アクロバット・ハロウィンサーカス
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
つぶらやくんは、いつまで自分の中の秘めたるパワーって奴を信じていた?
僕はなかなか考えを捨てきれなかったよ。身体を鍛えればなんでもできるという考えが根強くあったからね。今、振り返ってみると、レベルアップするゲームや、修行する期間をみっちり描いたマンガが結構あったし、修行によって不可能を可能にする、というものに憧れたものさ。
最初は常軌を逸した修行内容を再現しようと思ったけど、すぐに無理だと分かった。やむなく自分の身体に合わせたトレーニングに切り替えて、それなりの運動能力を得ることができたけど、特にアスリートというわけでもなかったからなあ。
今となっては気持ちが萎えちゃって、トレーニングはさぼりがちだよ。僕の気持ちの根元には、誰かの役に立ちたいとか、見せることで褒めてほしい、なんていう欲求がまみれていた。それを果たすことができなきゃ、意味ないじゃんというわけだ。
けれども、友達の中には役立てる機会に恵まれた子がいる。幸運かどうかについては、この話を聞くこーちゃんに判断してもらおうか。
友達も僕と同じように身体を鍛えていたけれど、ヒーローを参考にしていた僕に対し、新体操の選手を手本としていた。小さい頃にオリンピックで、ゆか競技に魅せられて自分も同じことができるようになりたい、と思って始めたらしい。僕は自分と比べて、なんてまぶしい動機なんだと感じるくらいだったよ。
体操競技は回転力の関係で、身長の低い方が有利と言われているけれども、彼の背は170センチ近い。この体格で行うアクロバットは見ごたえがあったようで、技を決めるたびに、周りのみんなが拍手を送ってくれるほどだったとか。
オリンピックの代表選手にはなれないかもしれないけど、何かしらこの身体能力を生かして、お金が取れるんじゃないか。そう考え始めた高校一年生の秋。
彼は放課後の教室でクラスの女子の一人から、「君の身体能力を見込んで、お願いがあるの」と切り出された。彼女は自分の通学カバンの中から、四つ折りになった紙を出し、見せてきた。
見出しには「アクロバット・ハロウィンパーティー。出演者募集!」と書かれている。
「うちのパパが主催する、私的なハロウィンパーティーがあるの。今回のテーマはサーカス! ざっくばらんに言うと、私は動物使い役で、君は私の指示で演じる動物の役。仮装しながら曲芸をしてほしいのよ。いつもマット運動でやっている技で大丈夫。有名人を起用するにはちょっと予算が足りなくて……ギャラは出すし、保険もきかせるから、都合が合うようだったら参加してもらえない?」
私的、という響きにいささか不安を覚えたけれども、自分の技を披露できて、お金ももらえるとなれば、やってもいいかなって思ったらしいね。
その日はちょうど時間もあったし、彼女の案内のままに会場になる予定の、体育館ほどの広さのホールへと向かう友達。控え室で彼女の父親――華奢な体つきの娘とは似ても似つかない、筋肉質の大男だったみたい――に軽く面接をしてもらい、移動した先のステージで側転、バク転からバク宙へとつなげると、その場で採用が決定したようだ。
その日からハロウィンまで、友達は彼女とその父親と一緒に、都合がつく日はハロウィンへの練習をしたらしいんだ。
彼女自身は前時代的な長い革のムチを持っていて、しならせ方や叩かせ方に関して父親からレクチャーを受けている。友達自身も、そのムチの指示に従って、宙返りや指定された動きのダンスをする練習を重ねた。
話を聞く限り、ハロウィンパーティーはビュッフェ形式。パーティーの中で公演の時間をしっかり取るわけではなく、参加者が歓談を楽しんでいる後ろのステージで、ペアごとにローテーションをしながら演技をするらしい。友達と彼女は、そのいくつもあるペアの一つとのこと。
「みなさん、忙しいらしくって、顔合わせは本当に直前だけなんだ。君は助っ人だから、無理に接しなくても大丈夫。演技だけに集中してもらえれば」
下手をすると、うやむやになってしまうような役回りに、友達はわずかな不満と、大きい安心を感じたらしい。我流で身に着けた技術だけに、自信がなかったんだ。
でも、そんないなくても構わなそうな役を、なぜわざわざ、俺に協力を依頼してまで行おうと思ったのだろう。彼女に疑問をぶつけたが、「最初に言った通りだから」と、詳しくは話してくれなかった。
