深淵の蜂
「『蜂蜜』の出所が判明した」
意図的に暗くされた会議室。その中で煌々と光るモニター。その前に立つ白鬚を蓄えた男はその言葉を口火に喋りだした。
会議室には白髭の男の他に八名の男達。彼らの服装は警察の制服をキチンと着こんだ若者から、シャツだけのラフな格好の中年男性まで様々。だが、彼ら全員は真剣な表情でモニターを見ている。
モニターの画面にはごみが散乱する薄汚い裏路地から出てくる男の写真。その男は黒いジャンバーを羽織っている。モニターの写真は次々と変わり、男の行き先を監視し続けていた。
「このまま男は歓楽街から移動し、第四隔離地区を通って第五隔離地区へ。そして地区内の古い工場に入っていった」
「そこが『蜂蜜』の出処っすか?」
座っていたメンバーの一人が軽い調子で質問する。その言葉遣いに白鬚の男は顔を顰めながらも話を続ける。
「ああ、『ミツバチ』を追っていた大森が中を確認した。ビンゴだ。それに『スズメバチ』の姿も確認している」
そう言った瞬間、画面に白髪をオールバックにした老けた男の顔が映し出される。
「『スズメバチ』……」
「そう、我々が追い続けている『最底辺の王様』の一人を捕まえられる可能性が出てきた」
「という事は……」
「ああ、『蜂蜜』生産工場の占拠。そして『蜂の巣』の構成員の逮捕。それが今回の任務だ。決行は今日のマルヒトマルマル。実行メンバーはここに集まった八名。総指揮は私が執る。異論は?」
「異論は? だって、髭爺め……」
夜の星が見えない程に輝く雑居ビルの群れ。細い道路に所狭しと浮かび上がるホログラム。その優雅さの欠片もない街を歩く人を誘う娼婦達。その全てが描く混沌の世界。
その道路の一角に駐車されている電気自動車のバスに座る二人と「二つ」の男達。その中の運転席に座る男は面倒くさそうな表情を隠さず悪態を着く。
男は四十代程であり、鍛え抜かれた筋肉が服越しからでも分かる程であった。しかしその肉体に反して顔はどこか気が抜けた親父臭さがどうにも抜けない。
その後ろの座席に座る青年は二十代程だが、下手したら十代でも通用しそうな雰囲気を身に纏っている。青年はブルパップ式のアサルトライフルの調子を確かめながら男に対して苦笑いを浮かべていた。
「まあまあ、先輩。部長の気合が入るのも分かりますでしょ。『最底辺の王様』の一人と隔離地区から流れてくる麻薬。その二つを確保できるかもしれない。もし成功すれば僕たちの部の地位を上げられるかもしれないんですから」
隔離地区は現代の日本で社会問題と化していた。二足歩行型自立行動機械……アンドロイドの普及によって生まれた社会的格差。それによって自然発生した日本にあって日本の法の灯が届かない完全なる混沌。
しかし隔離地区であっても完全なる無法地帯という訳では無かった。金、力、知恵、思想……様々な手段で人々をまとめ上げる者たちが混沌の中から生まれだした。或る者は「鼠」と自嘲し、また或る者は「騎士」と他称され、また或る者は「姫」と崇拝された。そんな彼らを総称してこう呼ぶ。
「最底辺の王様」と
「『最底辺の王様』といっても隔離地区で踊っていれば文句はない。けれども今回の標的『スズメバチ』は『蜂蜜』という毒をこちらに流し込んできた……となれば僕たちが動くしかなくなりますよ」
「言われなくても分かってるよ」
「蜂蜜」という新種の人工麻薬が近年若者を中心に流行を始めていた。それの出処は隔離地区に息をひそめる「蜂の巣」という集団。彼らは以前から警察といざこざを起こしており、更に武器の裏取引をやっている事が確認されている。その為、男たちの組織……「警視庁隔離地区特別監視部」でマークされていた。
「けれども『蜂の巣』のリーダーは『最底辺の王様』の一人として悪名高い『スズメバチ』。それに『蜂蜜』製造箇所が不明だったから、今まで強制捜査に及ばなかった。けれど『蜂蜜』の製造箇所が判明したから一気に決めようって事か」
「だから張り切ってんですよ。部長さん」
「はぁ……嫌な時代になったもんだね」
男はそう呟くと、視界を再び混沌へと目を向ける。それを見て青年は同情するかのように同じ視線の先を見た。
「そうですね……早く隔離地区を失くしたいものです」
「……その手段がこれなのが一番嫌なんだかね」
男は青年に聞こえない程の小さな声でそう呟いた。そして一度手元の時計を確認した後、右耳にイヤホンを取り付ける。
「準備万端か? そろそろ時間だ」
「大丈夫ですよ」
青年は男に気楽そうな笑顔を浮かべた後、扉の取っ手へ手を掛ける。
扉の先の道路ではホログラムの映像で出来た女性が点滅し、自分の寿命を訴えていた。
