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オカルト探偵・須世理琴音の不可思議事件覚帖  作者: 硯見詩紀
第四章 ご都合主義の神様はどうやらいるらしい
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第5話

「あったー」


 気絶した気多崎の懐をまさぐっていた沼名河がそう言った。彼女の手には、一冊のノート。


 どうやら、彼女は須世理のメールである程度のことを理解しているようで、気多崎の魔術が俺の自作神話が基だということも知っている。


 そう、彼女が手に持っているノートは俺の自作神話《オームジ神話》が書かれたノートだ。紛れもなく、俺が捨てたノートだ。


「やっぱり、ゴミ捨て場で拾ったんだろうねー」


 沼名河はそう言って、ぱらぱらとノートを捲る――って、やめろ!


「やめてくれ! さっさと燃やせ!?」


「くぁははっ。面白い! 面白いよ、これ! どれも名前が安直過ぎる!」


 沼名河は大爆笑。無茶苦茶恥ずかしいっ!


「お願いします。そのノートを燃やしてください。早く!」


 もう泣きそうである。泣いていいですか?


「くくくっ」


 泣きそうな俺を傍目に沼名河は笑い転げる。ぐぬぬ。もう大泣きするよ、俺! わんわん泣くよ!


「歌恋」


 と、俺の背中越しから須世理が声を出す。


「何、琴音?」


「その神話の中に夢の神、あと火の神はいるの?」


「うん。いるよ。夢のソムニウムと火のイグニース


「なるほど。都鳥さんの使った魔術は夢のソムニウムが基なのね。そして、気多崎多聞の炎は火のイグニースか。……それにしても、本当に安直ね。ソムニウムもイグニースもただのラテン語じゃない」


 俺の背後で須世理の控えめな笑い声が聞こえた。お前まで笑うか! もういよいよ泣くよ!? 俺! つーか、早く燃やせよ。そんなもの、いつまでもこの世界にあっていいものじゃないんだよ! それさえ処分すれば、俺の黒歴史に終止符を打てる。


「早く燃やせ、沼名河! お願いだから、燃やしてくれ!!」


「えー、どうしよっかなぁー……って、いずもん、泣きそうな顔してんじゃん!?」


「そうだよ! お前たちがくすくす笑うからだよ! さっさと燃やせよ! 俺、そろそろ大粒の涙を流して泣くよ!?」


「あー、うん。分かった分かった。燃やすよ。燃やすから泣かないでー」


 そう言って、沼名河は何かしらの魔術を使い俺の中二思想に溢れたノートを燃やしてくれた。


 ノートは灰となり、その残滓が床に落ちた。ああ、これで終わった。俺の黒歴史、これで終わり!


 このとき、俺はきっと晴れやかな顔をしただろう。


「さて。じゃあ、琴音。気多崎くんは、こっちで対処してあげるよ。あと、そこで気絶してる子もね」


 俺はふと八上の方を見た。八上はいつの間にやら気絶していた。目の前で起こっていた状況を理解できず、そのまま考えることを放棄して、気を失ったのだろうか。


「八上の対処って、何するんだよ?」


 俺は沼名河に訊く。もし、八上に危害を加えるようだったら……、


「あ、大丈夫。その女の子には危害は加えない。ここで見たこと聞いたことを口外しないように、ちょっとした取引をするんだよー。これこれこう言うものをあんたにあげるから、今回のことは黙っておいてくれ、ってね。ついでに、気多崎くんのことを話すと……まあ、彼にはちょっと酷いお仕置きを受けてもらうことになるかな。とりあえず、気多崎くんが琴音に復讐するってことはもうないよ」


 そうか。八上に余計な危害を加えるつもりがないのならそれでいい。気多崎は……まあ、当然の報いだ。


 そこでタイミングよく、恰幅のよい男が二人現れた。沼名河曰く、うちに仕えている魔術師とのことだ。そして、彼らは気多崎と八上を担いで病室を出て行った。


 沼名河も「じゃあねー。お大事にー」と言って、部屋を出る。病室には俺と須世理の二人きり。


 さて。俺は須世理に訊きたいことがあるので、訊く。


「で、須世理。お前、いつまで俺の服を掴んでいるつもりだ?」


 首だけを動かして、俺は須世理を見遣る。もう気多崎の脅威は去ったというのに、須世理は依然として俺の服の裾を掴んでいたのだ。おかげで、俺はずっと動けなかった。


「え、あっ……」


 ハッと気付き、須世理は慌てて俺の服から手を離す。だいぶ力強く握っていたらしい。服の裾には蜘蛛の巣が張ったように皺が残っていた。……まあ、いいか。俺はちゃんと須世理の方を向く。


