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狼ロルと赤ずきんヒズキ(狼ロル視点)

『赤ずきん事件』


それはかつて、人間たちに恐れられていた狼の威厳を地に落とした。

その日以来、狼たちは人間にとって恐れの対象から、ただ赤ずきんに狩られるだけの存在へと変わっていった。

人間を狩る立場から狩られる立場へと変わった狼たちは森の奥に姿を隠し、今ではひっそりと暮らしている。

コンコンコン。

コンコンコン。


小気味よいリズムで玄関ドアをノックする音が聞こえ、俺は首をかしげた。

今日は来客の予定は無いはずだ。

正確にいうのなら『今日も』だが。


そんなことを考えながら、ゆっくりと玄関へ向かう間にも、切れ間なくドアをノックする軽快な音が聞こえてくる。

まるで出て来るまでは絶対に帰らないと言いたげな様子に呆れつつ、俺は内開きのドアを勢い良く開けた。


「はいはーい。どちら様?」

「あ、初めまして」


そう言って見知らぬ少女がぺこりと頭を下げる。

てっきり狼仲間の誰かが気紛れで遊びに来たものだとばかり思っていた俺は、突然の見知らぬ来訪者にしばし言葉を失う。


「あの。狼のロルさん……ですよね?」


まるで確認するように、赤い頭巾からおさげを覗かせた少女が俺の名を呼ぶ。

おそらくは、まだ十代半ばであろう少女の緋色の瞳は、まるで研ぎ澄まされた刃のように鋭く、じっと俺のことを見つめている。

その瞳に圧倒されながら、俺は乾いた唇を舌で湿らせ、肯定の言葉を口にした。


「そう、だけど」

「ああ、良かった」


初めて少女が年相応の笑顔を見せる。

その笑顔にホッとしたのも束の間、次の少女の言葉で俺の全身に緊張が走った。


「あ、申し遅れました。私、赤ずきん協会から参りました、赤ずきん見習いのヒズキと申します。本日は貴方の命を貰い受けに来ました」

「帰れ!」


少女の言葉を最後まで聞かず、玄関ドアを乱暴に閉める。

そして、こんな時のために付けておいたドアの鍵を二つ、急いで掛けた。

やっぱり、ワンドア・ツーブロックは防犯の基本だよな。


「あの、すみません。ここ、開けてもらえませんか?」


玄関ドアに預けた背中越しに、ノックの振動が伝わってくる。


「できれば話の途中なので、中でゆっくりお茶でも飲みながらお話の続きを」

「ふざけんな! どこの世界に『貴方の命を貰い受けに来ました』っていう不審人物を自宅に招き入れ、あまつさえ茶まで出す阿呆がいると思ってんだ!?」

「そんな! 狼は単純でバカだから、簡単にドアを開けて家の中に入れてくれるって聞いてたのに」

「ああ、そうかい。そりゃあ、残念だったな。単純でバカな狼より阿呆なおつむを持った自分自身を恨め」


狼は単純でバカ。

誰にでも簡単にドアを開き、家の中に招き入れる。

『赤ずきん』の間では、こんなふうに言われているのか。

とりあえず、これからはドアを開ける前に誰が来たのかくらい確かめないといけないな。

そうでなければ、せっかく玄関ドアに鍵を二つも付けた意味が無い。

気をつけよう。


「あの、すみません。ここを開けて下さい。貴方の首を持って帰らないと私一生赤ずきん見習いのままなんです」

「そんなこと知るか! たった一つしかない首をやれるわけないだろ!? もう、さっさと帰れ!!」

「そんなことできません! 一生赤ずきん見習いのままなんて、そんなの嫌です」

「俺だって、むざむざ殺されてたまるか!」


平行線をたどる互いの主張は、当然ながら交わることはなく、時間だけがむなしく過ぎていった。



ドア越しの対峙たいじに先にを上げたのは、赤ずきん見習いヒズキのほうだった。


「私の負けです。今日はいきなり押しかけて来て、ごめんなさい」


断続的に続いていたノックが止み、ヒズキが静かに謝る。


「貴方からしたら堪ったものじゃないですよね。静かに暮らしているだけなのに、いきなりやってきた相手に命を狙われて。だけど、これだけはわかって欲しいんです。『赤ずきん事件』が起こるまでは、私達人間のほうが今の貴方と同じ立場だったってことを」