男たちがバスから降りた時の格好はとても警察には思えない姿であった。くたびれたシャツに、泥汚れの跡が酷いジーンズと地面を擦った跡がある古びたリュックサックを各々の持ち方で持っていた。そして極めつけに髪型もわざと崩し、わざわざ悪臭のするスプレーを二人と「二つ」に全身に振りかけた。
その匂いは普段真面目に職務を全うする青年が「本当にやらなくちゃいけないんですか……」と確認を取る程の強烈な匂いであった。
そして悪臭を全身に纏った二人と「二つ」は自然体を装った動きで歓楽街から隔離地区へと歩を進めていく。
彼らの匂いに対して周りの反応は鈍かった。男たちとすれ違った者は少なくなかったが、その匂いがさも当然かの様に皆顔すら向かずに過ぎていく。
「この匂いで、本当に大丈夫なんですね……」
周りの反応に青年は小声ながらも素直な驚きを口にした。それに対して男は顔を顰めながら囁く。
「おい、後輩。俺たちの後ろのデカブツも黙って動いているんだ。口を閉じろ」
「あっちはアンドロイドじゃないですか……」
青年はそう呟き、後ろから二人の跡を歩く無表情な二人の男に目を向ける。
その二人は男と青年の動きを見ながら周囲を見渡しているが、全く会話をせず、黙って追従し続けている。
彼らは警察が所有するアンドロイドであった。現在、隔離地区特別監視部に限らず警察では一人に付き、アンドロイド一人が共に行動することを義務付けられている。アンドロイドは基本、人間よりも力が強い。その為、パトロール中の警察を守ることと職務の支援を目的に配備されている。これにより犯罪時の警察官の死亡数は大幅に減少。アンドロイドのその余りの有能さから、「交番から人間が居なくなるのも近い」と噂される程である。
「今回の任務の人間は八人。つまり動員されるアンドロイドは八体……俺たちの主な仕事は、アンドロイドを『蜂の巣』の前に運ぶのが仕事だ。隔離地区にはアンドロイドに仕事を盗られたことで恨みを持つ奴はわんさかだ。そんな奴からアンドロイドを守るのが俺達の仕事」
「とはいっても見た目は普通の人と変わりないですよ……気付かれるんですか?」
「人によっちゃ、会話、喋り方。歩き方から手の動きでアンドロイドを見分けられるそうだ。そんな奴らに気付かれたら、最悪警察の動きがばれて今回の計画は全ておじゃんだ。出来る限り目立たないようにしろ」
「……了解です」
「隔離地区」とは言ってもはっきりとした境界線は存在しない。しかし歓楽街から歩を進めていると、先ほどとは徐々に雰囲気が変わっていく。過剰な程文明の灯を輝かせていた歓楽街と変わらぬ雑貨ビルの群れだが、歓楽街のビルに比べるとまともな修理は施されていない。そんな危険なビルが立ち並ぶ道路には灯りと言うものが殆ど存在せず、所々のビルから漏れる光源だけが道路を照らしていた。先程とは真逆の静寂……だが調和ではない。
「なんかスラムのイメージとは違いますね」
「……気を付けとけよ。ここはもう『蜂の巣』のすぐ側、第五隔離地区だ。蜂だってウヨウヨ飛んでいる」
『こちらコード、ウルフⅤ、ウルフⅥ、聞こえるか』
男がそう呟いた時、男の右耳に老人の声が入って来る。男は右耳のイヤホンを手で押さえながら小声で応える。
「こちらウルフⅤ、感度良好。ハッキリ聞こえます」
「こちらウルフⅥ、こちらも感度良好です」
『よし、ウルフⅤ、ウルフⅥ。現在作戦は順調。ウルフⅠからⅣは所定の位置に待機完了している。ハイエナの準備も問題ない。そちらの様子は?』
「問題ありません。現在ポイント5を移動中。交戦無し、敵影無し。静かな夜です」
『了解、作戦を続行せよ』
その言葉と共に通信機器の応答が無くなる。男は暫く右耳を押さえていたが、手を外し、青年の方へと顔を向ける。
青年は声を出さずに首を縦に振り、男の後を歩いていく。
その二人の跡を「二つ」のアンドロイド達が無言でついて来ていた。
「……よし、ここまで着いたか」
男たちが到着したのは伽藍とした廃ビルの一室であった。男は変装に使った服を投げ捨て、古びたリュックサックから黒い防弾ジョッキと、四角い箱を取り出す。リュックの中には手榴弾や、拳銃、赤外線スコープが顔を覗かせている。
青年は到着してから直ぐ、通信機器を操作していた。
『こちらコード』
「こちらウルフⅥ。目標ポイントに到着。敵との遭遇はありませんでした」
男は青年の通信を聞きながら、黒い箱を開ける。中には四つのパーツに分けられたアサルトライフルが入っており、素早く組み立てていく。
その様子を見ていたアンドロイド達もそれに習うかのように勝手に準備を始める。
辺りは男たちの発する音と青年の会話だけしか聞こえない世界であった。外の壊れかけの街並みは時間が止まったかのように変化せず、その景色の上に架かる「柱の無い高速道路」の灯りがスラムの穢れを晒すかのように輝いている。
