エピローグα
「もう帰るのか」
草原に立つ1人の男の後ろから声をかけたのは野犬よりも2回り以上大きな銀色の狼だった。狼は男の答えを待つようにじっとその場に座り続ける。
狼は、知っていた。この男は役目を終えた時にあっさりと今までの活躍も名声もすべてを捨てて帰ってしまうだろうということを。この男はそういう人間であると。
「帰ってしまうのか」
ここには男に居てほしい人間も、獣も、多くいた。それを男も知っているはずだった。だが男は見ている狼が力が抜けるくらい情けない笑顔で笑う。
「帰るよ。お前らの世界なんだからお前らでなんとかしろ」
いつものようにそれだけ言う。それだけ言って、また口を閉ざしてしまう。
狼はいつでも一人だった。孤独で、誰か仲間がいたことなど一度もなかったと断言してもいい。自分の親が死んで、兄弟が死んで、狼はいつでも一人で生きていた。
狼はいつだって仲間が欲しかった。言葉を交わしたくて、顔を見たかった。喉が退化してしまうんじゃないかと思うくらいに言葉を話さなくなった頃、現れたのがこの男だったのだ。男は俺を見て、「あぁ、話せないのか。俺の言葉、わかる?」と言って笑った。その時の狼の喜びを誰が理解できるだろう。
奇跡だと思った。
狼は、一生男に付いていきたい。この男か、自分が死ぬまで一緒にいたい。一番最初に会った時、狼は確かにそう思った。それも敵わないと知ったとき、狼はまた一人だと悲しんだ。
「別にさぁ、そんなに悲しむことじゃねぇんだわ」
いつの間にか傍に来ていた男はいつものようにタバコを出して吸い始める。このほんのわずかな間で嗅ぎなれてしまったその匂いは男を象徴していると言ってもいい匂いだ。狼はその匂いにいつの間にか安心感を覚えてしまった。
男はそのままタバコを吸って、ふぅーと吐くと
「俺はこの世界の人間じゃねぇし、そもそも俺がいること自体がおかしいんだ。全部終わった、お前らを苦しめるもんも全部なくなった、お前ら自由なんだよ。俺に仕えるのはいいけど、ちょっとくらい好き勝手に生きてみろよ。案外いいもんかもしれねぇよ?」
そう言って、男は笑った。狼はぐぅ、と唸って、男のお腹に顔を埋める。泣きそうだったのだ、男には見られたくなかった。男は相も変わらずヘラヘラと笑ってくすぐってぇと冗談めかして言っていたが、じわりと広がる冷たいなにかに全部気付いていた。特に引きはがそうとはせず、好き勝手にさせている。
「好き勝手を、どのくらい続ければお前はまた戻ってくるのだ」
「さぁなぁ…とりあえず500年くらい好きにしてみれば?」
「それは、ちょっとではない…」
それもそうだな!と笑う男に思わず狼も小さく笑ってしまった。こんな、ありきたりで平穏で日常的な会話を何よりも望んでいた。自分が欲しくても手が届かなかったものを男はなんでもないようにくれた。
それが何よりもありがたくて何よりもうれしかった。
「おい!主人よ!」
「うおっ、いきなり頭上げんなこえぇから」
バッと頭を上げた狼はいいことを教えてやろう!と声を張り上げる。男はそれに「なになに?」と食いつくと狼はまるで胸を張るように鼻を上げる。
「私の本当の名前だ!その大雑把に作られた皺の少ない脳みそに刻むがいい!」
「おい」
男の言葉にも狼は無視して嬉しそうに話す。
「私の本当の名は、────」