その頃のリアン 2
大きく吸い込んで指でタバコを挟んで少し離し、フゥーと白い息を吐き出したファシーは目の前の怒りで顔が真っ赤になっているリアンを見下ろしながら恐怖で転がる男を見る。
男はリアンに離された時点で可哀想なくらいに顔を真っ青にさせ、ぶるぶると震えてキンギョのように口をパクパクとさせていた。
男には魔法の面識も知識もない。戦う必要がなかったのだから当たり前だった。どうして俺がこんな目に合うんだと自問自答を繰り返しても問いは出てくるばかりで答えは何1つ出てこない。その自分を軽蔑するように見下ろすファシーの視線など、自分のことで精いっぱいな男が気付くはずもなかった。
大きく息をつくファシーにびくりと反応を見せたのは恐怖に震える男だった。ずいと詰め寄られれば自分の身体が硬直し、尋常ではない汗が出る。
「ひ、ヒィッ!」
男の口から勝手に出たのは情けなるくらいの惨めな悲鳴だった。鼓動はドクドクとはやくなり、このまま早くなりすぎて死んでしまうのではないか、いっそ死んだ方がいいのではないかと言う思いまで出てくる。
その男を見下ろし、ファシーはにっこりとお手本のような綺麗な笑顔を見せた。リアン達にも見せたその笑顔はどこか安心させるもので、男はその笑顔に思わず手を伸ばす。
この笑顔の主はこんなに優しい笑顔ができるのだからこの地獄から抜け出す手助けをしてくれるに違いない。きっと、俺の伸ばした手を取ってくれるに違いないだろう。
優しい人に決まっている。助けてくれ、俺をここから助けて、目が覚めたらきっとベッドの上で寝ていることで夢だと思わせてくれ。
あぁそうだ、これは夢だろう。俺はこの伸ばした手を取られて目を覚まし、そして起きたら妻の美味しいコーヒーと朝食を食べて新聞を読み、そして変わらず問題視されている少子化問題と勇者のマナー問題に顔を顰めるんだ。
ある程度ゆっくりしたら家を出る。その時に妻に何時に帰るのかを話し、役所に行って仕事をするんだ。
夢だと思ってしまえば恐怖などない。恐怖に満ちた顔から笑いに変わる。ハハッと乾いた笑いまで出てくる。
何故こんな簡単なことを思いつかなかったのだろう、と笑う男に対し、ファシーはその手を取った。ぐいと持ち上げ、そして白い息を男に向かって吐き出す。
男の目の前は一瞬にして白い煙につつまれ、目にはピリピリとした痛みが襲う。煙を吸い込んでしまってゴホゴホと咳が出た。何を、と思っても目の前にはタバコを咥えたあの女しかいない。
男の目には、ファシーの姿が壊れた映像のように一瞬ザザッとブレて見えた。目を見開いて口を開けたままの男に今度はファシーがニヤァと笑みを浮かべる。
先ほどとは全く違う、口角だけをあげた悪人のような笑い方に男は真っ青を通り越して土のような顔色になった。声すらも、体を動かすこともできない。
男はファシーを知っている。新しいファッションなどと言って魔法で服を作る大馬鹿者だ。役所に店の申請をしに来た際には口論も大いにした記憶もある。妻にもその愚痴を話してしまったこともあったくらいだ。他には…他には、なんだ?もっと何か思い出があってもいい、ここ数日の話なわけじゃないのだ。
男はハッとした。土色になってしまった顔色は更に悪くなっていく。背に伝う冷や汗にぶるりと身震いする。喉がカラカラに乾いて、何も入っていないはずの胃から込み上げてくる不快感が男を襲った。
その様子を見たファシーは男の肩を軽く叩く。男はそこで、目の前が真っ暗になった。
──卒倒した男を見て、ファシーは両手を空に向けて肩をすくめた。タバコはすっかり短くなり、それを床に落として足で踏みつけて火を消すと、リアンが自分を見ていることに気付いてにっこりと笑って見せた。
怒りというものは元来少しずつ落ち着いてくるものだ。一族の長であったリアンであるなら尚更それが強い。それがどれだけ大事なものを壊されたことであろうと、大切な人が目の前で消えたことであろうと関係なく。
急速に冷めていく怒りの中で、リアンは倒れてしまった男は犯人ではないだろう、と目星をつけた。ここまで精神的に弱い奴が実行犯だとは思えない。魔法を見てあんな風になってしまうなら魔法自体使えないはずだ。
胸倉を掴んで場所を固定させる役なのか、とも考えたが私だったらこんな雑魚を使わずに自分でどうにかするだろう、と結論付けた。
召喚士様は一般人なのだからわざわざ一般人を使うこともなく、その場に足を止めることも拘束をすることも可能だと彼女は考えたのだ。
彼女にとって目下の問題はファシーだ。怒りが収まったことで彼女の頭の中にはそれまでファシーとやり取りをした記憶もよみがえる。
そこで思ったのが、ファシーがまるで別人のように変わってしまったことである。言動も、表情も全て変わってしまった目の前の女に多少なりとも困惑はする。
ごくり、と嚥下をしたリアンは、目の前にいるタバコを踏みつけたファシーを睨みつけながら最悪の想定をする。
もし、彼女が今回の実行犯だったら…、と。
だが、リアンの予想を打ち砕くようにファシーは両手を上に軽く上げて緊張感のないあくびを1つして、こう言ったのだ。
「降参するから話を聞いてもらいたいんだけど?
私も召喚士やってんだ」