男はその「柱の無い高速道路」を、手を止めて暫く見つめていた。
「先輩、聞きました? 任務の開始は予定通りだそうです……先輩?」
「……聞いてるよ」
男は青年の言葉にぶっきらぼうに返し、組み立てる手を再び動かす。
「そうだ、後輩。お前はこういう仕事は初めてか?」
男はそう尋ねた。その言葉を聞いた青年は驚いた様に目を見開き、アサルトライフルを組み立てる手を一度止めた。
青年は珍しいと思った。青年の認識では目の前の男はそういう事を聞かない人間であった。他人の過去にはどんな事でも関わらない。男はそんな人間であった。
「麻薬グループの摘発などは何度か……けど、本格的な武装しての実戦は初めてです」
「そうか……俺はこれ十九度目だ。俺が警察になってから十年目で初めてスラムで撃ち合いをやった」
男はそう言いながら組み立てる途中のアサルトライフルの表面を撫でるかのように触る。「俺が入りたての頃は警察の武器は片手で包めそうな小さい拳銃が主力の武器だ。その時はアンドロイドなんて後ろを付いてこなかった……問題はあったが平和だったのさ」
男はそこまで言うと立ち上がって。廃ビルの奥へと歩いていく。
「あの……先輩、何処へ」
「トイレだよ……ここ、下水が繋がっていれば良いが」
四つの人影はビルの一階……玄関の前に集まっていた。全員先ほどまでの乞食めいた格好ではなく、防弾ジョッキとゴム素材で出来た隠密スーツで統一しており、生身の体である二人の顔には赤い目が飛び出しているような不気味な赤外線スコープを付けている。これは隔離地区特別監視部で正式採用されている。夜襲専用装備であった。
「さて……時間だ」
男はそう呟いた後、青年に顔を合わせる。青年は額から汗を流しながら首を縦に振った。
「ここから先は誰にも会っちゃいけない……音を立てずに『蜂の巣』まで行く……その後は」
「他の部隊とも連携して『スズメバチ』を追いつめる」
「その通り……行くぞ」
「了解です」
男の言葉に従い影たちは動き出した。アンドロイド達もアサルトライフルを何時でも撃てるように構え、周囲を確認しながら進んでいく。
四つの影は光源の届かない裏路地をまるで蛇のごとく音を立てずに走っていく。慎重に……けれども素早く。その動きだけで男たちは相当の練習を積んでいることが分かる。
迷わずに彼らは歩いていく……裏路地にも表にも人影は無い。何もない静寂。その好都合な状況に男は内心警戒を強めていた。
「まるで霧の中を歩いているようだ……」
男は呟いた。
無音の進軍はまだまだ続いた。
「あそこだな」
男たちが寂れたバーの横から古い工場を眺めていた。視線の先には人々が銃を握りながら目を動かしている。彼らは皆銃の種類も服装も年齢もバラバラだが、体の何処かに黄色の布を巻いている。
「『ミツバチ』の見張りですね……どうしますか?」
「……あんな所二人での突破はまず無理だ。他に到着したメンバーと合流して仕掛け……」
「動くな」
背後から聞こえてきた言葉に青年は顔を振り向こうとする。その頭に押し付けられるアサルトライフル。
「ウルフⅤとウルフⅥか」
「……ウルフⅦか」
そう呟き、男は振り返る。そこには男達と同じ服装をした、中年の男が居た。ウルフⅥの後ろにはアンドロイドが警戒するかのように後ろを向いている。
「ウルフⅧは?」
「ウルフⅧは途中で合流したウルフⅠ達と工場の背後に移動中だ。作戦は順調だな」
「作戦は? 俺たちはここまで来るとこまでしか聞かされてない。スパイ対策だって言われてな」
「俺たちもだ。ウルフⅧと別れるとこまでだ。あとは髭爺の出番だろうな」
『こちらコード。これから次の行動を伝える』
丁度いいタイミングで全員に通信が入る。
『これからウルフⅠからⅣ、それとⅧが背後から奇襲を仕掛ける。そして敵が混乱しているうちに正面からウルフⅤからⅦが突入しろ。攻撃陣形はAⅠだ。突入は一分後、健闘を祈る』
その言葉と共に部長の声は無くなった。それと同時、男たちの背後に居た合計三つのアンドロイドが男たちの前に出て、アメフトの陣形の様に塊始める。
AⅠ。アンドロイドを盾代わりに使う突撃陣形。幾ら彼らが魂の無い機械だからと言って機動隊の盾の様に粗末に扱われる事に、男は少し同情する。
とはいっても任務の中心はアンドロイド達。そんなのは勝手な同情だ……と男は思い、苦笑いする。
『十』
各々の気持ちを余所に通信装置から時間を通告されていく。
『零』
通信機からの音と同時に工場の方から爆音――ウルフⅠ達によるもの――が響く。
一気に火と手が上がり、正面を見張っていた者達も意識が後方へ向く。
その瞬間、銃声と共に「ミツバチ」の一人の体に四つの風穴が生まれる。
「突っ込め!」
