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第6講 アステカとマヤを区別しよう

1 導入


 神話に限らず古代文明の本などでも、アステカとマヤはしばしばセットで扱われます。今回は、神話と、これを理解する上で必要な範囲において、2つの文明の違いを説明します。

 今後、マヤ暦の仕組みを解説する回を予定しており、その時に必要となる前提知識でもあります。よって第3講と同様、今回の情報は比較的容易に集まります。


 最初にアステカとマヤについて大雑把に申しますと、どちらもメキシコやその周辺に、スペインから人が来るまで栄えた文明です。



2 中央アメリカ入門


 南北アメリカ大陸は地続きですが、パナマ以北を北アメリカ(北米)、コロンビア以南を南アメリカ(南米)といいます。

 北米のうち、メキシコよりも南でパナマ以北を中央アメリカ(中米)といいます。広義にはメキシコと西インド諸島を含みます。

 中米のうち、メキシコ南部からコスタリカ西部に、アステカとマヤや、オルメカ、テオティワカン、サポテカ、トルテカなどの文明が興りました。この一帯をメソアメリカといいます。特にオルメカ文化は古く、後続する多くの文明に影響を残しました。

 これらの担い手が、南米のアンデス文明(注1)と交流したことも分かっています。


 南北アメリカの先住民は、氷河期の終わりにシベリアから、当時は地続きだったアラスカに渡り、大陸全域に広がりました。

 彼らがヨーロッパ文明と接触したのは、10世紀に少数のヴァイキングがグリーンランドや北米に達したのを除けば、15世紀のことです。



3 アステカ帝国


 アステカ帝国は現在のメキシコシティを中心に、14世紀から1521年まで栄えました。版図は現在のメキシコ領よりも狭いのですが、それでもその大半に及びます。スペインから来たコルテスにより、1521年に征服されました。

 担った人々はメシカ族といい、メキシコ北部から進入しました。

 彼らが話した言語をナワトル語といいます。現在もメキシコで使われます。ホピ語(注2)と系統関係があります。

 太陽に人間の血を捧げなければ太陽の運行が止まり世界が滅ぶと信じ、近隣の民族を征服し、太陽への生け贄にしました。



4 マヤ文明


 マヤ文明はメキシコのユカタン半島からグアテマラ、ホンジュラスにかけ、紀元前後から16世紀まで栄えました。


 担い手は現在も同地域に住んでいるといいます。

 彼らがかつて話し、現在もスペイン語と併用する言語はマヤ語族に属します。代表的なのはユカタン半島のユカテク語で、単にマヤ語というとこれを指します。ただし、話者数ではグアテマラ南部のキチェ語も負けません。


 マヤ文明は時期により中心地が変遷します。

 紀元300年から900年ごろは、メキシコとグアテマラの国境付近、ティカルやパレンケなどの都市が栄えました。

 その後この地域は衰退し、都市も破棄されます。軸足は北のユカタンに移り、ここにチチェン・イツァ、ウシュマルなどの都市が興隆しました。

 1200年ごろにはユカタンもさびれ、16世紀にスペイン人が侵入した時点では、部族同士が戦乱に明け暮れる状態でした。


 一方で、南側のグアテマラ南部は盛況で、ここに築かれたキチェ王国は、スペインと接触するその日まで、拡大発展を続けました。首都は現在のケサルテナンゴ。グアテマラ第2の都市で、今も多くの先住民が住み、伝統的な文化もよく保存しているそうです。


 オカルト関係の本で、「マヤ族は自分達の滅亡を予言し、自ら都市を放棄して消えた」という記述を見たことがありますが、これは嘘です。

 マヤ族は今も存在します。都市に関して言えば、過剰な森林伐採が原因で土壌が流失し、農業ができなくなったため、捨てざるを得なかったのが真相のようです。



5 近代史


 スペイン本国の革命に乗じ、1821年にメキシコ帝国が独立します。

 スペインによる征服以来アステカの文化は否定的に捉えられましたが、メキシコ独立の際は国家統合のシンボルと称揚されました。そもそも、メキシコはスペイン語でメヒコといいますが、その語源は上述のメシカ族です。メキシコは事実上、アステカの後継国家なのです。