『赤ずきん事件』

それは狼に狩られる立場だった一人の赤い頭巾の少女が、狩る立場だった狼に牙を向き、反旗をひるがえした大事件だ。

その赤い頭巾の少女の勇気と行動に心打たれた人々は皆、手に手に武器を取り、狼の血で白い頭巾を赤く染めるべく立ち上がった。

そして、とうとう狩る立場と狩られる立場が逆転して、狼は森の奥深くへと姿を消した。


「貴方からしたら、私達『赤ずきん』はただの殺戮者さつりくしゃかも知れません。だけど、またいつ何がきっかけで立場が逆転するかわかりません。だから私達は武器を取り、狼の脅威から戦い続けないといけないんです。弱い私達が身を守るためには、こうするしかないんです」


しぼり出すようにヒズキが想いを告げる。

そして、一転して明るい声でヒズキが別れの言葉を口にした。


「今日は本当にすみませんでした。私、帰りますね」


おそらく最初にしたように頭をぺこりと下げたのだろう。

少し間を置いてから、ヒズキの足音が止まることなくゆっくりと遠ざかっていった。






コンコンコン。

コンコンコン。


翌日、またもや規則正しいリズムで玄関ドアがノックされた。

まさかと思いつつ、玄関へ行きドア越しに声を掛ける。もちろん鍵は掛けたままだ。


「はーい。どちら様?」

「あ、私昨日も参りました、赤ずきん見習いの」

「帰れ!」


やはりお前か、ヒズキ。

昨日の今日で、よくもまあ来られたものだ。


「酷いですよ! せめて挨拶ぐらい最後まで聞いて下さいよ」

「最後まで聞いてやったら、おとなしく帰るのか?」

「まさか。今日こそ、中でお茶でも」

「やっぱり帰れ! つーか、何でまた来てんだよ。もう来ないんじゃなかったのか?」

「え? 私そんなこと一言も言ってませんよ」

「昨日『帰る』って言ってただろ?」

「だから『昨日は』帰ったじゃないですか。さあ、今日こそお話を」

「そうか。じゃあ『二度と来んな!』……以上だ」


言いたいことだけ言うと、俺は玄関を離れて、くつろぎのリビングルームに戻った。ふっかふかのソファーに寝転がっている時が、俺にとっての至福の時間だ。

俺がくつろいでいる間も、玄関からは相変わらず軽快なノックとヒズキの声が響いて来るが、俺はシカトを決め込む。


それから、どのくらい経った頃だろうか?

断続的に続いていたノックがぴたりと止まった。

次に、ヒズキのバカみたいな大声が俺の耳を貫く。


「今日はもう帰りますね。だけど私、諦めませんから! 明日また来ます」


そう高らかに宣言すると、ヒズキは帰って行った。






次の日も、また次の日も、ヒズキは宣言通りやってきた。ただし、最初の頃のようにずっと玄関ドアを叩き続けることはしなくなり、来た時に数回ノックをして、その後はその場に座り込んで延々とたわいのない話をするようになった。