ウルフⅤとウルフⅦは叫んだ。その言葉と共に走り出す機械人形達。彼らは一切ぶれないフォームのままアサルトライフルを握り、奇襲に戸惑う蜂達に向けて発砲する。
何人かの「ミツバチ」は男達へ銃を放つが、全てアンドロイドの機械の体に阻まれる。絶望的な表情をした「ミツバチ」の体に容赦なく鉛玉は注ぎ込まれる。
工場の中は如何にも町工場と言った大きさであったが、裏手からの爆発により、廃れたイメージは一瞬にしてなにもかも消えてなくなった。
爆発に巻き込まれ四肢の一部を失った焼死体はあちこちにあった。更に裏から入ってきたウルフⅠ達と表から突撃してきたウルフⅤ達による精神的圧迫に耐えられなくなり、発狂して銃を乱射する「ミツバチ」――それによる同士討ち、古い機械に弾丸が当たり、誘爆。それにより吹き飛ぶ焦げた蜂達――「蜂蜜」と思わしき、カプセルが工場内に散らばり始める。
ウルフ達の突入から十分。「ミツバチ」達は皆成すすべもなくやられていった。
「おかしい」
ウルフⅦは狼とハイエナしか立っていない工場でそう呟いた。辺り一面から様々な焦げ臭い匂いがする工場を一通り見渡す。
「何がですか」
ウルフⅥがその言葉に質問した。ウルフⅠからⅣは散らばった「蜂蜜」を調べており、ウルフⅧは外から敵が来ないか見張っていた。ウルフⅤとⅥ、そしてⅦは死体の装備品などを確認していた。
「『ミツバチ』しか居ねえ」
「……それがなにか?」
「上の奴が居ないってことだ」
ウルフⅦの言葉に青年は首を傾げた。男はそんな青年に言葉を付け足しながら、死体の持っていた銃を持ち上げ、地面に放り投げた。
「警備が甘い。こいつらの武装も手持ちのだけだ」
「つまりここはそこまで重要じゃない?」
「そうだな。それとも……」
三人が推測を考えている中、灯りの少ない夜道をウルフⅧが見渡していると、人影を一つ見つけた。
人影はこちらの工場へゆっくりと体を左右に揺らしながら歩いている……まるで夢遊病患者の様な不気味な動き。
ウルフⅧは工場の陰に隠れながらその人影の様子を伺う。その様子に気付き、ウルフⅦが近づいて声を掛ける。
「……どうした?」
「人が一人接近中。『蜂の巣』の追っ手かは不明です」
その言葉にウルフⅧ以外の者も先程までの調査を止めて動き出す。ウルフⅠからⅣは工場の中に隠れ、敵が奇襲してきても立て直せるように警戒態勢。ウルフⅤとⅥ、ⅦはウルフⅧの傍に隠れ、人影の様子を共に確認する。
人影の正体は少女であった。身長は中学生程。髪は黒いボブであり、服は着ていない。日焼けしたような色の肌のあちこちには土汚れが目立つ。
爆発によって焦げ、人の血が乾ききっていない工場前の道路を気にすることなく左右に揺れる少女は進んでいく。瞳の焦点は合っていない。
「撃て」
――明らかな「異常」だと判断し、ウルフⅤはウルフⅧへ小声で命じた。
「え、でも……」
しかしウルフⅧは躊躇した……武装した「ミツバチ」は撃てても、敵かどうか分からない少女を撃てない。「常識」の判断をもって男は躊躇した。
『こちらコード。ウルフⅧ、撃て』
部長からの声もウルフⅤの意見を推した。それにより、決心がついたのか。アサルトライフルに指を掛ける。
『見つけた』
――瞬間、ウルフ達の通信機に少女の声が響いた。それと同時に先程の少女の動きが変わる。少女は前に勢いよく、飛び降りるかの様に地面へ倒れる。腕が地面にぶつかった瞬間、少女の体が爬虫類の様な不気味な姿で工場へと駆け出した。
「……ッ! 通信を切れ! ハックされた!」
叫びながら工場内へ後退するウルフⅤとⅦ。それに遅れて追従するⅥ。攻撃しようとしていたⅧは完全に出遅れてしまった。
『ブブブブブブブブブブブ』
少女の口から漏れる蜂の羽を思わせる不気味な電子音。その音を体現するかのように不気味な……素早い動きでウルフⅧの元へと爬行する。
「う、うわああああああああっ!」
少女の凶行にウルフⅧは慌てて、銃を発砲する。しかし少女の体は貫けない。少女はカエルの様に飛び上がり、ウルフⅧへ裸体を押し付ける。
その後は一瞬だった。
ウルフⅧの頭は突然、体を軸に一周し、暗視ゴーグルと共に空へと跳ねる。
「改造アンドロイドだっ!」
「……ハイエナッ!」
驚嘆の声を上げるウルフⅡと、アンドロイドへ命令をするウルフⅠ。その間にも不気味なアンドロイドは爬行していき、今度は射撃準備に入った一人のアンドロイドに抱き着く。
効果は直ぐに出た。アンドロイドが持ち上げた銃は見る見るうちに下がっていき、膝を着いて、動かなくなる……完全なる動作の停止。
怪物は動かなくなったアンドロイドを足場に他のアンドロイドへと跳躍――アンドロイドの動作停止を何度も繰り返していく。それに対して警察のアンドロイドは完全に無力であった。警察のアンドロイドは「身を犠牲にして人を守る」という思考を重視されており「避ける」という考えがほとんど存在しない。普段は人を守るための機能がここで仇になった。
