第六話
カズマは強かった。ぼろ負けの惨敗だと言ってよかった。何よりもスーツの構造上、どうしても強化しきれない弱点であるはずの延髄部分に渾身の一撃を入れるのに成功して、なお攻撃が通じなかったことが俺の心をへし折った最大の原因だったのかもしれない。
「……でも、なんでだ。……あんなの、スーツが……。あったって……」
戦闘による興奮が治まってくると、今更ながらに色々な疑問が湧き出してきてしまう。何時もなら、戦いに負けた時には素直に自分の力不足だと納得出来るのに、今回に限っては何故か納得が出来なかったのだと思う。だが……。その原因なり理由になるとさっぱり分からない。何故、俺はカズマに負けたことを受け入れる事が出来ないのだろう……?
──情けない。教え子に負けたことが、そんなに悔しいのか?
そう思っていた俺に、カズマは嬉しそうに種明かしをしてくれていた。
「まあ、そうっすネ。あんな動き、普通なら出来ないッス。……普通なら、ネ?」
もっとも僕は普通じゃないからあんな事が出来たんですけどネ~。そう嬉しそうに口にするカズマのヘルメットのシールドがゆっくりと上がっていく。そこに表れたのは……。
「……え?」
それはカズマのようでカズマではなかった。そこには人の顔はなかったんだ。人に似た形をした、あからさまに人ならざる異形の顔。どこか爬虫類を思わせる明らかに人とは異なる形やレイアウトに変貌している顔があって。それは人ならざるモノの目であり、人のものではありえない形をした鼻であり、大きく耳の辺りまで裂けている口であり、その口のあちこちから飛び出している大きな牙が。乱ぐい歯が見えていて。そんな異形の姿は……。その顔は。
「ヒーロー……。カズマ。なんで、お前が。彼の顔を……」
その顔は、どこか憧れ続けてたヒーローに。彼に似ていると感じる代物だった。
「僕もあの人に似た生き物になったから。だから、顔がこうなっちゃったんだって思えば良いんじゃないっスかね~?」
まあ、この有様なんで、あんま人に見せたいとは思わない顔ですけどネ~? そう最後に付け加えながら、カズマの声を発する異形の顔はニタリと、どこか生理的嫌悪感を……。忌避感を強く感じさせられる笑みを浮かべて見せていた。あるいは爬虫類とか昆虫が笑ってみせたなら、こんな顔になるのかもしれない。それは、そんな笑みだった。
「種明かししちゃうとネ。まあ、こういう事っスョ。強化人間は人間よりはるかに強いんスけど、所詮は人間の強化版な訳でしてネ? 人のままでいようとしてる部分が邪魔して、性能面ではどーしても中途半端なモンで……。人造人間のはっちゃけた性能とか、ぶっ飛んだ能力とかには、どう足掻いても勝ち目がなかったりするんスよネ」
だからこそHEROSは、そんな足りない部分を補うための強化スーツを……。
「強化人間は、所詮は強化人間っすヨ。普通のヒトから見れば、俺達強化人間も、人造人間も大差ないんスけどネ。……どっちも人間を素手で引き裂けるような化けモンなんスョ? そんな化け物じみた力を持ってるくせに、いつまでも中途半端に人間のままで居ようとしてもネ? ……しょーもないっショ。そんな半端な真似しても。それに、そのままじゃ、どう頑張っても限界を超えることなんて出来ないんスから」
でも、と。カズマの面影をわずかに残す化け物が、中途半端に微笑みらしき笑みをニタリと浮かべてみせた。
「……でも、ショウさん達が作ったコイツは正直、凄いっスョ。インフとかヘキサを着れば、よわっちぃショウさん程度の強化人間でさえ、あの化け物じみた人造人間にどーにかこーにか勝てるようになるんスからネ。……デモネェ? だったら、普通にみんな一回くらいは考えるじゃないッスかね~? これを……。このスゲェ性能の強化スーツを、人造人間に着せたらどうなるのかな~って……」
それに俺達なら似てるようで違う疑問も抱くはずっスョ。……ただの人間でさえ強化人間に改造したら化け物になるし、人造人間になったら正真正銘の化け物になるんスよ? ……だったら、強化人間が人造人間になったら? 二重に改造をかけたら、どーなるのって……。しかも、そんな凄い化け物が最新型の強化スーツなんか着ちゃったら凄くない~ってネ?
