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14.25:「さよならを言う前に」

作者: 郡山リオ

 よく、夢を見る。夕暮れに染まる街を夜に向かって歩いていた。ぽつぽつと思いだしたかのように明かりがともりはじめる街灯。茜色をいつの間にか追い越した私は、紺色に染まった街の道を歩き続けた。

 遠くに見えていた高層ビルが近づくにつれて、歩く道も明るくなっていった。イルミネーションに飾られ、きらびやかな街。街灯の下を通るときに照らされ、光から外れていくたびに私は、夜の街に沈んでいった。

 お父さんの馬鹿とつぶやく息が白く染まった。ふと、周りを見る。

 どうして、こんなところに居るんだろう。白く消えていく息に浮かんだ考えも、すぐに都会の雑踏にかき消されていた。

 ビルの足下まで来ると肩と肩が当たりそうなほどに人通りが多くなった。人の波に呑まれそうになって、必死に前へ前へ進んでいく。にじむ街灯。点滅するイルミネーション。手をつなぐ恋人。そんなものに目を取られていた私の足は、周りに合わせて止まる。交差点の信号が赤に変わった。立ち止まった拍子に、なんとなく後ろが気になって、目立たない程度にそっと振り返ってみる。人と人の隙間に見える歩道。ここは、私の知っている街と違って、来た道に足跡は残らない。顔を前に向ける。苦しくなって、胸に手をそえる。吐く息はまだ白い。

 目の前をトラックが通り過ぎていったとき、見上げた私の目には交差点の向こう側にいる家族が映っていた。赤信号を待っているお父さんと、つかれて寝てしまっただろう女の子がおんぶされている。お母さんは、その横でたくさんの紙袋をぶら下げて、笑っている。女の子の手に結ばれている風船を見ると、どこかの遊園地に遊びにいったのだと分かった。

 私は、自分が悪いってことを知っている。それでも、謝らないで、走って、走って走って、走り疲れて、歩いて……。私の部屋の机の上にはまだ読みかけの本が置かれたまま。もしかしたら部屋の明かりだって付けっぱなしで来たかもしれない。窓は閉めただろうか。脱ぎ捨てたスリッパは、飛び出したときに外に出ていないか、あれは、これは、……。

 街が光にあふれるごとに、息の白さははっきり見えた。色鮮やかに染まる街の光は、なぜだか寂しさを際立たせた。青に変わった信号を合図に歩き始めた。前からくる人の波に逆らうように、しっかり歩いていく。すれ違う人の中で、さっきの家族が途切れ途切れに見えた。歩くお父さん。少し遅れるお母さん。目を覚ます、女の子。お父さんの笑顔。お母さんの手が女の子の頭をなでる。暖かく、柔らかい手。はっきり見えたかと思ったら、ほんのすぐそこまで来て、すれ違い際、真横に並んだ。

「おかあさん」

 誰が言ったのでもない、私の声。だけどその声は届かなかった。

 あふれそうな何かを我慢するように手を固く握り閉め、交差点の真ん中で立ち止まり、振り返ったとき、私の足に何かが当たる。人がばらけていく中、急いで拾い上げてみると、それは赤い小さな靴だった。視界の隅、お父さんにおんぶされた女の子が見えた。片足に靴は無い。私が何か言おうとしたとき、ふと女の子は振り返って私を見た。目が合う。そして、手に持つ赤い靴に向かって指をさした。お父さんの後ろを歩いていたお母さんが女の子に気がつき、走って私の元まで拾いに来る。周りに人は居ない。だから、私は渡そうとするのに、お母さんは私を見つけられず、足下の道を探し続けている。お父さんは気づかず先へ先へと歩いてしまってしまう。交差点を渡り切ると、お父さんと女の子は人の波にかき消され、風船は人の波に浮かんでいた。

「おかあさん」

 暗い辺りを一生懸命探す手が止まり、頭を上げる。お母さんは私に気がついて、笑顔になる。お礼を良いながら受け取った靴を片手に、さっきまで待っていたはずの家族の方を向いたとき、聞こえていたはずのこの街のざわめきが止まった。

 一滴の雫が木の葉からこぼれ落ち、湖面に波紋を描ように。風が枝に積もった雪を振り落としながら進むように。遠くの星の輝きが、この空の下で暮らす私たちを照らしているように。まるでそれが必然であったかのように、ざわめく人の波に浮かんでいた風船がゆっくりと遠いところへと飛び立っていった。


 お母さんは靴を手にしたまま、私の横で立ち止まり、口にした言葉を私はずっと忘れない。

「さようなら、私の愛しい人」

 そして、私の方にゆっくり向いてそっと笑った。

「ずっと待っていたのよ。」

「私も、私も……」言葉ではなく、涙があふれてくる私に、お母さんは静かに言った。

「でもね、もう少し、大きくなるまで待つわね」優しい暖かい手が頭を撫でてから、私の背中に回りそっと押す。あふれた涙が流れ出すように、自然に一歩踏み出していた。

「まだ時間が足りないでしょ」

 私は、踏みとどまろうとする。後ろへ戻ろうとする。だけど一歩踏み出した足は二歩三歩と前へ進んでしまう。出せない声、進む足。

「さようなら、私の愛しい人」

 後ろから聞こえたはずの声が聞こえなくなったとき、私は白い病室のベットの中、涙で目が覚めた。

急いで袖でまぶたをこすったあと、すぐ横で、お父さんが椅子に座ったまま、こくりこくりと眠っているのに気がついたから。深呼吸して少し落ち着いた。穏やかな風がカーテンを揺する。小鳥の鳴き声が、気持ちの良い朝なのだと知らせてくれた。

 私が起き上がろうと腕を動かしたとき、お父さんの目がかすかに開く。

「……あぁ、起きていたのか。」眠そうに目をこすり、大きなあくびをした後、お父さんは私を見て笑った。

「ひどい顔だな」私はむっとして、何か言い返そうとしたのだけど、その前に忘れそうだったから、文句の前に、先に言うことにした。

「ねえ、約束して。」起き上がれなかった私は、お父さんの服の端をつまんで少し引っ張る。

「なんのだ」

 短く息を吸う。

「私より、絶対に長生きするって。」

「お前、また……。」お父さんがため息をついて、会話を遮ろうと口を開けるのが分かった。だから私は、さえぎられるその前に早口で言う。

「私を置いていかないって。何があっても、何があっても、何が……」声が詰まる。涙があふれる。まっすぐにはお父さんの顔を見れないから、ベットの反対側を向いていた。

「何があっても、私を一人にしないって、……言って」

 涙と一緒に嗚咽をこぼす私の頭をお父さんは優しく撫でてくれた。私の手とはちがう日焼けしたがっしりした手。しばらくして落ち着いた私はだんだんと眠くなる。頭を撫でるお父さんの手の暖かさに、私は続ける言葉を忘れて、眠ってしまった。

「さようならなんて言わせないで」文句と一緒に、そう言おうとしていたはずなのに。また私は、ある晴れた冬の日の、暖かな陽だまりのような夢の世界へと一人、旅に出てしまうのだ。

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