第16講 神話の固有名詞の発音について――アイルランド編
1 導入
直近の投稿から1か月以上も空いてしまいました。たびたび予告しておきながら「アイルランド編」の掲載が大幅に遅れた原因は、リサーチの遅延や多忙よりも、当方自身の意欲の減衰(要はやる気が湧かなかった)に因るところ大です。
固有名詞の表記揺れの原因を探るシリーズ。第4講の北欧編、13講ギリシア・ローマ編に続き、第3弾はアイルランド編です。
今回に先立ちまして、ケルトについて基本的な紹介や分類を第3講でおこないました。そちらで、ケルト神話は最広義にはアイルランド神話、ウェールズ神話、ガリアの神々に関するローマ人の記録、アーサー王伝説、イギリス・アイルランドの妖精物語、オシアンを指す、と書きました。今回はこれらのうち、アイルランド神話のみ取り上げます。
2 アイルランド語の問題
私見ですが、全ての神話の中でアイルランド神話ほど、本やその事物を引用する作品ごとに固有名詞の表記揺れが激しいものは存在しません。全ての固有名詞につき全く同じように表記する作品は2つとして存在しない、とさえ言い切ってよいやも知れません。
ブリギッドとブリジットとブリード。モリグーとモリガンとモーリアン。これらはそれぞれ同一の女神を指します。これくらいブレが大きいのです。
思うに表記揺れの原因は、アイルランド語という言語の特性にあります。すなわち、(1)英語やローマ字からは想像し難い読みかたである、(2)口蓋化など日本語には存在しない発音がある、(3)綴りと発音が1対1で対応しない、(4)方言による差異が激しい上に標準語が存在しない、(5)時代により単語の綴りまで変わる、などです。混乱を招くあらゆる要素を兼ね備えています。
このような現状です。
当方は特に断らない限り、一律に井村君江女史の『ケルトの神話』(注1)にある表記に従っています。
しかし、同書あとがきで著者自身が断っておられるように、著者は言語の専門家ではなく、また広く用いられる読みがある場合は古代アイルランド語の発音よりもそちらを優先した、とのことです。
そもそもアイルランド語の性質が上記の通りである以上、古代アイルランド語の発音に徹底的に忠実であることにいか程の意味があるのか疑問です。
そこで今回は、主要な神や人や土地の名前について英語の発音を調べ上げ、これを記載するにとどめます。アイルランドは今や英語を母語とする者のほうが圧倒的に多いのですから、英語の発音に準拠した表記をしても、間違いとは言えますまい。
また、若干の固有名詞については現代アイルランド語の発音が判明しています。これも全て挙げました。
とはいえ全ての固有名詞を網羅している訳ではないので、創作物にアイルランド神話の事物を登場させる場合、あくまで井村・上掲など信頼できる本に従うのが無難だというのが当方の立場です。
3 固有名詞発音事典:神
最初に井村・上掲の表記を書き、スラッシュの後に英語や現代アイルランド語の発音を記します。英は英語の、愛はアイルランド語の略です。
ヴァハ / 英マーハ
エリウ / 英エア。愛エール
オィングス / 英愛アンガス(・オーグ)。愛エンガス(・オーグ)。
オグマ / 英オグマ
キァン / 英キアン
ゴヴニュ / 英ゴイヴニュー
ダヌ / 英ダーヌー
ディアン・ケヒト / 英ディーアン・ケフト
トゥアハ・デ・ダナーン / 英スーアハ・デー・ダーナン
ニァヴ / 英愛ニアヴ。
ヌァダ / 英ヌーアザ
ネヴィン / 英ネマン
バズヴ / 英バヴ、バイヴ
バンバ / 英愛バンヴァ。英バンバ
フィノーラ / 英愛フィヌーラ
フォトラ / 英フォードラ
ブリギッド / 英ブリギット、ブリジット、ブリジッド、ブリーイト。愛ブリージ
ボアーン / 英ボーアン
(赤毛の)ボオヴ / 英ボーヴ・ダルグ。愛ボー(・ジャラグ)
マナナーン(・マクリール) / 英マナナン(・マクリア)。愛マナナン
ミディール / 英ミダー
モリグー / 英モーリアン、モリウー。愛モリグー
リール / 英リア、レア。愛リル
ルー / 英ルー、ルグ
4 固有名詞発音事典:人
エマー / 英エイヴァ
オイフェ / 英アイーファ。愛イーファ
オシーン / 英愛オシーン、オシアン
オスカー / 英オスカー。愛オスカル
ク・ホリン / 英クーカリン。愛クーハラン
グラーニャ / 英? 愛グローニア
コノール / 英コノフワ、コンコーワ
コンラ / 英コンリー
ディアドラ / 英ディアドラ
ディルムッド(・オディナ) / 英ディアマット・オ・ザイン。愛ジャルマッド
ノイシュ / 英ニーシ
ファーディア / 英フェアディアッド
フィン・マクール / 英フィン・マクール
メイヴ / 英メイヴ
5 固有名詞発音事典:場所・怪物
チル・ナ・ノグ / 英ティア・ナ・ノーグ
バロール / 英バロー
フィルボルグ / 英フィアボルグ(ズ)。愛フィルボルグス
フォモール族 / 英フォーモール、フォーモーリアン
――脚注――
1 筑摩書房、1990・3・27




