鬼の血
登場人物
三条 柊
桃花に両目を差し出した盲目の少女、竜胆と金次郎が屋敷を出て行ったため、お通の元へと預けられる。
お通
過去に金次郎に助けられたことがある美しい女性、金次郎により柊の世話を頼まれ、一緒に暮らしている。
須久那 小針
飄々とした刀を持たない侍、金次郎と深い仲で、広い知識を有する。
「大丈夫ですか?柊さん」
澄んだ声の女性は柊に向かってそう話しかけた。
「ありがとう、お通さん、もう大丈夫」
柊はそう言って立ち上がる。
「危ないですよ」
手さぐりで戸を開ける。
この向こうにはどんな世界が広がっているのだろう、こんなにも寒いのだきっと外は白銀の雪で覆われているに違いない、風が止んでいるのだ、ほつほつと降る雪だろうか?それとも白く輝かせる陽の光だろうか?目に見えない世界の中でそんな妄想を膨らませる。
「外はとってもきれいに晴れて、一面に降り積もった白い雪が輝いていますよ」
お通がそう話してくれて笑顔で「ありがとう」と返す。
柊がこの屋敷に来て1カ月になる、竜胆は鬼の目を取り戻すと金次郎の元を離れ、金次郎もまた用事があるとのことで柊一人がこの屋敷に預けられることになった。
「柊さん、また自分がお荷物だとか考えています?貴方は気を使いすぎですよ、私と金次郎様は古い仲ですので、どうかお気になさらずに」
「ごめんなさい、やっぱしお通には敵わないわね」
息を大きく吸って、温かくなった息を吐き出した。
「そろそろ、お勤めの時間ですからもう行きますね」
お通が戸の閉める音が響く、人の気が無くなり静寂が生まれる。
「竜胆…あなたはどこに行っているの?」
そう、誰もいない部屋の中で呟いた。
孤独が辛い訳じゃない、恋しいことが辛いのだ。
だが幸いなことに辛いことばかりではない、光を失ってから他の感覚が鋭くなる。
「…4人…男」
連続する足音から一人が出す足音のリズムを聞き分け人数を割り出し、音の深みから性別を読み取る。
いずれこんなことになるであろうと思っていた。
いつまでも平穏な暮らしができるとは思っていなかった。
私はずっと弱いままなのだ、なにも決められない、なにもできない、竜胆のようななにもかも失っても覚悟を決められるほど強くない…けど。
死にたくない、母に、父に、竜胆に会えずに、こんな冷たいところで死にたくない。
「…うぅ冷たい」
裸足のまま雪の上を歩く、どこに、なにが、どんなほうにあるのか、暗闇の世界ではそんな単純なことさえ分からない、ただ分かるのは背後に殺気が迫っているということ。
走る、雪の冷たさが柊を容赦なく突き刺さる。
「逃げなきゃ」
そう自分に言い聞かせ、暗闇の中で必死に突き進む。
雪の中を走っていると突然、抱きかかえられ、慌てて必死になってもがくと小声で「柊さん、私です」とお通の声が聞こえる。
「薄々分かってはいましたが…やはり金次郎様の留守の間に狙われましたか」
ある音に気付くパチパチと燃える音が鳴り響く。
「もしかして…もしかして!」
「屋敷…燃えちゃいましたね」
この事をお通はすでに予感していたのかのように柊の分の草履を出し、歩きだす。
「ねぇお通、あなたって一体なにものなの?」
「なぜ、そう思われます?」
「殺人だけが目的ならただ火を掛ければよかった、中まで探しに来たということはだれかを探しに来ていたということなのでは?」
「とても良い推理ですね、ですが話は中に入ってからにしましょうか?」
ガラガラと戸が開く音が聞こえる、風が入ってこないというだけで寒さが和らぐ。
ガチンガチンと火打石で火をおこし、囲炉裏に薪をくべる。
「先ほどの質問ですが彼らは物取りでしょうね、運が良ければ私を攫えばといった感じでしょうね」
「どうして…」
「私の家系は少しばかり複雑でして、私を含めて何かを作ることに秀でていたそうです、織る絹は輝き、編んだ紐は煌めき、染めた布は艶やかだったと聞きます、そのあまりの出来に先祖は妖怪とまで言われたそうです」
お通は懐から大切に包んだ布から一つのガラス細工を柊に手渡す。