「……」


 どういうわけか、須世理は頬を赤らめる。そして、伏し目がちになり、身を捩っていた。自分の弱い部分を見せてしまったので、恥ずかしいのだろうか。


「……あの、」


 ん? 突然、須世理が声を出した。小さな声だったのであまりよく聞き取れない。


「なんだ?」


 俺は首を傾げ、訝しむ。


「あの、杵築くんは……」


 今度はちゃんと聞こえた。にしても、俺が何だ?


「その、さ。私といて、どうとも思わないの?」


「は?」


 何を言っているのだろうか? 俺がお前をどうか思っていたら、とっくに俺はお前の元から去っているというものだ。さっき沼名河が気多崎に対して言っていたことを憶えていないのか。俺の思っていることは、沼名河の言ったこととさして大差はない。


「いや、だって……え? 私といると、あなたは……」


「何言ってんだ? おいおい、まさか俺が気多崎と同種の人間だと思ってるわけか?」


「そういうわけじゃ……ない、けど……」


「なら、あれだな。お前は危惧している。俺がお前の助手を辞めるんじゃないかと。お前の無意識が俺を傷付けるんじゃないかと」


「ぁ。え」


 どうやら図星のようだ。まったく、余計な心配だな。俺がどんな人間か知らないのか。俺は、もう天才には嫉妬しない。すべて意味なし。俺はそれを知っているから。


「じ、じゃあ……、あなたは……その、あのー、えーと……」


 と、容量の得ないことを言いながら、須世理は徐に俺の服の袖を掴んだ。その掴む力と言えば「離さない」とでも言わんばかりに強かった。頬を赤らめながら、彼女は続ける。


「……あなたは……ずっと、私の傍にいて、くれる……?」


「……」


 思わず「うん」と言いかけたが、そこは堪える。


 ずっと傍になんていられない。いつかは探偵と助手の関係も終わりを告げる。俺は須世理の助手をいつまでもやっていられないし、彼女はいつまでも俺を雇ってはいないだろう。高校を卒業すれば、俺たちの関係は終わるかもしれない。そうじゃなくても、大学を卒業して社会人になれば、俺たちの関係は終わるかもしれない。俺と須世理がずっと一緒にいるためには、それこそ結ばれるしかないのだ。


 でも、それはないだろう。俺と須世理の組み合わせは、どうにも似合わない。俺にとっての須世理はいわゆる高嶺の花なのだ。そう簡単には手を出せない。手を出そうと思えば、かなり厳しい道を歩まなければならない。そんな面倒なことは嫌だ。基本ものぐさな俺だから、面倒臭がって何もしない。


 故に、俺と彼女の関係が探偵と助手以上のものになるなんてことはないだろう。


「俺は、お前の傍にずっといられない」


 俺がそう言うと、須世理は「え」と口を開けて、俺の服の袖からふと手を離した。そして、寂寥の表情を取る。しゅんと肩を落としたようにも見えた。


 そういう悲しそうな顔をしないでくれ。まだ続きがある。


 俺は彼女の傍にずっといられない。でも――


「――でも、だからって、俺がお前の敵になることはない。お前の傍にいられなくなったって、俺はずっとお前の味方でいる」


 それこそ、ベタな表現で悪いが、世界中の人間が須世理琴音の敵になったとしても、俺は彼女を信じ、彼女の味方でいるだろう。俺と彼女の関係はいつかなくなる。でも、俺が彼女の味方であることはいつまで経っても変わることのない事実。俺が言うのだから、そうなのだ。


「……なら、ちゃんと約束して。何があっても、あなたは私の味方でいるって」


「お安い御用だ。でも、そっちがそう言うのなら、お前も一つ約束しろ。お前も、俺の味方でいろ」

 そうでもしないとフェアじゃないだろう。俺がそう言うと、須世理はふっと笑って、琴の音のように凛然とした声で「お安い御用よ」と言った。


 そして、俺と須世理は互いに小指を絡ませて指切りげんまんをした。


 先ほどまでの悲しそうな顔はどこへやら。彼女は明るい笑みを浮かべていた。


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