もちろん俺はドアを開けなかったし、ヒズキの話に返事をすることもなかった。

それでもヒズキはりもせず、毎日毎日やってきた。


ずっと森の奥で、狼仲間とも滅多に会うことなく過ごしてきた俺にとって、ヒズキの来訪は大きな変化だった。

初めのうちこそ鬱陶うっとうしくて堪らなかったヒズキの話し声も、最近では耳に心地良い。

そしていつの間にか、ヒズキの訪れを心待ちにしている自分がいた。



コンコンコン。


「それでは、日も落ちてきたので、今日はもう帰りますね。また明日来ます」


いつものようにノックをして、ヒズキが別れを告げる。

この別れの挨拶も、初めはリビングルームのソファーの上で優雅に聞き流していたが、最近では玄関ドアに背中を預けた状態で聞いている。

ドア越しに去って行くヒズキの足音を聞きながら、俺は小さな声でそっと呟いた。

「また明日」と。





翌日、ヒズキは来なかった。

次の日も、その次の日も、ヒズキは来なかった。


『どうして来ないんだ? また明日も来るって言ってたのに』


そんな約束、何の意味もないことくらいわかってる。頭では、ヒズキがもうここに来ることはないのだとわかってる。

それでも俺は一日中、玄関ドアの前から離れられなかった。

諦めて離れた瞬間、ヒズキがやってくるような気がして。


「ヒズキ……。逢いたい」


張り裂けそうな想いに突き動かされ、俺は頑なに閉ざしていた玄関ドアに手を掛けた。

安心のワンドア・ツーブロックですら、今の俺を止めることはできない。

目指すは、ヒズキの住んでいる町だ。






何の準備もなく、勢いだけで町に来た俺が、町の住民達に見つかるまで時間は掛からなかった。

叫ばれ、石を投げられ、猟銃で撃たれそうになりながらも、いつかヒズキが言っていた「私の家は西通りにあるんですよ。赤い屋根が目印のかわいいお家なんです」という言葉だけを頼りに、ひたすら走り続けた。


『西通りなら、この辺りのはず』


物陰に隠れながら、乱れた息を整える。

何度も大きく深呼吸をして、ようやく落ち着いた俺は、そう遠くない場所から血の匂いが漂ってきていることに気がついた。


「この匂いは……山羊の血か?」


狼の本能が鼻をひくつかせる。


『どこからだ? この匂いは』


クンクンと鼻を利かせて、匂いの元を探す。

すると、驚いたことに美味しそうな血の匂いは、段々と俺のほうへと近付いて来る。

そう。もうすぐそこまで――。



「ロルさん」


いきなり背後から声を掛けられ、俺は口から心臓が飛び出すかと思った。

しかし、声の主が探していた人物だとわかった瞬間、俺は喜びを抑えきれずに彼女の名を叫んだ。


「ヒズキ!」


振り返り、彼女の姿を見た俺は、そのあまりに異様な光景に息をのんだ。

ヒズキの全身は血で真っ赤に染まり、彼女の抱えた猟銃の銃口がまっすぐ俺へと向けられていたから。


「ヒズキ……。その血」

「ああ。これですか?」


感情のない声で、ヒズキが淡々と説明する。


「これは家畜の――山羊の血ですよ。貴方に殺された、ね」

「ヒズキ? 何を言って……」

「すみません。私、貴方に嘘を言ってました。本当は私、見習いじゃないんです。本物の『赤ずきん』なんです」


初めてヒズキに会った時のような冴え冴えとした緋色の瞳が俺を冷たく射抜く。


「現在『赤ずきん』は危機にひんしているんです。脅威であるはずの狼が弱体化したいま『赤ずきん』が存在する意味があるのかと。――わかりますか? 今度は『赤ずきん』が狩る立場から狩られる立場へと変わろうとしているんです。だから『赤ずきん』達は……私は、どうしても必要だったんです。人里を襲い、家畜を喰らい、人間さえも襲いかねない恐ろしい『狼』が。――わかりますか? 私の気持ちが!」


ヒズキの両の目から大粒の涙が零れ落ちる。


「やっぱり、狼は単純でバカなんですね。こんな所まで、わざわざやってくるなんて。……本当にバカ」


ヒズキが猟銃を構える。


「さようなら。単純でバカで、寂しがり屋の狼さん」


次の瞬間、銃声が辺り一面に鳴り響いた。


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