「アンドロイドをもハッキングだと!」
「裏口から逃げるぞ!」
「……先輩⁉」
ウルフⅠの声に従い、工場の奥へ走っていくメンバー達。その中でウルフⅤだけはアンドロイドを次々と無力化していく少女に銃を向けていた。
「早く行け、後輩。お前は邪魔だ」
「でも……っ!」
「全員が逃げたら直ぐこいつにやられる! 誰かが囮になるしかない! 早く行け!」
ウルフⅥはウルフⅤの言葉を聞き、躊躇しながらもウルフⅠ達の方へと逃げていった。
それと同時に目の前の少女は最後のアンドロイドの息の根を止めた。そして二つの瞳が一人残った狼へと向けられる。
「……そろそろ報いが来る頃か」
男は二人だけになった工場で呟きながら銃を構える。
暗視ゴーグルの中の瞳は少女の無機質な瞳を冷たく睨んでいた。
『ブブブブブブブブブブ』
「……」
男とアンドロイドは睨み合い、互いに動きが固まる。アンドロイドは這ったままで首を傾げる奇妙な姿を取り続ける。男はそれを獣の様だと思った。
男はアンドロイドとの戦闘を想定した訓練を何度かしたことがあるが、隔離地区でアンドロイドと戦闘になるとは想像していなかった。
アンドロイドは社会の様々な部分で利用されるようになったが、アンドロイドを改造できる人間と設備は簡単には集められない。その為、隔離地区の人間はアンドロイドを「兵器」としては運用できないというのが警察内での一般的な見方であった。
そこまで考えた後、男は思考を停止する。
予想外の事態なんて珍しくない――そう自分に言い聞かせ、銃を持つ手に力を込める。
『ブブブブブブブブブブ』
先に動いたのはアンドロイドの方だった。奇妙な電子音を発しながら彼女の身体は横へ跳躍し、男を狙って飛び込んでくる。――完全なる静止状態からの急加速。人間の身体では出来ない獣の動き。
男の目は横へ跳ぶアンドロイドを視覚に捉えたが、身体の方は反応出来ない。
「うぐっ!」
男の視界が一気にぶれる。男の胴に躊躇せずに飛び込んできたアンドロイド。その衝撃が全て男の身体に注がれ、横に弾き飛ばされる。余りの衝撃に手のアサルトライフルを手放してしまい、男の手の届かない所へと転がって行ってしまった。
痛みによって身体を丸めようとする男。身体が一瞬で放出された空気を吸おうと言うことを聞かない――そこへアンドロイドが更なる跳躍。男の上へと覆い被さろうとしてくる。
「ぬおっ!」
男は倒れたまま無我夢中で跳んできたアンドロイドへ、右足で蹴りを放った。
その瞬間、アンドロイドの重みと勢いによる衝撃が掛かり、右足の部位という部位から苦痛の協奏曲が、男の脳に響き渡る。
「ぐ、ぐおおおおおおおおおっ!」
男の口から痛みによる叫びが広がる。それでも足は力を緩めず、アンドロイドの身体を弾き飛ばした。
アンドロイドの身体が宙を飛び、工場の硬い床に頭から落ちた。
「はあ、はあ」
男は荒い息をしながら体を持ち上げる。立つことは出来ない。右足からプレス機で潰されたかのような痛みが発せられ、動かすことさえ出来なかった。
「……やったか?」
半ば確認するかのように呟いた。男はアンドロイドが自分の蹴りで壊れるとは思っていない。しかし、もしかしたら当たり所が悪かったのかもしれない。アンドロイドは先程から全く動かず、地に臥している。
男はそれでも警戒せず、腰から拳銃を取り出し、倒れたアンドロイドを警戒しながら先程切った通信機の電源を再び入れる。
「こちらウルフⅤ。コード、ウルフ、通信を頼む……」
通信の声には暫く雑音しか流れない。
男の心に徐々に焦りが沸きあがる。ハッキングしていたアンドロイドはもう動いていない。けれどもまだハッキングの機能は生きている? それだけならまだ良い。だが、もしかしたら……。
『こちらコード。ウルフⅤ。状況を伝えてくれ、全員と連絡が取れなくなっていた』
「……了解、敵のアンドロイドに通信をハッキングされたので止む無く切っていた。対象は無力化したが、仲間と別れてしまった。他のメンバーは?」
『現在ウルフⅤ以外と連絡は付かない。恐らく通信を切ったまm……』
「? コード応答を……っ⁉」
突然通信機の音声が悪くなる。
その瞬間、男の全身が総毛立つ。半ば経験則によるものだ。けれどもこの感覚が起きる時、何時も良い事が起きないことを男は知っていた。
『ブ、ブブ……ブブブ』
拳銃の先の物体から音が聞こえ始める。放り投げられていた四肢がまるで死にかけの虫の如く暴れだす。
『見つけた……見つけ……た』
通信機からも声が聞こえる。四肢が床をしっかりと踏みしめた。アンドロイドが顔を上げる――その顔は先程の攻撃によるものか――顎が外れたかのように垂れ下がり、常に口を開いているせいで更に不気味さが付け足される。