優しくそれを撫でる、滑らかな曲線、細かい細工が手の感触から伝わり、小さなガラス細工の中に多くの光が輝いているのだと容易に想像できた。
「とても綺麗だと思う、これを見ることが出来たのなら…」
ガラス細工をお通に渡す。
「私の父はガラス職人でした、父が作るガラスはどれも綺麗で小さな自分はいつも工房で色とりどりな光は今も忘れられません」
「それじゃあ、お通もなにか作れるの?」
柊のその言葉に一瞬、お通が押し黙る。
「私はガラス細工の才能は無かったようで」
そう無理矢理笑うお通がそこにいた。
「少し気が乗りませんがしばらく休んでから私の務め先に匿って貰いましょう、気が乗りませんが」
釘を刺すようにお通はそう言ってため息を漏らした。
しばらく雪道を歩くと人の気配に気づく、少し大きめな町のようだ、雪を踏む感覚は無く雪かきされた凍った土の上を歩き続ける。
「これはこれは、お通さん、こんにちは」
そう男の声が響く、お通は少し重たい溜息を吐き出し、声の方に返事を返す。
「どうしたんですか?今日は随分と遅かったですね」
「少しいろいろありまして…盲目の子がおりますので中に入れてくれませんでしょうか?」
お通の申し出に男は快諾して屋敷の中へと案内される。
温かい囲炉裏の部屋でお通はその男に起きたことを話した。
「それは大変な思いをされたのですね」
「部屋を一つお貸しいただけないでしょうか?お付きの者いりませんので、少しだけ2人にしていただけないでしょうか?」
「あ、ああ、かまいませんよ」
お通は柊の手を取って屋敷の部屋まで導いた。
「…ごめんなさい、悪い人ではないのですけど…」
「お通、貴方が謝ることなんてない、むしろ、お礼と謝罪を言うのは私のほう」
しばらくして、一つの足音に気付く。
「申し訳ない、なにも無い部屋では寒かろうと思うて、火鉢を用意した、開けてもよかろうか?」
「ありがとうございます」
戸を開け、炭のパチパチという音と温かさが部屋を包む。
「お通さん、今日は疲れただろう、ゆっくり―」
「いいえ、やらせて頂きます」
そう言ってお通は部屋を出た。
「ううむ、やはり女子の心というのは読みづらいものだ」
「あ、あの、貴方は?」
「これは失礼、私は須久那小針、刀を持たない侍さ、君のことは金次郎から聞いてる、挨拶に行こうとは考えたが、何分、忙しくてね」
小針の声から苦笑いの表情を汲み取る。
「お通はここでなにをしているの?」
「話が長くなるけど…まぁ、君もお通が帰るまでは暇だろうから私も暇を持て余す限り、話そうか」
小針は火箸で炭を突いたのだろうか、炭が弾け、火花が舞う音が上がる。
「お通さんの家系は代々『何か』を作ることに関して天性の持ち主だったのですが、お通さんはその中で『刀』を作るという天性を持っていました、だがどこの火事場も女子の手で作る刀なんぞ鈍にもならないとお通が刀を作らせませんでした」
パチチと再び炭が弾け、火花が舞い上がる音がする。
「ですが、ある一人の若い侍がお通を惚れ込み、一振りの刀を作るように頼み込んだ、お通は喜んでそれを引き受け、一振りの刃を鍛えた、あまりにも美しく鍛え上げられたその刀を『幸賀』呼び若い侍に渡した、だが不可解なことに若い侍にその刀を抜くことはできなかった、お通さんは再び幸賀を手直したが結果は同じだった、それどころか若い侍どころか他の者でさえ抜くことが出来ない、そのため、お通さんは周りからひどく非難され、匿ったのが金次郎なのです」
小針がわざと明るく話しているのが口調から伺える。
「彼女は今、金次郎からの依頼である刀を打ち直しています…まぁ、積もる話はまだまだありますのでお茶と菓子でも用意いたしましょうかね」
小針が立ち上がり部屋を出て、しばらくするとカーンカーンと金属音が鳴り響き、戸をわずかに揺らす。
朝から歩き回ったせいか、急に眠気が差し、そのまま横になって眠った。
起きた時、自分の手足が動かないことに気付いた。
置かれている状況が理解できなかったが、それ以上に頭がぐるぐると回る感覚に不快感を覚える。
