存在意義
初めてお会いした時、その存在に目を奪われた。
虹色に輝く美しい御髪は流れるように滑らかで、六対の翼は雲よりも白く清らかだった。切れ長の瞳は慈愛に満ち溢れていて、艶やかな唇は優しく弧を描いている。清涼とした雰囲気に傅く私を、彼の方は威厳に充ち溢れた声で正した。
「間違えてはいけません。額ずくのは唯一方、我らが主へのみです」
彼の方の言葉に従いはしても、あの日から、私の主は彼の方にしか考えられなかった。
創造主を裏切ったというのならば、私はあの日から堕天していたのかもしれない。
彼の方は創造主より『アザゼル』という力ある名を賜った偉大なる天使の一人であり、私は名も力も無き天使の一人。それでも、グレゴリの一員になる事を許された私は、まだ産まれたばかりの人間たちを見張るため、地上に使わされる事となった。
「何故、高貴なる主の炎から生まれし我らが、土くれより生まれし人の子に従わなければならぬのか? 見極めねばなるまい」
アザゼル様の呟き声が聞こえ顔を向けた私に、彼の方は何でも無いと首を振る。私は、何か言わなければと口を開くが、吐く息は言葉にならず、ただ傍らにあるだけだった。
地上に降りたアザゼル様は、戯れに娘たちに化粧を施す。
美しくなる娘たちに、彼女たちを得ようと男たちは争いだす。意中の男に得られんがために、女たちはアザゼル様に智慧をねだり、アザゼル様は武具を授ける。授かった武具を男に送り、勝利した男の妻になる女たち。
時がたつと、次第に女たちは心変わりし、別の男に武具を授けた。
また、ある女は、グレゴリたちの持つ叡智に目を付け、色目を使いだす。
一人ひとりと女に惑わされたグレゴリたちは、やがて集団で天に背を向ける事を決意した。『堕天使』になることを選んだのだ。
アザゼル様の七色に光る虹色の御髪や純白の翼は漆黒に姿を変えた。清浄だった雰囲気は、妖艶なモノへと変化する。
「あなたは、女を選ばないの?」
艶やかな唇が私に尋ねた。
首を振る私に、クスクスと楽しげに笑うと、「天に従うの?」と更に尋ねる。
「私は、アザゼル様に従います」
無機質に私が答えると、彼の方は哄笑した。
「気に入ったわ。あなたに新しい名前をあげるわ」
アザゼル様は私の耳に唇を近付け「ガレーネ(凪)」と囁く。
「特別よ、と・く・べ・つ。変わりモノのアナタに、名前と役職をあげる。名前は『ガレーネ』。役職は……あたしの雑用係よ」
「仰せのままに、我が君」
淡々と述べる私の姿に、アザゼル様は驚いたように一瞬目を開いて、高笑いした。
「いいわ、気に入ったわよ。本当に……一生、飼ってあげる」
「光栄です」
額ずく私に、彼の方は楽しげに目を細める事はしても、あのときのように注意することはしなかった。
彼の方に属する事を許されたのだと、酷くホッとした事を覚えている。
その後、かつての同僚である天使たちが地上に使わされ、地上を水の中に沈めた。グレゴリたちも滅ぼされ、彼の方は頑丈な鎖で岩に縛り付けられた。
「人の子を敬うなんて馬鹿らしいわ……あの子たちは欲望に正直で、すぐに堕落してしまうの。神の教えより、欲に溺れる事を選ぶわ」
失笑するアザゼル様に対して、大天使ラファエルは「だから導くのです」と淡々と告げる。
「誤り易い人の子らを導くのが我らが使命。主の意に従うのが我らです」
「神をあがめるために、あたしは彼らを堕落へと誘うわ」
蠱惑気な笑みを乗せたアザゼル様は、ラファエルを挑発した。
「光が輝くほど、闇は濃くなるのよ」
ラファエルは天を仰いだ。
一筋の光が彼らを包む。
恍惚とした表情でラファエルが「御意に」と呟いた。
アザゼル様はサラサラと空に溶け、私は彼の方を抱きしめた。
次に私が目覚めたとき、目の前には幼子が不思議そうに私を見ていた。
「ふきゅぅ?」
幼子が首を傾げる。その青い瞳をジッと見つめてみれば、その瞳の中に真っ白な蛇が一匹映っていた。
幼子の纏うオーラは懐かしい彼の方の物で、私は「我が君」と呟く。
「ヘビが喋りやがったなのぉ☆」
キャラキャラと幼子が楽しそうに手を叩いて笑う。
「白い蛇っちゅーのも変なのに、喋りやがるのぉ!」
私は一礼すると、幼子に尋ねた。
「私は、ガレーネにございます。我が君、今生での我が君の名をお教えくださいませ」
「らっぴ。ラピス・ラズリなのぉ☆」
光が当たると紫に輝く黒い髪を持った幼子が、ニパッと笑って答えた。
☆ ☆ ☆
時は経ち―――アザゼル様は幾度も転生を繰り返し、そのたびに私は彼の方の傍に仕える。
ある時、道を急いでいると、向かいから高価なスーツに身を包んだ紳士が歩いてきた。
「おや、珍しい」
馬鹿にしたように片頬をあげ、男は告げる。
「ペット殿ではありませんか」
「サリエル……」
我が君にご執心のストーカー堕天使だと、私は蔑んだ眼差しを送った。
「私のところに来れば、どんな贅沢もさせてあげますのに……まったく、使えぬ部下ばかりで、フランがとても哀れですよ」
ワザとらしく告げられるが、逆にソレが哀れに見えてしまうのは、我が主の御心がハッキリとしているためか?
「我が主は、貴方のところに身を寄せる事を良しとしていません」
男は分かっていないなと首を振る。
「嫌も嫌も好きのうちという、心の機微を理解していませんね」
「嫌われていると自覚しているのならば、諦めればよろしいのでは?」
「好かれる可能性が十二分にあるのに、何故離れなければならないのです?」
「……」
本気で不可思議草に尋ねる男に、.ガレーネは話にならないと、存在自体を無視することにした。
無言で立ち去ろうとするガレーネに、サリエルは言う。
「小者風情が、私のアザゼルの一部に成り得たからと言って、思いあがらない事です。分を弁えなさい」
「私は、彼の方が快適に過ごせるよう、身を粉にして働くだけです」
すれ違いざま、ガレーネは答えた。
二人の間を真冬の冷たい風が通り過ぎていく。
一人の美しい堕天使を愛する二人は、今生も道を別つのだった。