「興味わきませんカ? 僕は、わいたっスョ~?」
それが、カズマの見つけ出した“答え”だった訳だ。
「……まさに、手を付けられない怪物の誕生だな……」
「正解っス。化学と科学の集大成。これこそがHEROSの目指した理想の姿。オクタを着て戦うヒーロに相応しい存在なんスョ。……まさに、人類の叡智の集大成っショ。最強にして無限。威を持って威を狩れるのは、同じ威を振るえる奴だけって事っス。毒を制するのは毒だけってネ。昔から、よく言うんでショ?」
俺は根本的な部分で勘違いをしていたらしい。俺はずっと自分と同じ強化人間と戦ってると思ってた。……でも、違ったんだ。そもそもスーツの差は、そこまで大きな訳じゃなかった。よくよく考えて見ればヘキサとオクタ、どう頑張っても技術レベルが似たり寄ったりな以上、そこまで大きな実力差なんて開くはずがなかったんだ。大きく違ったのは設計思想であり、内部的な機能に関する部分だったんだから……。
「ま、僕はヘキサ着ても強いっスけどネ?」
強化型の人造人間、その上スーツまで着てる反則的存在なんスから当たり前ですケド。そう何ら恥じる様子もなく言い放つカズマの事を『卑怯だ』などと言って責めるのは、おそらくは筋違いだったのだろう。カズマは最強のヒーローになるために……。化け物を狩る、最強の化け物になることを選んで……。人間を、自分の意思で、やめた。
「後悔、しなかったのか?」
「そんなのするくらいなら、最初から化け物になりたいなんて思わないことですネ」
覚悟が足りねぇんじゃないッスかね、そんな甘ちゃんワ。そう平然と口にするカズマがさらっと見せた覚悟の大きさに、俺はある意味圧倒されてたんだと思う。
「オクタにせよ、何にせよ、使えるモンは何でも使えば良いんスョ。アレを使っちゃ駄目だ、コレを使っちゃダメだって。真面目に殺し合いしてる様な馬鹿な連中が何言ってんだか……。自分で自分に足かせはめるのはアホのやることなんじゃないっスかネ~?」
その言葉に若干ではあったが思い当たる部分は確かにあった。ヘキサはある意味マニュアルモードの最高峰な性能を誇るスタンダードアロン型の完成形。単独で通信すら不可能な場所で使う分には最高の性能を発揮出来る、一個体で完結し、完成している存在だった。
オクタはその真反対なスーツで……。外部とのサポートを受けられるシーンでのみ最高性能を発揮できる。ある意味、一個体では完結していない本部のサポートとセットでようやく完成する存在だった。
……そう、ある意味で俺はオクタのことを自分に合わない、ポリシーにマッチしない、使いたくない、カッコ悪い装備だと考えていた気がする。だから、カズマがオクタを選んで、これが一番だって言うのに、やけに反発を感じていたような気がしたんだ。
「前にショウさん、僕に言いましたよネ。お前の、その考え方、カッコ悪いぜって……。あン時はガチの模擬戦でボロ負けした直後だったんデ、何も言い返せなかったスけどネ。……どんな手段を使っても良いから勝てば良いんだって言った僕に、それじゃ悪者と変わらんって、ショウさん、僕のこと怒ったじゃないっスか。……覚えてマス?」
ああ、覚えてる……。
「たしかに勝つために何でもやって良いってンなら、最後には必ずミサイルの打ち合い、爆弾のし掛け合いにしかならないぞって。そういう真っ当な意見には僕も一応は賛成なンすけどネ。でも、ネ? ……僕は、こうも思うんスよ。ホントにカッコ悪いのって、変な拘りもったせいで、勝つためには何でも利用するし、どんな方法でもやってみるのサって風に努力した奴に、こーして無様に負ける事なんじゃないっスかね~。……具体的には、こんな風に、さ?」
