ヤンキー中坊・ドラクロワ
広大なトレセンの中を歩きながら、また岳がぼそりと口を開いた。
「そう言えば、栗林さん。シビルウォーっていう馬……ドラクロワのお父さん。僕、初めて知りました」
誠は三人がゆっくり見学できるように歩調をゆるめながら返した。
「それもそうだなぁ、あの馬を知ってる人は競馬ファンでもそんなにいないかも。
逆にさ、君たちが知ってる競走馬ってどんなの?やっぱディープとかかな」
三人は口々に答えた。おおよそは誠の予想通りだった。ディープインパクトにキタサンブラック、オグリキャップにゴールドシップ……近年だと、白毛のアイドルことソダシに、世界最強馬のイクイノックス。どれも強さとスター性を備えた名馬ばかり。
「あ、あと……ハイセイコー!前に聞いたことあります」律が屈託のない笑顔で最後に付け足した。
これには誠も少し驚いた。昭和を代表する名馬だが、まさか令和の中学生が知っているとは。親世代から聞いたのだろうか。
「"予習"をしてきたのが良かったです」岳は表情を変えずに淡々と言った。
そして間髪を入れずに再び本題へ。
「シビルウォーっていう馬、調べてみたらG1を勝ってなかったんです。でも、種牡馬になれたんですね」
「お、そこまで調べてきたの?そう、確かにG1は勝ってないんだよ。強かったんだけど、同時期にもっと強い馬が沢山いたから。生まれた時代が悪かった、ってやつだね。だけど貴重な血統だったから種牡馬入りできたんだ」
「種牡馬としては……」
「まあ……地味だな。種付け料も高くないし、大きなレースを勝つ馬が出てない」
岳はそれを聞いて一瞬目をつぶると、今度はドラクロワの母親について聞いた。
「ドラクロワのお母さんは……クロノマキアートでしたね」
「ああ。うちの厩舎にいたんだけど、デビュー前に怪我をしちゃってね。治るまで待ってたら、3歳の夏頃までかかるって言われて。それでデビューは断念して、そのまま繁殖牝馬。お母さんの仲間入りだよ」
「…………」
岳は再び静かになった。眉間にシワを寄せ、これまでに得た情報を重ね合わせているようだ。
そしてその結果は、恐らくある答えにたどり着いてしまうだろう。
「栗林さん、ごめんなさい。岳、考えるのが大好きで。少々お待ちください」
穣がそっとフォローした。
誠は軽くうなずき、じっくりと岳が口を開くのを待っていた。きっと彼の頭の中は"ロード中……"となっているに違いない。
ようやく岳は、口からぽつぽつと言葉を出力した。
「何か……ドラクロワって……もしかして……
結構、シブい……血統がアレな馬ですか?」
(あ、やっぱり気づかれた)
誠は内心そう思った。
実際、馬体は悪くない。気性もレース向きだ。素質だけ見れば走る可能性は十分にある。
ただ……血統が渋い。渋すぎる。
父は現役時代に51戦を走り抜いたタフさを持つも、生まれた時代が悪くG1未勝利。
母にいたってはレースに出たことすら無い。
唯一評価できる点は、リーディングサイアーにも輝き、幅広い適正の産駒を出してきた母の父・マンハッタンカフェくらいか。
そりゃ、良血馬が必ず強いとは限らない。地味な血統の馬が弱いとは断言できない。それでも、期待値はやっぱり前者の方に軍配が上がる。
(いやー、思った以上に理屈で問い詰めてくる感じか……最近の子ってこんななのか?)
軽く頭を抱えながらも、ここまで馬にのめりこんだ質問をしてくれる岳の存在が、誠には嬉しくもあった。
トレセンの見学を終え、いよいよトレーニングを終えたクロノドラクロワと三つ子が対面する時が来た。
栗林厩舎の片隅にある馬房。汗をかいた体を洗ってもらい、まだ水滴が滴るドラクロワの体は、まるでカラスの濡れ羽色のように美しい黒光りを放っていた。無駄な肉に替わって筋肉が徐々に付き、デビューの日が少しずつ近づいていることを感じさせる。
半兄クロノアトリエ譲りの、500キロを超える雄大な体躯。絞れてきたとはいえ、その堂々たる馬格は圧巻で、大きいだけに仕上がりには時間がかかるだろう。
誠は改めて注意を促した。
「アトリエと一緒に暮らしてる君たちだから、ある程度は馬の扱いをわかってると思うけど、念のため確認させてくれ。大きな声は出さないこと。急に目の前に手を出したりしない。危険を感じたらすぐに離れること。大丈夫だろ?」
三つ子は無言でそろって「OK」のサインを示した。
すると、厩務員が冗談めかしながらも忠告した。
「あ、とにかくナメられないように堂々としててください。ドラクロワ、すぐケンカ売るんで。ヤンキーの中坊みたいな馬ですから、ほんと」
その一言に、誠は思わず吹き出した。
だが、三つ子は揃って顔を見合わせる。
「……ヤンキー?」
「中坊?」
意味を測りかねている表情だ。いや、そもそもこの子たちはこんな下品なワードとは無縁なのでは……
「おいおい、言いすぎだろ。会う前に怖がらせちゃダメだって」
誠が苦笑混じりにたしなめると、厩務員は肩をすくめた。
「別に間違っちゃいないでしょ。だって、ここに来た初日から先輩馬にケンカ売ってましたし」
三つ子の視線が、一斉に誠へ向く。
「しかも、その後の調教で一緒に走ったら。あれだけ強がってたのに、先輩馬に大きく離されて――」
そこで厩務員は少し声を落とし、身振り手振りを交えて続けた。顔をへにゃっと歪め、猫背でとぼとぼ歩いてみせる。
「"わからせられました……"って顔で、ヘナヘナになって引き上げてきたじゃないですか」
そのあまりにも青く人間くさいエピソードに、三人が「ふふっ」と声を漏らした。
誠も思い出したように頷いた。
「……あったな。あの時は本当に、わかりやすかった。典型的な若駒だよ、ありゃ」
「でも次の週には、ちゃんと食らいついてましたよ。めちゃくちゃ悔しそうに。
ああいう馬、嫌いじゃないです。大した根性ですよ」
厩務員はそう言うと、ちらりとドラクロワのいる馬房の方を見た。
「じゃ、行きますか。ヤンキー中学生の部屋」