『ブブブ……ブブ……ブブブブブブブブブブ!』
『逃がさない……絶対、逃がさない』
アンドロイドの口と通信機から聞こえる少女の声。それと同時にアンドロイドの体は再び跳躍する。
男はその無機質な瞳に、何か縋るものを感じた。
「……先輩」
「ウルフⅥ! 走れ! 死にたいのか⁉」
ウルフⅥをウルフⅦが叱責する。ウルフⅥはそれによって意識を自分の先輩から現状へと向ける。
六人は工場から出て、スラムの路地裏を音が出ないように注意しながら駆ける。
「とりあえず、俺とウルフⅡが休憩に使ったポイントに移動する。そこで一度コードと通信を試みる。良いな?」
ウルフⅠの命令にメンバーは各々で了承の返答をする。ウルフⅠは仲間が一人、目の前で殺されたにも関わらず確実に撤退する方法を冷静に考えていた。
ウルフⅠ達は暫く走り、大通りに出る寸前で立ち止まる。
「ここを通れば直ぐだ……一人ずつ行くぞ」
ウルフⅠはそう呟き、自分が通ってきた道を警戒する。
自分が最後に通るつもりだとウルフⅥは直ぐに理解した。
「……Ⅰは最後に行くそうだ。誰から行く?」
ウルフⅦが言葉を促し、メンバーの顔を一通り眺める。その言葉を聞き、他のメンバーも各々の赤外線スコープの付いた顔を眺め合う。
大通りに出るという事は相当な危険行為だ。例え夜でも大通りは人目に付きやすい。それに加えて、「蜂の巣」は先ほどのアンドロイドの件からして、工場の襲撃に対しての報復を既に始めているとウルフの面々は考えていた。当然、工場の近くの大通りはマークされているだろう。
「……誰も行かないなら、俺が行こう」
暫くの沈黙の後、ウルフⅢが言った。そして無言の面々を見渡す。
「渡り終えたら、直ぐに付いてこい……ウルフⅠ、背中は任せた」
「ああ、行って来い」
ウルフⅠの声にウルフⅢは首を縦に振る動作で返すと、警戒しながらゆっくりと大通りへ歩を進める。暫くして、大丈夫だと判断し、一気に大通りへと進みだす。
――瞬間、辺りに一発の銃声が響き渡り、男の体が横へ吹っ飛ぶ。
「Ⅲ!」
「行くな、ウルフⅣ!」
ウルフⅣが叫び、倒れた仲間の元へ駆け付けようとする。
そこに再び鳴り響く銃声。大通りへ飛び出したウルフⅣもⅢと同じ末路を辿る。
「狙撃だと……っ!」
慌てる残された狼達。そこに再び銃声が聞こえる――今度は大通りからではなく、ウルフ達が通ってきた道。その後、ウルフⅠの銃を持つ手が、元の形を失くし、血が溢れ出す。
「なっ!」
目を見開くウルフⅠ。そこへ再び鳴り響く三つの銃声。それによって倒れるウルフⅠとウルフⅡ、ウルフⅦ。
「う、ウルフⅠ、ウルフⅡ!」
「さて、最期はお前だけだ」
一人になり、急変した状況に慌てるウルフⅥ。そこに声が一つし、裏路地の曲がり角から一人の男が出てくる。身長一九〇はあろうかという長身の老けた大男だった白い髪をオールバックにしている。男の服は軍服の様な迷彩柄であり、右腕に黄色い布を巻いていた。その男の右手には大口径のピストルがあり、銃口から煙が上がっている。
「『スズメバチ』……っ!」
「俺の『蜂蜜』を台無しにしやがって。報復はしっかりと受けてもらうぜ」
大男がピストルを撃つ速さは、ウルフⅥがアサルトライフルを構える速さよりも遥かに速かった。大男が放った弾丸は勢いよくアサルトライフルを支えるウルフⅥの左腕に当たり、肩から血が飛び出す。
それにより、銃は支えを失う。そこへ弾丸の追撃がアサルトライフルへ入る。
支えを失ったばかりの銃身へ弾丸がぶつかり、その衝撃がウルフⅥを襲う。それによって手から離れたアサルトライフルが宙を舞った。
「ぐ、ぐうぅう!」
ウルフⅥが左肩を押さえながら地面へ倒れる。
「……軽いな。お前、新人か?」
男はアサルトライフルが地面に落ちたのを確認した後、つまらなそうに呟いた。
そしてゆっくりと近づき、倒れこむ青年の額に銃口を向ける。
「こんなので俺が捕まえられる訳ないだろ……甘く見られたな」
銃口を素早く動かし、弾丸を放つ――行き先は青年の右腿へ。大口径の弾丸は貫通する。「う、うわあああぁああ!」
「情けをくれてやる……命は大事にしろよ」
青年の悲鳴が夜に響き渡る。彼の頭には『スズメバチ』の声は聞こえなかった。ただただ恐怖と痛みが脳内を瞬間的に支配した。
その様子を大男は暫く眺めていたが、工場の方へ向かって歩き出した。
「さて、『クマバチちゃん』は苦戦しているようだし、俺も手伝いに行くか」
「あああああぁああぁぁ……あ、あ?」
男の何気なく放ったその言葉。ウルフⅥはそれだけをしっかりと聞いた。
ウルフⅥには「クマバチ」という言葉に意味は分からなかった……けれども残っている狼は。