メリメリメリ。そんな音を立てて俺のぶっ壊れた胸部パーツが歪んでいた。心臓を直に押し潰されるような、その踏みつけは。折れたアバラ骨を容赦なく踏みにじり、心臓をグリグリと押しつぶしてくるかのような苦しみを伴っていた。
「どんな格好良い台詞吐いてみせたって、負けたら駄目っショ。負けたら、ナンも言い訳、出来ないっスョ。勝てば官軍負ければ賊軍、正義は勝利者によってのみ作られるってネ。……いやぁ、昔の人ってホンっと良い言葉を残してくれたっていうか、これって真理っスよネ~」
そんな言葉に、俺は踏まれたまま小さく震えていたんだと思う。
「ん~? 震えてるんスか? あ、もしかして泣いてたり~? そんなに僕なんかに負けたのが悔しかったっスか~?」
そのカズマの的はずれ過ぎる言葉に、俺は思わず叫んでしまっていた。
「ちがう! それは違う! 間違ってるぞ、カズマ!」
「あん?」
「俺たちの誇りは……。あの人が残したモノは、そんなモノじゃない!」
「なにいってんスか。アンタ」
「俺たちのヒーローは! 俺達の正義は! そんな醜い代物じゃない!」
体のダメージなんて知ったことか。アバラがどれだけ折れてようと関係ない。俺は思い切り体を横に回転させると、その勢いを使って一気に立ち上がっていた。……ひどい激痛だ。それに肺もダメージを受けているのか、口から溢れる血は留まる様子も見せない。だが、それでも。今、この瞬間に、俺は自分に倒れたままで居ることは許せなかった。
「これだからロートルは……。時代遅れなんスよ、そういう熱血は」
たとえ時代が変わっても、変わっちゃいけない物はあるんだ。俺たちのヒーローが。彼が目指してた世界は……。こんな化け物になることを選んで化け物を狩るのが当たり前なんて、そんな醜い未来なんかじゃなかった。彼が本当に目指したかったものは……。死ぬその瞬間まで願い続けていた物は。
──良いか。死ぬなよ、坊主。戦って、戦って、戦い抜け。……そして、いつか皆んなを助けることが出来る男になれ。その時にはお前こそが……。
「あの人がなりたかった『ヒーロー』は、そんな安っぽい代物なんかじゃなかった!」
便利だから? 強いから? 勝ちたいから? だから、人間をやめた? だから、自分から化け物になった? 使えるものは何でも使えばいいんだ? 勝てば良いんだ勝てば? ……勝ったほうが“正義”だと……? ふざけるな!
「そんな正義を、俺は認めない! そんなヒーローを、彼は認めない!」
何の誇りも、矜持もない。胸の奥に燃える情熱すらないような奴が正義を名乗るな!
「ふーん。ならどうするッスヵ?」
「否定してやる!」
「……誰が?」
「俺がだ!」
「どうやって……? つーか、そんなナリで何ができるヨ?」
……笑いたければ笑え。
嘲りたければ嘲っていろ。
俺が、貴様らに見せてやる。
俺たちの知ってるヒーローが。
たった一人で世界を敵に回してでも。
それでも間違えている事にNO!と全力で言い続けた男が、最後に何を成したのかを!
大真面目に、こんな腐った世界を救える英雄なんかになろうと努力した奴が。
そんな馬鹿なこと真面目にやってた奴が、最後の最後に何を残したのかを!
「見てるんだろ……。ミユキさん」
アンタが彼に……。親父のために考えてやったやり方だぜ?