日にちが近づいてくると、衣装を合わせての練習が増えてくる。小さいシルクハットがついたカチューシャ。カラフルな生地の大きいシュシュを思わせる首飾りと、肩出しワンピース。派手なピンク色のフリルスカートと、普段着の練習とは比べ物にならないくらい、エンターテイナー然とする彼女。
対する友達は、ヴァンパイアということで、吸血鬼用の「つけ牙」以外は、ワイシャツに蝶ネクタイ。黒いスラックスという、モダンないでたちになったとか。
そして、当日の夜。従業員口から控え室で着替えた友達は、彼女と合流して、すでに舞台袖で待機していた。
初めて会う人々も仮装を完了しており、フランケンシュタインやミイラ男、果てには頭からたくさん触手を生やし、首からそのまま二本の足につながる、胴体のない奇妙な生き物と化した姿もある。
ステージでは、友達の前のペアである、蜘蛛女の格好をした女性と、そのテイマーの男性だ。六本足で這いつくばるような姿勢の女性は、人間の形をとどめた顔の口から、銀色の糸を吐き、数メートル離れたテーブルの上に立てられた、ずんぐりと太った陶器のつぼをがんじがらめにしていく。
いったい、口のどこにあれだけの糸を仕込んであるんだ、と友達は袖から見て、首を傾げながらも感心した。
彼女はというと、周りの怪物的な衣装をまとった人たちを相手に、盛んに声をかけている。相手によって話す言葉を変えているようだ、とはかろうじて分かったけれど、言葉自体は聞いたこともないものだった。
蜘蛛女ペアが向かいの舞台袖に引っ込み、友達ペアの出番になる。
友達は屈伸したり、肩を回したりしていたけれど、彼女は場慣れしていないらしく、ムチを胸に抱えるようにして、軽く震えていたんだ。
「な〜に、いつも通り、ビシバシやれば大丈夫だって。合わせるからさ」と、声をかける友達。彼女の顔は青ざめたままだったが、言葉は聞こえたようで、かすかに口元を緩めながらうなずいた。友達はそれを見てうなずき返すと、揃って舞台袖から走り出る。
深海をイメージしたという、青色のライトの下に沈んでいる会場。それぞれのテーブルには舞台袖で控えているような、怪物衣装の人々。その大半が周りの人との歓談を楽しんでいるが、ステージにほど近いテーブルにいる組は、ちらちらとこちらを伺っている。
彼女が吹っ切れた声音で、手を振りながら会場にいる皆さんに呼び掛ける。あの理解できない言葉で。友達も彼女に合わせて、会場のみんなに手を振る。けれども、大半の視線は彼女に集中していたように思えた。
もとより、いるだけおまけのような存在。友達は腹を立てるより、彼女のムチがどのようにさばかれるかに、心気を凝らしていた。
やがて彼女が、音を立てて床を叩き出す。友達はそれに合わせて、練習通りに側転やバク転を連続で繰り出す。一区切りがつくたび、かすかに拍手が聞こえたりして、得意になりかけた友達だけど、かなり練習をしたコークスクリューをかまして舞台袖ギリギリに降り立った時、ふと声が混じった。
「見事なものだ。人間をよく仕込んだな」
えっ、と思った友達だけど「野次の類には反応するな」とあらかじめ仰せつかっている。彼女のムチの音に合わせて、ロンダートからの連続バク転で退避する友達。しかし、あの言葉は演技が終わるまで、ずっと友達の脳裏にこびりついたままだった。
帰り際。最後の出演料をもらって、もう帰っていいという許可をもらった友達だけど、最後に彼女のもとをたずねて、舞台袖の発言を少しぼかしながら質問すると、彼女は「知られたくなかったなあ」と頭をかいて、「信じられないかもだけど」と話し出す。
このパーティー。ハロウィンの体を成しているものの、『本物』が混じっているらしい。隙あらば人間を調教しようと考えている、もろもろの生命体の集まり……。
彼女の一族はいわば「名門」であり、彼女たちがしっかり調教の成果を見せることで、一族のお株を保っているのだとか。
「じゃあ、株が暴落したら……」
友達が訊くと、「あいつらに取って代わられる。もっとひどいことになる」とだけ告げる彼女。
「今回はありがとう。本当に助かった。こんなバカげたことに付き合ってくれて。もう君は呼ばないから大丈夫。私ももっと頑張るから」
それから友達も彼女も、前と変わらない学校生活を送ったけれど、ハロウィンが近づくたびに、友達は件のアクロバットサーカスを思い出すのだとか。