「せん……ぱい」
今も残って戦っている人はあの人しか居ない。
青年はそう思った瞬間、体が動いた。痛みでままならない右足を無理矢理立たせ、体勢を崩しながらも大男の元へと一気に駆ける。
「……何?」
大男は若干驚いた表情で振り向き、銃を構える。ウルフⅥはその銃身を両手で握り、無理矢理銃口を逸らし、発砲された弾丸を避ける。
「くっ! 放せ!」
「はな、せるかぁ!」
その後は子供同士が玩具を奪い合うかのような銃の引っ張り合いが始める。大男が無理矢理、青年に狙いを定めようとするのを、青年が更に力任せに逸らす。
「うおおぉ!」
「なっ!」
この喧嘩はしばらく続き、青年の勝利で決着が付いた。大男の手からピストルは離れ、青年の手に渡る。
青年はそのピストルを構え、「スズメバチ」へ狙いを定めようとした。
――瞬間、男の腕から針が生えた。
「なっ……」
青年の口から衝撃の声と血が漏れる。
一瞬の出来事であった。男の右腕の第一間接が折れたかのように曲がり、皮膚を突き破って腕の骨程の大きさの「針」が飛び出し、青年の胸元を貫通した。
「悪いな新人。意地だけなら、お前が勝ってたぜ」
大男が「針」引き抜く。地面に再び倒れる青年。
しかしもう起き上がる事が無いことを、胸に空いた穴が主張していた。
『ブブブ……ブブブ……ブブブブ!』
顎を揺らし、跳んでくるアンドロイドへウルフⅤは弾丸を放つ。放たれた弾丸はアンドロイドの腕に当たるが、表面を凹ますだけで大きな損傷は無い。
「……っく⁉」
アンドロイドとぶつかる直前。左足に力を籠め、無理矢理体を横へずらす。男が元居た場所へアンドロイドの体が勢いよく落ちる――その後に発生する轟音。
どうしたら良い。男は頭で自問を始める。拳銃はあまり有効打にはならない。右足の痛みからして逃げるのは困難……後は何が
その時、ある作戦を思いついた。とはいっても作戦とは言えない無謀な策。……それでも、これならあの怪物に勝てるかもしれない。
『ブブブ、ブブ……ブブブブブブブブ!』
男がそう思った瞬間、落ちた怪物が四足歩行による猛突をしかけてくる。
……悩んでいる暇は無い。
男は一瞬で覚悟を決め、迷いなく突撃するアンドロイドの口目掛け、「ある物」を投げる。
「それ」はアンドロイドの壊れた口の中へ綺麗に入っていく。アンドロイドはそれに気づかず男の顔の前へ接近する。そして男の頭をアンドロイドの手が触れようとする。
――瞬間、アンドロイドの口から爆発が生じ、顔面が爆ぜる。その衝撃によって、アンドロイドの胴体と男の体が跳びはねる。
「ぐうぅ⁉」
男は右足から落ち、悲鳴が漏れる。そして爆発による衝撃から体全身が痛みを主張し、そのまま男の意識は落ちていく。
アンドロイドは胴体だけになり、工場に倒れていた。もう動く気配はなかった。
「……こりゃ派手にやったな」
煤と死体に溢れた工場に「スズメバチ」がやってきた。大男の右手の「針」は収まっているが、右手の間接部分の皮膚は剥がれ、中から金属の部品が見えている。男は動かなくなったアンドロイドの胴体を抱き上げる。
「『クマバチちゃん』がやられるとはねえ……まさか自爆覚悟で手榴弾を口に投げ入れるとは」
そう呟くと男はアンドロイドを抱えたままゆっくりと工場の出口へ向かっていく……地面に倒れる「ミツバチ」の死体には目を向けずに。
工場から出ようとした寸前。男は振り向いて呟いた。
「君の勇気ある仲間に免じて命は助けてやる。もう無闇に『巣』をつつくのはやめることだ」
「最悪だ」
「……」
男は丸一日寝た後、病院で目覚めた。そして数日後、部長から今回の作戦の結果を聞かされた。
あの夜の後、朝に救出チームが編成され第五隔離地区へ突入。男は何とか救助された。しかし右足の骨は罅が入っており、他の部位の骨も相当危険な状態だったらしく、入院を余儀なくされた。
しかし、それでも幸運な方であったと男は知ることになる。
作戦で使われたアンドロイドは一体も帰ってこなかった。作戦に参加したメンバーはウルフⅤを除いて、全員死体で見つかった。ウルフⅠ、Ⅱ、ウルフⅦは大口径の拳銃によって死亡。ウルフⅢ、ウルフⅣは狙撃銃によって死亡。ウルフⅧは改造アンドロイドによって頭部切断。そして
「ウルフⅥは直径五センチ程の……大きな『針』の様な刃物で刺殺されたようだ」
「……」
「捜査したところ『蜂蜜』は依然取引されている。まだ別の場所で作られているようだ……こんな犠牲を出しながら、我々は何も出来なかったという事だ」
部長の報告に対して、男は何も言わずに顔を下に向けてじっと聞いていた。
部長はその様子を見ながらも言葉を続ける。
「君の話によって今回の敵の情報を知ることは出来た……しかし『蜂の巣』は想像以上の組織であった。君の対峙したアンドロイドの情報だけでもそれを知ることが出来る」
