犯人は清水セイラ 問題編 1
新人声優の清水セイラにモーニング・コールをするのが、マネージャーである僕の仕事だ。春から大学に通っているので、声優の仕事がない日でも起こしてあげなければならない。
つまり一年中、彼女の生活の面倒を看なければならないということだ。そんな無茶苦茶な業務形態が許されるのも、セイラお嬢様が日本有数の巨大コンツェルンのご令嬢だからである。
僕はたまたま彼女と幼い頃に知り合うことができて、たまたま家庭教師の仕事をいただけて、たまたま就職先をお世話してもらって、配属先がたまたまセイラお嬢様のマネージャー職だったというだけだ、と、僕の話はどうでもいい。
そういうわけで、ホテルのようなタワーマンションの玄関前に社用車を一時間以上も停車させても、そのマンション自体がお嬢様のものなので、誰からも注意を受けないというわけだ。
「おはよう、リョウ君」
本名が榎下遼で、子どもの頃から下の名前で呼ばれることが多い。彼女が十八歳で、僕は四つ違いの年上だけど、初対面の時から君付けで呼ばれているので気にならなかった。ちなみにセイラお嬢様の本名は漢字で「聖羅」と書く。
「おはようございます、セイラお嬢様」
名前を付けずに、単に「お嬢様」呼びしてしまうと機嫌が悪くなるのでしっかりと名前を呼んであげなければならない。特に名前を呼び間違えられてしまうと無視することがあるので注意が必要だ。
それからドアを開けて、後部シートに乗り込む際に、頭をぶつけないようにルーフを押さえてあげるのが、彼女の運転手を務める僕の仕事だ。いや、プライベートでも同じようにしているので日常の一部といえるだろう。
「今日のスケジュールを教えて」
すでに伝えてあるけれど、その日の朝に口頭で確認するのが決まりで、それを車に乗り込んでからすぐに行う。
「十時からスタジオでオーディションがあり、終わり次第大学へ向かいます。受講の前に食事を摂る充分な時間もございますので、ランチの予約も入れておきました」
バックミラーの中のお嬢様が満足そうに頷く。
「それでは瞑想しますので、着いたら起こしてくださいね」
「はい。かしこまりました」
彼女はお昼寝のことを瞑想と呼ぶ。そういった隠語を覚えるのも僕の仕事だ。他にも道を覚えるだけではなく、目的地までの到着時間も調べておかなければならないし、駐車場が見つからなくて探し回るなんてこともあってはならない。
「んっ……」
眠りが浅い時に、彼女は時々色っぽい声を出すことがある。そんな無防備な姿を晒してくれるのは車の中だけなので、僕は彼女を送り迎えする時が一番幸せだ、と、僕の気持ちはどうでもいい。
後部シートの隣に乗せた大きな熊のぬいぐるみに頭をもたれ掛けるセイラさんは、まだまだ子どもそのものだ。春コーデのワンピースが長い黒髪によく似合っているけど、寝顔はまだ高校を卒業していないように見えた。
「セイラお嬢様、着きましたよ」
と目を覚ました彼女に手鏡を渡してあげるのも僕の仕事だ。
「ありがとう」
車から降りる前に三分くらい鏡を見るのがセイラお嬢様だ。
会場は都内某所の老舗スタジオだ。常駐する警備員もいないようなオンボロスタジオで、受付で名前を告げるだけで、入館証を渡されることもない。出入り口に監視カメラがあるけれど、ちゃんと録画しているかも怪しいものだ。
今回は端役オーディションで、大手の事務所に所属するタレントは参加しない。その上、弱小事務所に所属しているタレントの顔見せというよりも、スタッフさんとの顔つなぎという意味合いの方が強い。
だから楽屋も大部屋だし、そこに所属タレントを待たせて、マネージャーである僕が製作スタッフと情報交換などを行うのが、本日の主な仕事だったりするわけだ。
そもそも、どうしてお嬢様が大手の事務所に所属せず、わざわざ場末のオーディションを受けなければ役をもらえないかというと、色んな理由があるけれど、一番はセイラさんがコネを使うのを嫌っているからだ。
清水コンツェルンはマスメディアにも顔が利くので、いくらでも役をもらえるわけで、そうすれば僕もわざわざ顔見せオーディションを見つけてくる必要もないのに、と、僕の話はどうでもいい。
「ねぇ、ちょっと、アンタ、あの子のマネージャー?」
打ち合わせを終えて楽屋に行くと、いきなり四十代の女性に声を掛けられた。セイラさんの姿が見えないのは、よその事務所の関係者が室内でタバコを吸っているからだろう。
大部屋なので教室二つ分くらいの広さはあるけれど、傍でタバコを吸い始める人がいると席を外してしまうのがセイラお嬢様だ。現在は僕も含めて八名の関係者がオーディションの開始を待っている状態だ。