「柊さん!いるのでしょう!返事を!」
「だめだ!離れろ」
お通の声が聞こえる、ボーとする頭は情報の整理すらままならず、動けずにいた。
ただただ、お通の呼ぶ声の中、2人組みの小声で話す声が聞こえる。
「どうする、ここでやっちまうか?」
「そうだな、この辺なら野盗にでも襲われたとでも思うだろう」
その言葉に本能的に体が動いた、手足が縛られて、顔面をぶつけながらも声の聞こえる方へと這いずり、滑り落ちる。
全身に雪の冷たいという感覚、落ちた衝撃で手を縛っていた縄が緩み、雪を掴みながら声の聞こえたほうへ進む。
「おい、積み荷が落ちたぞ、拾え」
背後から近づく雪を踏む音なんか気にせず、手を伸ばした先にお通はいた。
まだ温かい体、流れる血が熱く感じる、だけど…
「お通?ねぇ」
体をゆすっても、声を掛けても、分かり切った事実を受け止めたくなくて、悪い夢なんだと思いたくて、呻くような声を上げる。
着物の襟を掴まれて、話されそうになった時、お通から何かを掴む、重く、鉄の棒のような物を掴んで、何かが弾け飛ぶ感覚を覚えた。
刀を抜いた、まるでそれは重たさを感じさせないような軌道を描き、掴んでいた手を切り裂き、足の縄を断ち切る。
「こいつ、刀を持っているぞ!」
「目の見えない上、女だ、囲んで捕まえろ」
暗闇の世界はなにも与えはしない、なら―
自分で光の世界を作ればいい。
敵の姿を呼吸の回数から創造、敵の位置を足音の数から割り出し、設置、地形を風の気流を読んで設定、羽の様に軽い刀を構える。
背後に2人、正面に一人、その少し下がったところにもう一人、合計で四人。
ほぼ同時に背後から二人分の雪を蹴る音がすると同時に地面に伏せ、刀を振るう、雪が舞い、新しい世界が自分の描いた通りなのかを確認する。
呻き声が2人分、正面にいた敵から刀を抜く音がする、静かに体制を立て直し、刀を下段に構え、じりじりと近づく敵に刃先を向ける。
「小娘が!」
お互いの振り場の距離に近づいた時、叫び声と一緒に飛び込まれる。
体を横に逸らし、真横に刀が落ちる音が過ぎると刀を横向きにし、刃先を胸に向ける、刃先に重みを感じ、横へと薙ぎ払う、刃先の重みが無くなった瞬間に切った敵の脇を通り、足首を切った2人の間で体をくねらせ、宙に舞い、地面に向かって弧を描くように倒れ込んだ2人の首を切り裂く、鮮血が噴き出すのが音で感じ、地面に脚が着地した瞬間、最後の一人に刃先を向け、突き刺す。
悲鳴が聞こえない、上手く喉を貫くことができたらしい、刀を抜いて血を払う、お通の元に向かい鞘を拾い収めた。
「ごめんね、お通、絶対にまた来るから、だからごめんね」
それだけ残して、荷馬車が向かっていた方向へとザクザクと雪を踏み締めながら進んだ。
「いやはや、素晴らしい剣術だね、本当に尊敬するよ、そう、思わないかい?吉備津家の猿よ」
「随分と楽しそうですね、悪趣味もいいところですよ、須久那小針殿」
「いやいや、人間というものは実に興味深い、光を失い、希望を失い、生まれたのが人切りの才能とはあっぱれというべきか、あわれと嘆くべきか、これも少なからず鬼の影響かな」
柊の人切りを見て小針はにやりと笑い、巻物を取り出す、巻物には解読することが困難な文字の絵が描かれており、小針が呪文を唱え始める。
「鬼よ、呼応せよ、目を開けよ、息をせよ、これを、嗅ぎ付け、見つけ出し、喰らい付け、鬼よ、我の命に飛びつけ!」
お通から血が溢れ出し、鋭利な槍となって小針に向かい放たれた。
血の槍が当たる寸前に巻物を取り出し、吸い込まれ、一瞬にして巻物の字になった。
「ほれ、欲しがってた『鬼の血』だ、持っていくといい」
そう言って、小針は傍にいた男に巻物を投げる。
「この巻物、呪文が途中までであったように思えたが?」
「ああ、そいつは呪文が特別ではない、巻物が特別なのだ、鬼の血を吸う紙なのだよ、お通は初めから鬼の血を捨てるつもりだったのだよ…さて」
小針が立ち上がり、纏わりついた雪を払った。
「どちらへ?」
「なぁに、惚れた女を埋めに行くのさ」




