第十二話 アームストロング2
月に存在する超宇宙的技術移民船ツッキーでは、地球人類を迎える為の準備を終え、今では誰もがかつてない緊張感に包まれている。その理由はとうとう彼ら、地球人類がこの月に辿り着き、アポロ11号が月の周回軌道に入ったからだ。
しかしグレイ達が住んでいる移民船は、宇宙人類の技術によって迷彩加工されている。その為その姿は外から見えず、この基地兼住居兼移民船が、地球人に見つかることはまず無い。
そうした事実によりアポロ11号は、今も何事もなく月の周りを三十回以上周回しており、どうやら月面に降りるための着陸地点を探している様だった。
それから約19時間後。遂にアポロ11号の乗組員であるアームストロングとオルドリンは、本船アポロ11号から着陸船『イーグル』に乗り込み始める。そして二人を乗せた着陸船イーグルは、本体から切り離され月面へと降下をし始めるた。
――だがそこで問題が起きる。
「駄目です!! パターン赤! 降下スピードが10秒ほど早いです! このままでだとイーグルは月面に衝突し、木端微塵に粉砕します」
移民船ツッキーの一室で、焦りを伴った声が響き渡る。ここはグレイ・アダムスキーの仕事場であり、地球人類を監視、調査するために用意された、天の川銀河太陽系管轄監査室だ。昔は二つしかなかった机が三つになり、今日はその席が三つとも全て埋まっている。
一つは勿論この基地の責任者であり、実質ナンバーワンの存在であるグレイ・アダムスキーの席だ。彼はこの緊急事態に対処するため、常にこの部屋に控えており、今はその表情を険しくしている。
二つ目の席はグレイの部下であり、良きストッパーの苦労人パーシー・ローウェルである。彼女もグレイと同じで余程の事が無い限り、この部屋を出ることは無い。今は自分の席に着きながら『もう一人』の同僚の声に耳をそばだてている。
パーシー・ローウェルの本来の専門は医療関連であり、ナノ治療や薬品の扱いを得意としている。今回は地球人類が起こす不測の事態に備える為、今も待機中だ。
そして三つ目の席は、天の川銀河太陽系第三惑星管轄監査技術士のナヨ・タケノカグヤのものだ。彼女は失恋によって受けた心傷が、最近ようやく癒えてきた。ちょくちょく仕事はしていたのだが、今の様にこの監査室に来るのは久しぶりの事で、少し緊張している。
さて、そんな彼女――ナヨ・タケノカグヤは、この移民船ツッキーにいる技術士官のトップの存在だ。以前、父親の用意したお見合い話に悉く敗北し、逃げるように地球に逃避行の旅に出た事がある。当時の地球人類の科学力は低く、その他諸々の事情もあり、彼女の行動は一部を除き問題になっていない。
だがナヨ・タケノカグヤの持つ技術は確かなものであり、この移民船ツッキーに常備されている脱出艇『ナヨタケ号』も、彼女が製作したものである。
そんな彼女が何故、地球人類を監視・調査を任務とする天の川銀河太陽系管轄監査室に居るのか?
「ナヨタケ号に使われている重力制御を応用して、着陸船イーグルの降下速度を誤魔化します。グレイ主任! 許可を!」
「うむ。やりたまえ、ナヨ君」
それは、もちろん地球人類を守る為だった。ナヨ・タケノカグヤも、グレイやイヌマールと違った意味で地球人類に愛着を抱いている。それ故に今回の事件は彼女にとっても他人事ではなく、長い時間を経てこうして現場に復帰している。
ナヨ・タケノカグヤの提案をグレイは何の意見も挟むことなく了承し、ナヨの見事な手腕によって、着陸船イーグルの降下速度は遅くなっていく。
「着陸船イーグル、月面から33メートルの上空に居ます。どうやら推進剤が少なくなっている模様です」
ナヨが着陸船イーグルの現状をグレイにつぶさに報告する。それを聞いたグレイは額から汗の粒を流すが、特に何かを指示することは無い。だが組んだ腕を震わせている様子を見ると、何も思うところが無い訳ではなさそうだ。
現在この管轄監査室の様子は音声だけが、移民船の中に館内放送で流れるようになっている。今日は基地にいる全職員の仕事が休みとなっており、皆がアポロ11号や着陸船イーグルの動向にその耳を傾けている。
ちなみにイヌマール・カントルは、既に泣きそうな表情でオロオロしており非常に落ち着きがない。
「月面まで残り約30メートル! 予測での推進剤の残量は、あと90秒程度です……あっ!?」
ナヨから驚きの声が上げられると、グレイだけでなく基地に居る全ての住人が窓に張り付き、外の――宇宙空間の様子を見ようと覗き込む。特にイヌマール・カントルは窓に頬をグイグイと押し付けており、普段は美人な顔つきが残念な事になっていた。
冷静なのは普段から地球人類を一歩引いた所から見ているパーシーと、オペレーターの様な事を務めているナヨだけだ。
パーシーは慌てて窓に顔を押し付けているグレイを尻目に、慌てず騒がず落ち着いた様子で窓に側に行き、そこから着陸船イーグルの様子を観察する。
「少し、フラフラしているようですね? 迷っている?」
パーシーが呟いたとおり、着陸船イーグルはバランスを上手く取れずにフラフラしている印象だ。何か困った事が船内で起きたのか、判断が鈍っている様にも見える。そしてそれはどうやら的中していたらしく、ナヨが今の状況を説明してくれた。
「着陸船イーグルのバランスが少し崩れています。恐らくイーグルのエンジンで巻き上げられた月の砂塵が、彼らの視覚を一時的に奪った様です……ですが、今は大丈夫です。何か目印を独自で決めたのか、安定して降下しています」
――そして、その時が訪れる。
ゆっくりと上空から降りて来た着陸船イーグルからは、脚部が吊り下げられ、その探針の一つが月面に接地する。そうしてそのままエンジンを噴かしつつ、遂に人類は有人飛行における月面着陸を成功する。着陸船イーグルのエンジンが切られ、月面に設置された探針のライトが点灯する。
地球人類らしき知的生命体候補が誕生してから約300万年。やっとこうして今日ここに、地球人類は初めて母星以外の大地に、その足で立つ事に成功する。
「着地完了を確認! 着陸船イーグルは無事に、この月面基地『超宇宙的技術移民船ツッキー』の近くへと、到着したのを完了しました!」
そのナヨの報告が移民船ツッキーの中へ流れていく。それと同時に基地の仲は喧騒に包まれ、所々でクラッカーの音が鳴り響く。
移民船ツッキーの窓にへばり付く様にしていたイヌマールは、地球人類が月面に来ただけで大泣きしており、もはや手が付けられない状態だ。
ナヨもホッとするように安堵の表情を浮かべており、座っている椅子の背もたれに寄り掛かっている。パーシーも普段は感情を表に出さないが、今日だけは本当に嬉しそうだ。
そしてこの移民船の主任でもあり、責任者であるグレイは、窓から見える着陸船イーグルを見て微笑んでいる。それは今までの彼とは思えないほど落ち着きを払った表情で、その眼差しはどこか誇らしげだ。
「ようこそ、地球人類たちよ」
そして一人の地球人類が、偉大な一歩を踏み出す。
それはまさしく小さな一歩だった。
だが、それと同時に宇宙にとっては偉大な一歩である。この偉大なる一歩を喜んだのは地球人類だけでなく、グレイ――グレイたち宇宙人類にとっても、歴史的な出来事だったのである。