「『あの子』と申しますと?」
「ほら、アンタと一緒に来た、お高くとまったお嬢さんよ」
黙っているだけで、そう見えてしまうのがセイラお嬢様だ。
「マネージャーの榎下と申しますが、何かご迷惑をお掛けしましたか?」
「名前を呼び掛けても挨拶すらしないのよ? おたくの事務所ではどういう教育をしてんのよ?」
よくあることなので、ここは平謝りするしかなかった。
「申し訳ございませんでした」
「アンタに謝ってもらったって仕方ないのよ」
それでも謝るしかない。
「すみませんでした」
「ちょっと若いからって勘違いしてんじゃないの?」
「決してそのようなことは」
「アラフォーにもなってオーディションを受けるわたしのことをバカにしてんでしょ?」
高校生役のオーディションに市川小百合さんという四十歳の新人声優が応募してきたと聞いていたが、どうやら彼女のことで間違いないようだ。気が強い言動通りの見た目をしている。
「いま、アラフォーと仰いましたか?」
「言ったけど、アンタもバカにする気?」
「いいえ、とてもそのような年齢には見えなかったものですから」
「そう?」
「はい。それに貴女のチャレンジ精神は称賛に値します。褒められこそすれ、バカにしていいことではありません」
「マネージャーさんの方はしっかりされているみたいね」
そう言って、市川さんは気分を良くして鏡台の前に腰を落ち着けるのだった。
「上手く誤魔化しましたね」
セイラさんを探しに外へ出ようとしたところで別の女性に話し掛けられた。
「誤魔化すだなんて、人聞きの悪い」
「褒めてるんですよ?」
「そうは思えませんけど」
「だって、ほら、ウチのマネージャーを見て下さいよ――」
と視線を送った先に、窓辺に立ってタバコをふかしながらパチンコ雑誌を食い入るように見ている男がいた。彼がマネージャーということは、話し掛けてきた女性はヨッチという芸名の二十歳を超えた新人声優だ。
「やる気ないでしょう?」
「仕事のやり方は人それぞれですから」
「そういう、おべんちゃらの一つも覚えてほしいわけですよ」
「褒められてる気がしないな」
僕の言葉にヨッチさんは悪戯っぽく笑うのだった。確かに彼女の言う通り、タレントに魅力があっても事務所が弱いと仕事に恵まれないことがあるというのが芸能界だ。といっても、僕も新人だから分からないことが多いけど。
「ただ、あのオバサンも言ってたけど、挨拶くらいはちゃんとさせた方がいいですよ? ワタシも名前を呼んだけど無視されちゃいましたもん。ほら、この業界って挨拶にうるさいじゃないですか?」
親切な忠告は素直に受け取らなければならない。
「そうですね、実力よりも人柄だって言いますもんね」
「人気商売ですからね」
「両方だと思うけど――」
そこで僕たちの会話に割って入ってきたのは、代表作はないものの、幾つかの出演作を持つ三十代の中堅声優である二宮純さんだ。グラビアの仕事もしているので彼女のことは知っていた。
「たくさんの人と仕事をしてきたけど、人気が出る人って実力はもちろんだけど、良いか悪いかは別にして、人間として魅力があるのよ。その上でちゃんと努力するんだもの――」
業界の先輩にそう言われると頷くことしかできない。
「それにあの子、私が名前を呼ぶとちゃんと立って挨拶してくれたから、礼儀知らずではないと思うけど」
それが本来のセイラお嬢様だ。
「それは違いますよ――」
そこで僕たち三人の会話に割って入ってきたのは、消去法から美輪ルルさんということになる。二十代後半でキャリアは長いと聞くが、エキストラ以外の出演作が一本もないという苦労人だ。
「ウチらのように名前を呼んでも無視されるのは、それが無視してもいいような存在だと思われてるからであって、先輩のようなベテラン相手だと態度が変わって当然ですもん――」
はすっぱな物言いというのもあるが、ちょっとやさぐれてる感がある。
「でも、それでいいんですよ、ここはオーディション会場なんですから。一緒に仕事をするなら別ですけど、所詮はライバルですからね。中学生や高校生が受験会場でイチイチ挨拶なんてしないでしょう?――」
そこで美輪さんが先輩の二宮さんを睨む。
「それより先輩のような大ベテランがオーディションを受けている方が問題だと思いますが?」
彼女が指摘した通り、キャリアのあるタレントがねじ込まれているということは、今回のオーディションは出来レースの可能性が高いということだ。それを二宮さんは涼しい顔で受け流すのだった。
「まぁ、いつまでも事務所の力だとでも思っておけばいいんじゃない?」
と言って、背を向けてその場を離れた。




