は細長く槍の様な奇妙な形をしており、大気圏を抜けて地上に墜落した模様です』
ほわっ! っと、思わず笑いながら声を上げる。
決して笑い事じゃ済まされない事態なのに、人間は信じられない事が起きると、つい笑みを浮かべてしまうものらしい。多分これは心の均衡を保つ為のもので、間違っても嬉しい訳じゃない。
「……これは大事件じゃないか」
国と国が争う戦争もヤバい出来事に代わりはないが、隕石の落下は戦争以上の怖さがある。
なんせ宇宙からの落下物で、戦争で敵国から爆弾を落とされる以上の恐怖だ。今ニュージャージー州に住んでいるヤツラは気が気じゃないだろう――。
「――って、ここじゃねぇか!」
俺はアルコールで満たされた体を何とか動かし、建てつけの悪い窓をゴリゴリ音を立てながら上げ、外に体を乗り出す様にして空を仰ぎ見る。
ここは5階建てのボロアパートの最上階。こうやって窓から空を見れば、その様子は一目瞭然だ。こんな事をやっても意味はないだろうし、どうにかする事なんてとても出来ないが、確かめずには居られないのが人間というものだろう。
ゴゴゴオオオオオオオオ!
「はは! 最悪だ! 糞ったれ、畜生め!」
夜の暗い空からは空気が焼ける様な音を立てながら、何か大きな物体が落ちてくる。それは赤黒く燃え上がり、夜の闇中でその存在を主張している様だ。
その形は何本もの槍を束ねた様な長い物体で、その本体の色は濃い緑色。それが自分が住んでいる町を目指して落ちて来ているのだから、もはや絶望しかない。
窓から下にある路地を見てみれば、空を見上げる連中がチラホラと居る。もしくは俺と同じように、窓からあの隕石のような物体を見つめるヤツラも多い。そして今からでも何とか逃げ出そうと、悪足掻きをしている人間もいる。
俺はそれを見て、いまさら慌てて逃げても結果は一緒だろう、と鼻で笑う。だったら出来る事は一つしかないじゃないか。
「ハハッ、それなら俺は最後の最後まで、自分の人生を楽しんでやるよ――このっ、エイリアンめ!」
俺は落ちてくる隕石をエイリアンと罵り、テーブルからワインを瓶ごと持ってくる。だってそうだろう? 隕石は宇宙からこの星にやって来たんだ。だったらアレをエイリアンと呼んで何が悪い?
それにせっかく買った酒を死の間際で楽しめないのは、人生の損失だ。どうせもう終わる命なら、その瞬間までを楽しむのが人間ってもんだ。
俺はそんな事を考えつつ、ワインの瓶をラッパ飲みし、それを胃の中へと納めていく。それがアルコールのせいなのか、普段の抑圧された生活に対する開き直りなのか、俺はこの状況が逆に楽しなってきた。
「最後の晩餐にしちゃあ、値段も度数も引くい安酒だが、肴が落ちてくる隕石なら……それはそれで、面白れぇ」
俺は一人呟きながら、ワインをどんどん腹の中に流していく。落ちてくる隕石は、空気との摩擦熱のせいか真っ赤だが、本体が緑色の為か、やたらとカラフルに見える。
「はっは、クリスマスのイルミネーションかよ!」
ちっと早すぎるが、宇宙からのプレゼントが隕石とは、シャレが効いている様な気がしなくもない。
町の上空には槍を束ねた様なデカい隕石。それはまるで巨大な剣山か、たくさんの墓標のようだ。それがこの町に落ちて、落ちて、落ちて――。
「ん? ……あれ、落ちてこない? っつうか、隕石どこ行った?」
窓から空を眺めて見れば、そこにあるのは、いつもの夜空だ。先ほどまでは、こちらを圧迫する様に見えていた隕石は、夢か幻の様に消してしまっていた――まるでその存在が最初からなかった様にだ。
「あ!」
これは果たして誰の声だったのだろうか?
俺はその声に反応して、隣にあるビルの上を見る。そこにあるのは緑色の不思議な形をした物体が、細い何本もの幹となって降り立っているのが見えた――そう、降り立っているのが見えたのだ。
「な、なんだよ? 一体あれは何なんだ!? 他のヤツラはアレに気づいているのか!?」
そう叫ぶが、どうやらあのビルの上に立つ、よく分からん物を見つけたのは俺だけらしい。路地を歩いている連中や、俺と同じように空を眺めていた奴らは、隕石が消えた事実だけに呆然としている。
「はっはっ……」
俺は先ほど隕石が落下してきた事実よりも、いま目にしている物の方が恐ろしい。
だって、そうだろう? 隕石が落ちてくるのは、ある意味常識的だ。だがそれが何の被害も起こさずに、いつの間にかビルの上に降り立っているのだ。
もしもこの事実に恐怖を感じないヤツがいるなら、そいつは正真正銘のアホか気狂いだ。俺はどこかの精神科に入院する事をまず勧めるだろう。要するに俺は今回の事をそれくらいの非常事態だと思っている。
こうして俺が目の前の光景に恐怖を感じながら呆然としていると、ラジオからその真相を突き付ける様に放送が流れてくる。
『緊急速報! 緊急速報! 先ほ落ちた隕石から、光線銃を持った宇宙人が出て来た模様です! 緊急速報! 緊急速報! 先ほど落ちた隕石から、光線銃を持った宇宙人が出て来た模様です! 付近の住民は直ちに避難を――』
俺はそのラジオの放送を聞いて「はぁ!?」と、思わず振り返り、視線をラジオのある場所に向ける。するとそこには何故か、俺以外の誰かが立っていた。
「え?」
「見つけましたぁ。地球人類ゲットだぜぇ! ――ですわ」
砂金の様な綺麗な髪と、銀色の肌色をしている月の女神の様な美女。その手に持っているのは、見た事のない形をしている銃の様な物。そしてそれが自分に向けられ、指先が引鉄を絞る様に動いていく。
「あ」
思わず漏らした言葉と同時に、俺の全身が光に包まれる。
「あ、あ、あ……」
光に包まれた俺の体は、その意識と共に、フワフワとした夢心地の様な感触になる。
手足は縮み始め、背も子供の様に低くなっていくのが分かった――いや、手足や背の高さだけじゃなく、俺の体の全てが小さくなっているのが分かる。何故なら俺の狭くて小汚いアパートの部屋が広くなり、天上すらも高くなっているからだ。
「大丈夫ですよ、痛くなんてしませんから」
恐怖に引き攣った俺を安心させるように、目の前の美女は穏やかに優しく微笑む。その姿は悩まし気に主張している胸も合わせて、まるで母性の塊だ。
「大丈夫ですよ、痛くなんてしませんから」
繰り返される言葉。
だがそれは心地よく耳に優しい。まるで数年前に死んだママが耳元でささやいている様だ。そんな声を聞いていると、どんなに頑張っても眠くなってしまう。
「ふわぁ……」
そうして俺は、次第に訪れ始めた眠気に逆らう事を止め、意識を闇に――いや、光の中へと放り投げるのだった。