 メキシコは当初、グアテマラやホンジュラスなどを含んでいました。間もなく共和制に移行しますが、この時グアテマラなどが分離し中央アメリカ連邦を形成しました。しかし、やがてこれも崩壊し、最終的に現在の形に落ち着きます。


 メキシコはこのようにアステカ色が強いのですが、ユカタン半島はマヤの領域です。19世紀後半にはこちらの独立運動も起こりました。カスタ戦争といいます。



6 神話


 サポテカやトルテカの神話に関する情報も断片的には手に入ります。が、恐らく今の日本では、まとまった形で読めるのはアステカとマヤの神話だけだと思われます。


 アステカといえばケツァルコアトル、テスカトリポカ、ウィツィロポチトリ、トラロックなどの神々が有名です。確か、「パイレーツ・オブ・カリビアン」(注3)でもアステカの神々が云々と言っていましたね。

 やたら名前が長いですが、その原因は日本神話と同様です。すなわち、固有名詞が普通の言葉の組み合わせでできているから。

 日本だと、例えば大国主神(おおくにぬしのかみ)ならば「大いなる国の主である神」、建御雷神(たけみかづちのかみ)ならば「猛き雷の神」と、容易に名前の意味を想像できます。

 アステカも同じで、ケツァルコアトルだとケツァルがある種の鳥、コアトルが蛇を表し、合わせて「羽毛の生えた蛇」となります。ミクトランテクートリだと、ミクトランが冥界、テクートリが主ですから、仮にこれが上代日本に伝わったならば、さしずめ黄泉主神(よもつぬしのかみ)とでも呼ばれたことでしょう。


 マヤの神話では、ククルカンとチャックが有名です。それぞれ、アステカのケツァルコアトルとトラロックに相当します。

 日本では近時、イシュタムという首吊り自殺の女神がやたら愛されているようで、社会の闇を垣間見た気分になります(注4)。


 両文明の神話とも、世界は過去に何度か創造と破壊が繰り返されたとし、「マヤの予言」の特集などではほぼ必ず引き合いに出されます。


 当方がどうしても把握できなかったのは、これらの神話の原典です。果たして存在するのでしょうか?



7 キチェ族の神話ポポル・ヴフ


 マヤ文明に関する書物で、当方が名前を知っているものが2つだけあります。

 1つは『チラム・バラムの書』、いま1つは『ポポル・ヴフ』(注5)です。どちらも邦訳がありますが、前者は2017年3月現在、絶版らしく、当方は未読です。


 ポポル・ヴフはキチェ語で書かれた神話です。

 一方、上記のククルカンやイシュタムはユカタンの神々です。マヤ神話と聞いて真っ先に連想される彼らが出て来ないからか、国内では亜流の如く扱われている嫌いがありますが、実際にはマヤ神話のテキストの中で最も重要なものの1つのようです。


 神々が世界を創造する様子やキチェ王国の歴代の王の事績など、古事記や旧約聖書と似たような内容です。

 人類創造にも触れ、同書によれば神々は何度かこれを仕損じ、その度に失敗作を破壊します。

 登場する神グクマッツ(後半ではトヒール)はククルカンに相当します。また、フラカンは英語のhurricane(ハリケーン)の語源です。

 マヤ神話として比較的有名な、双子の英雄フンアフプーとイシュバランケーが冥界を征服し、更には太陽と月を自称するヴクブ・カキシュを倒すエピソードは、実はこれに収録されています。



  ――脚注――


1 現在のペルー、ボリビアなどに栄えました。ナスカ文化やインカ帝国を含みます。


2 アメリカ合衆国アリゾナ州に住むホピ族が用いました。彼らは終末予言が有名で、マヤ族の末裔を自称したと聞きますが、ホピ語やナワトル語とマヤ語族の間に系統関係はありません。


3 ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、2003


4 自殺者数自体はここ数年、減少傾向です。また、イシュタムとメソポタミア神話のイシュタルは、当然ながら無関係です。


5 A・レシーノス著、林屋永吉・訳、中央公論社、1977・10・10

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