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「ここにサインですか?」
「そうそう、そこにサインっていうか足形だな。これ朱肉」
後ろでドシュ、やらドゴッやら似つかわしくない音がしているが契約中はこの世のどこよりも安全だ。ただし契約をしているときに限るという何とも使えないやつなのだが。
ポンポン、と前足を朱肉につけた狼はゆっくり書面に足を降ろす。それをヒラヒラと風で乾かして「うん、さんきゅ。完璧だ」と言えば狼はホッと一息つく。
それを見て、俺は狼を見上げる。
「最後だ、名前を教えてくれ」
「私の名、私は──リアン、私の名はリアンという」
「そうか、えーあー、『汝、我に仕えることを望むか?』」
右手の人差し指をピンと上に向け狼こと、リアンに問う。リアンはその顔をニィッと歪めて笑う。「無論、この命貴方の意のままに」。
凶悪ではある、見るものが見たら怖くて怖くてたまらない顔だろう。実際俺もさすがにその顔は怖いと思ってる。けれど同時にこれ以上ないほど頼もしい顔だ。ニッと笑った俺は契約最後の言葉を唱える。
「『お前はこれより召喚士の命の元動き、召喚士に縛られよう。なれど、お前はどの人間にも、どの兵器にも負けることはない』だったか」
うる覚えの内容を空で言えばなんとなく恥ずかしくなってくる。わかってくれ、10年前だったらまだ若気の至りですんでるんだが俺もう20代だぞ、もう済まされないんだぞ。これ普通のやつから見たら俺ただの痛い奴だからな。
「貴方のためならどこまででも」
生真面目に頭を下げるリアンにこちらこそ、と俺も頭を下げる。
「して、私は何が変わったのでしょう?力が沸いて来ることもなにかを感じるわけでもないのですが・・・」
「え、そんなもんあるわけないだろ。ゲームとか漫画じゃないんだから。俺がやったことは頭の安全装置を外しただけ。力が沸いて来る、なんて体で感じることはありえない。力はお前の中に元からあったんだから今更感じ取るのはおかしいだろ」
そう言えばリアンは「なるほど」と納得したようだ。3割くらいは俺もわからんからでまかせだったけど。召喚獣は召喚士と契約した際、目覚めたはずの力に対し確かに力が沸くことはない、これは前にこの世界に来たときからそうだった。だが肝心のその理由がわからないままだったのだ。許せリアン。
「そうですか、ですが私は何の能力が使えるかさっぱり検討が・・・」
瞬間、俺とリアンの間を光線が通り抜けた。あ、そうだ確かバリアは契約中だけで契約が終わったら時間と共に効果が薄れていってやがて全部なくなる。タラリと冷や汗が背中を流れたのが分かった。リアンと顔を見合わせて苦笑いする。
危機的状況は全く変わっていない。チラリとリアンを見れば何か考え込むように光線の先を見つめそのまま固まってしまう。ブツブツと何かを呟き怖いくらいに目をかっ開いて俺を目にも入れず何かを考え、そして──
今度は火と雷が飛んで来た。
けど、その2つの魔法は目の前で弾けた。なんの予兆もなく、なんの言葉もなく、隣にいた狼はその光景をただ少しだけ納得したように見つめて、大きく息を吸った。
その瞬間、急激な眩暈と吐き気に襲われる。ぐるぐると回る視界の中でなんとか足を踏ん張ればリアンは大口を開けまだ息を吸い続ける。
リアンの口の中には透明な、何か大きな塊が渦巻き、やがてそれにまた何かが吸い込まれていく。
「一族の恨みぞ、思い知れ。貴様らには私の最大級の礼を返してやる。受け取るがいい!」
放たれた小さな球体は、とんでもないスピードで女2人に迫る。球体に彼女達が攻撃してもまるで相手にされず木々をなぎ倒しながら進んでいく。やがて、球体が2人に接触した瞬間──
球体はその小さな体のどこに隠していたのか、天までその手を伸ばすと2人を巻き込んだままとてつもない大きさのサイクロンへと、変貌を遂げたのだ。