「懐かしいモン、みせてやんよ!」
左手を腰に引き。右手を左上に振り上げて……。そのまま大きく回転させて。最後に左手を右上に突き上げる。
「変、身!」
体が、爆発したかと思った。一気に質量を増して膨れ上がる体。壊れて火花と煙を上げていた強化スーツを内側からふっ飛ばして表れたのは、きっと連中の想像をはるかに超えた怪物だったに違いない。あれよあれよという間にカズマの顔の位置が下がっていって、奴もこちらを見上げるようになっていた。それは大きさだけじゃなかった。横幅も倍以上の大きさに膨れ上がった肢体。頭部こそ大きくサイズが変わってはいないものの、全身を黒光りさせている異形の姿は、人造人間ですらありえないほどの変貌ぶりを見せつけていて。その額からは、威嚇するかのように二本の鋭い角のようなものが皮膚を突き破って生えてきて。そのままゆるやかなカーブを描いて後頭部方向へ向かって伸びていった。
「……悪魔……?」
全身を黒い色に包まれた姿は見る者には威圧感しか与えないだろう。明らかに人間とは違うフォルム。全体でみれば四肢は細めであったが、人間と比べると手も足も長すぎ、太すぎたんだと思う。そして顔の部分だけが白く、そこだけが人間の時の面影をとどめているのも異様に思ったのかもしれない。
「なんなんだ、アンタ……。なんなんスか、アンタ……。なんなんだよ! お前!」
思わず手が出てしまうということもあるんだろう。自分の理解出来ない物、理解できない現象、想像もしえない出来事。それこそ理不尽しか感じない存在。そんなものを前にしてしまったときには、とりあえず殴りかかることしか出来ないのかもしれない。だが、今の俺はすでにカズマの想像の範囲を超えた場所に立っていた。
ズン。
めり込んだ拳は優しく受け止められて。そして拳の下には黒光りする昆虫のものにも似た柔らかさとしなやかさ、硬さと復元力をそなえた装甲が生まれていた。
「最適化って知ってるか?」
彼は……。親父は、とある実験のために作られた特別な個体だった。その実験テーマは『進化』と『選択』。……不思議に思わなかったか? なぜ親父は人造人間を皆殺しにすることに、あんなに情熱を燃やしていたのか。何故、あんな意味のなさそうな事にずっと拘り続けていたのか……。その答えは、それが親父に埋め込まれていた“使命”だったからだ。
「進化のための情報収集と、収集結果からの選択が肝要なんだって。親父は最適化って言ってたよ」
親父は決して強い個体じゃなかったんだと思う。だが、親父には他の個体にはない特別な能力が与えられていた。それが他者から“形質”を……。能力を受け継ぐ事が出来る能力であり、それと同時により戦闘に適した形に自らの形質を、能力を変質させる能力だった。
そして、そんな親父の本能には、より強く、より逞しく、よりタフな存在になるための命令が……。なによりも最強の存在となり、そういった最強の個体であり続けるために戦い続ける命令が。……親父は自分でも気が付かない内に遺伝子の中に埋め込まれていた“使命”に従って行動していたんだと思う。
親父はあらゆる人造人間と戦った。戦って、戦って、戦って……。自らがもっとも戦闘に適した個体であることを証明し続けることを強いられていた。どこかの誰かじゃない。自分の中の埋め込まれた本能に、その命令が埋め込まれていたんだからな。そして、その体には……。戦った相手から自分にない形質を取り込んだり、体内で必要になる形質だけを取捨選択して発現させたり……。そういった己を最強の存在にするために必要になる機能が備わっていた。
「……敵と戦うことで永遠に成長と進化し続ける体……?」
いうなれば俺や親父は生きたインフィニティって訳だ。無限の可能性を内包し、あらゆる進化の可能性を取り込み、袋小路の壁すら突き破って前に進み続ける。そんな存在自体が理不尽で反則的な存在。自己進化と形質選択。能力の取捨選択すらも可能にした奇跡の個体……。それが俺達、この世界に生きる、たった一人のヒーローの正体だった。