7.逃走
「動揺、しないんだな」
前を走るけんごがちらりと振り返って言う。
「してる、さ」
息を切らしながらぼくは答える。
動揺しないわけがない。目の前でアーナさんが殺されたのだ。
しかし彼女は死んではいない。意味が分からないのに、確かなその事実だけを突きつけられる。
それに、問いただそうとしたときの彼女のあの表情。
アーナさんは明らかに何かを隠している。
「彼女は、何者、なんだ?」
店を出てから、ぼくたちは走り続けている。
けんごはどこかに向かっているようで、ぼくはただそれに付いて行くだけだ。
「……おそらく奴は、サンディ王国の管理者だ」
さきほどからけんごの息はまったく乱れず、ペースも一定だ。
前々から感じていたことだが、けんごは既に人間ではないのだろう。
「管理者……?」
「ああ。おれも詳しくは知らない。知っていることといえば、彼らが文字通り世界を管理する者であるということと、人智を越えた強大な力を持っているらしいということくらいだ」
小さく首を振ってけんごが言う。
強大な力とはいったいなんだろう。無意識に想像しかけるが、ハッとして思考を止める。
その疑問は、なぜだか深く追求してはいけない気がした。
「ところ、で、どこに、向かっ、て、いるんだ?」
ぼくはそろそろ体力の限界だった。身体は少し鍛えていたとはいえ、ハイペースでそれなりの時間走り続けているのだ。疲れるのも道理だろう。
そろそろ着いてほしいという希望を込めた問いに対して、けんごの返事はぼくの足をすっかり止めさせてしまった。
「ん? 特に、どこということはないが」
「……は?」
「いや、悪い悪い。トウヤが普通の人間であることをすっかり忘れていた」
頭を掻きながらまるで誠意の感じられない謝罪を述べるけんご。
ぼくは呆れて、というよりは疲れからか、声も出せない。
半眼でけんごを睨みつけながら、自分の分のコップに注がれた水を飲む。
ぼくたちは、さきほどぼくが立ち止まってしまった場所からすぐのところにあったファミリーレストランのような店に入り、注文した料理を待っていた。
あれだけ延々と走って逃げていたのに、こんなところで食事なんかしていていいのかと聞いたらけんごは「別に逃げていたわけじゃないぞ? どうせサンディ王国にいる限り常に居場所は割れているだろうしな」などと言ってのけた。思わず怒鳴りつけたくなったが、そんな気力も体力ももはや残ってはおらず。結局おとなしく入店し、チーズハンバーグプレートを頼むしかなかった。けんごはミートドリアを頼んだ。
「で、逃げていたんじゃないのならなんであんなに走り回っていたんだ?」
だいぶ息も落ち着いてきたところで、店に入った時からずっと問い質したかったことをけんごに訊ねる。
「なんというか、癖でな。迷ったり悩んだりしたときにはとにかく走ることにしているんだ。そうしているうちに解決策が浮かんだり浮かばなかったりする」
ウェイターさんが置いていったお手拭きを弄びながら言うけんご。それでいつものようにただひたすらに走っていたと。……ぼくがただの人間であることを忘れて。
「つまりは、迷ったり悩んだりしているってことか」
呆れて頭を押さえつつも、一応は言葉を返す。
けんごがそんな繊細な心を持っているとは思わなかった。
「今、なにか失礼なことを考えなかったか?」
バレてる。こいつの能力か?
なんのことだと言うように首を捻ってみる。
「……まあ、そういうことだ。おれだけならなんとかなったが、あの女、さっきのことでトウヤも危険分子だと見做した可能性がある」
そう言ってけんごはコップから水を呷る。
アーナさん……。けんごは管理者と言ったか。彼女の正体がなんであれ、ぼくはもう一度彼女ときちんと話をしなければいけない。
けんごの言うように危険分子と見做されたのであれば、それはもう難しいのだろうか。
「……ドリア遅いな」
顔を伏せてアーナさんのことを考えていると、けんごがぽつりと呟いた。
確かに、ぼくのチーズハンバーグプレートもまだ来ていない。注文してから時間はだいぶ経ったはずだ。
嫌な予感。席から腰を少し上げ周囲を見回す。すると、さっきまでそこそこ賑わっていたはずの店内から客の姿は消え、あたりは静寂に支配されていた。
「これは……」
「一種の支配空間だな。十中八九、奴の仕業だろう」
息を呑むぼくにそう言いいつつ、けんごはテーブルの上にのぼり、服を脱いで上裸になる。
奴というのはアーナさんのことだろう。支配空間……? これがけんごが言っていた、管理者の持つ力なのだろうか。
「おい。そこにいるんだろう? 姿をあらわせ」
テーブルの上に立ち、両手に包丁を構えたけんごが虚空に向かって言う。
そして数秒の間の後、周囲が一瞬で白い光に包まれる。あまりの眩しさに目を閉じ、ふたたびまぶたを開くとそこには、彼女がいた。
「トウヤさんを、返してもらいます」