男は目覚めてから二日後に部長に報告書を書いた。部長はその内容から独自に調査を進めた。
その結果、あのアンドロイドはとんでもないものであることが発覚した。
アンドロイドの異様な爬行、跳躍等の動き。通信機、アンドロイドへのハッキング、妨害。この二つは現在アンドロイドの製造会社では難しい改造であると、アンドロイドの製造会社の協力で知ることが出来た。
アンドロイドは本来、人間の様に動くことを目標としたもの。それを人外の動きへと変貌させるには間接を始め様々な部位を改造する必要があるという。しかもそんな改造を施せば、パーツの耐久力に問題が発生しやすくなり、デメリットの方が大きいとアンドロイドの製造会社の社員は言った。
更に、ハッキングの機能をアンドロイドに詰め込むにはアンドロイドのプログラムに相当な負担を強いる事になる。ましてや他のアンドロイドをハッキングしようものなら体を動かせなくなる程の負担になり、処理落ちしかねない……。
「つまり、アンドロイドの技術者は『そんな改造は設備が万端でも難しい』と満場一致で答えた」
その後、部長は「けれども」と言葉を付け足す。
「技術者はこうも言っていた。『難しいだけであって、不可能ではない。だが本当にそんなアンドロイドを作れるなら』」
――その技術者こそが真の怪物だと。
「ああ、確かに怪物だ」
男は部長の言葉にそう返したが「でも」と付け足す。
「本当に恐ろしいのは、その技術者が『蜂の巣』ではなかった場合だ」
「……まさか」
部長は男の言いたいことを理解し、絶句する。
「その技術者が、アンドロイドを改造することを商売としていたならば……あのようなアンドロイドが他の『最底辺の王様』に広まる事に……いや、もう広まっているならば」
「最底辺の王様」はそれこそスラムの中で完全な支配者と化すことになる。
夜、男は病院のベッドから窓の外を眺めていた。窓からは「柱の無い高速道路」が見え、その上を高級車が自動操縦で規則正しく走っている様子が見えた。病院の下には緑が植えられた公園が見える。公園のあちこちにはホログラムで出来た掲示板が立ち、最近のニュースを流している。公園のベンチにのんびりと座るカップルを見た。
その景色に対して男の頭の中が拒絶する――ここは自分の生きる世界ではないと。頭の中で浮かび上がる自分の放つ銃によって悲鳴を上げる人々の姿。彼らを殺してここで悠々と生きるのかと。
その思考に対して男の頭の中が拒絶する――それは自分の望んだ世界ではないと。人を殺す為に自分は警官になったのではないと。
「決まっている……」
男は二つの思考を拒絶した――自分は望まぬ世界生きるのだと。それを望む世界に変える為に。その為ならば。
「俺は自分の体を血で染める……」
自分が過去に見た平和の為に銃を持つ。
そうしなければ、自分の過去に顔向けが出来ない。
『先輩』
ふと、もうこの世にはいない青年の声が聞こえた。
男はベッドのシーツを痛む手で強く握った。
廃れた商店街。その一角の「シュウリヤ」と書かれた看板のお店に白髪の大男は来ていた。
大男の目の前には眼鏡を掛け、髪を後ろでまとめた女性が、大男の右腕を見ている。
「……よし、人工皮膚はちゃんと貼れた。どう? 義手はちゃんと動く?」
「ふむ」
大男は軽く手を動かす。そして感嘆の声を上げる。
「完璧だ。流石は『人形の女王』。良い腕だ」
「その呼び名好きじゃないんだけど……まあ、いいや。前にも言ったけど義手はアンドロイドと違ってまだまだ実験段階の代物なんだからメンテナンスにはしっかり来てね。それにあなたの義手は仕込み刃も入れてるから、更にちゃんと整備しなくちゃいけないから」
「分かっている……報酬はいつも通りの所に入れた……それとこれをやる」
大男はそう言うと店の外へ出て、十分ほど掛けて中に大きな箱を四個持ち込む。
「何これ?」
「中にそれぞれアンドロイドが二体入っている。俺たちよりも上手く使えるだろう」
その言葉を聞き、女性の表情は一気に面倒くさそうなものへ変化する。
こういう時は碌なことが起きない。女性は経験則でそう理解した。
「……で、私に何して欲しいの?」
「『クマバチ』を作ってほしい。壊された」
「……あれ作るの大変だったんだけど?」
「悪いな。更に金もやる」
「はいはい。あ、そうだ。狙撃特化型アンドロイド……えーっと『アシナガバチ』だっけ? そっちは大丈夫?」
「ああ、あれはこちらの技術者でも何とか整備は出来る」
「そう、それは良かった」
その後、簡単な会話をした後、大男は「シュウリヤ」から出る。そして一度、店の方を振り向く。
「相変わらずとんでもない人間だ」
そう呟いた後、ゆっくりと歩き去っていった。