デカい!!!
2025年、7月初頭。
その日の厩舎は、朝の作業を終えた静けさに包まれていた。
馬房の隅で水桶の音が響く中、トレーニングセンターを訪れた渉はふと空を見上げてから、ぽつりと口を開いた。
「そうだ。康成さん、今度——トレセンにあの子達を招いてみないか」
栗林康成は、調教ノートに目を落としたまま返す。
「三つ子の坊っちゃんたちを?」
「ああ。北海道じゃなくて美浦……茨城なら、日帰りでも来やすいだろうしさ。
生産者はうち、馬主はクロノレーシングって形だけど……実際、本当の馬主はあの『もう一つの黒木家』だからな」
渉は、厩舎の外に広がるトレーニングコースを眺めながら言葉を続けた。
「名付け親なんだし、どうせなら実際にドラクロワに会ってもらいたいよ。あいつがどんな顔をして、どんな目をしてるか。……見せてやりたいんだ」
康成が一拍置いて、にやりと口元をゆるめる。
「ほう、牧場長……粋なこと言うじゃねぇか」
その言葉に、渉も少しだけ頬をゆるめてうなずいた。
夏の風が馬房の戸を揺らし、隅っこの馬房でクロノドラクロワが鼻を鳴らす音がした。
半月後、7月中旬。
クロノドラクロワが調教メニューを順調にこなしているという報告を受け、名付け親たち——夏休みに入った黒木家の三つ子が、美浦トレーニングセンターを訪れた。
「いよいよだな、アトリエの弟に会えるのか。……わくわくするな!」
真っ先に声を上げたのは長男の穣。目を輝かせながら、トレセンの門をくぐる。
「アトリエは柔らかい雰囲気だったけど……弟はどんなだろう。俺らも性格は違うし、姿は似てても中身は違うのかな」
冷静な口ぶりで言うのは岳だが、その足取りはどこか浮ついている。
「早く会いたいなぁ……真っ黒焦げのマロンちゃんに」
律が無邪気に笑いながら言うと、即座に穣がツッコんだ。
「いや、それはボツになっただろ。焼き栗は」
三人の足取りは軽い。しかし前方から馬が来れば、脇にそれて道を譲る。ここでは馬優先だ。
日本には東西で2つのトレセン——トレーニングセンターがあり、関東・茨城の美浦トレセンと関西・滋賀の栗東トレセンに分かれる。また、騎手も美浦と栗東のいずれかに所属する。
ここ、茨城県・美浦村には100あまりの厩舎が立ち並び、約2300頭の競走馬たちが日々トレーニングに励んでいる。道路に出ると「馬横断注意」の標識が目に飛び込んでくる、馬の村だ。
そして——
厩舎のスタッフたちが迎えに出てきたそのとき。
彼らの動きがピタリと止まり、次の瞬間、揃って同じ言葉を漏らした。
「「「「……デッッッカ……」」」」
13歳の中学生三人が来ると聞いていたはずなのだが——
目の前に現れた三つ子は、いずれも馬と目線が合いそうなほどの長身。
しかもその体格に似合わず細身で、声変わりもまだ完全には終わっていないらしく、妙にあどけない声が響く。
「で、でも……あれが、13歳……?」
スタッフのひとりが戸惑いながら呟くと、隣の厩務員がぽそっと言った。
「人間の——ガチの意味の“サラブレッド”って、いるんだな……」
黒木牧場長から話は聞いていた。東京の大邸宅から来た三つ子で、ドラクロワの名付け親。アトリエのことで深く関わりがあるらしい。
だが、ここまでのインパクトを放つとは、誰一人想像していなかった。
カオスな三人組の登場に、美浦の朝は、しばし静まり返った。
黒木渉は、その瞬間、ようやく腑に落ちた。
以前、SNSで見かけた“あの写真”。クロノアトリエが失踪後、東京の一般家庭で暮らす姿がネットに投稿され、競馬ファンの間でもちょっとした話題になった。
元競走馬、今や地域のアイドル。高円寺で悠々と暮らすその鹿毛の馬の写真だ。
大邸宅の中庭らしき場所で、微笑む家族と並んで写るアトリエ。現役時代と変わらず穏やかに首を振り、家族の一員として馴染んでいるその姿は印象的だった。
だが、ひとつだけ奇妙なことがあった。
あのアトリエが、写真の中で、なぜかいつもより小さく見えたのだ。
体重は520キロあまりで、サラブレッドとしても立派な大型馬。人間と並んでいれば、どんなアングルでも圧倒的な存在感があるはずなのに——あの写真だけは、妙に縮んで見えた。
ずっと気になっていたその違和感が、今ようやく解けた。
(……そうか。あの家族が、デカかったんだ)
美浦の厩舎に並び立つ、三人の少年たち。まだ13歳だというのに、馬と目線が合いそうなほどの長身に、均整の取れた体格。その姿が、あの家族写真の記憶とぴたりと重なる。
アトリエが小さく見えたわけではない。彼の“新しい家族”が、あまりにもスケールの大きな人間たちだったのだ。
「……そりゃ、逃げたくもなるかもな」渉は小さく笑った。
半分は冗談。けれど、アトリエがあの家で暮らすことを選んだ理由が、少しだけわかった気がした。
栗林誠は、事態を飲み込めずぽかんとしていた。
自分は183センチ。調教スタンドに並ぶ人間の中でも、ほぼ間違いなく一番背が高い。
父・康成とは違い、体格に恵まれすぎたせいで騎手の夢は諦め、調教師を志した。
そんな自分が——人を見上げる日が来るなんて。しかも三人同時に、だ。
馬のように細い肢体、だが肩や背中にはすでに芯のある筋が通っている。
そして何より、同じ顔が三つ、等間隔で並ぶ光景。全員185センチ近くはあるだろう。
しかもまだ13歳——絶賛成長期のおぼっちゃまトリオ。
こいつら……どこまで育つ気だ。馬か?これがホントの“サラブレッド”かよ……
「……はぁ……」
思わず、長いため息が漏れた。
今思えば、すべてが伏線だったのだ。
アトリエの失踪後、SNSでバズっていたあの写真。寺町の大邸宅、石畳の道をパドックのように誇らしげに歩くアトリエの姿。
その傍らに寄り添っていた「家族」と名乗る人々が、どうにも“でかい”気がしていた。
520キロのアトリエが、いつもより小さく見えるという奇妙な構図。
あれは、アトリエが小さくなったのではない。この三人が……規格外だったのだ。
誠は一歩下がって、ふと空を仰ぐように三人を見上げる。
「東京で放牧三昧だの、馬は軽車両扱いだの……なんなんだよ……」
ぼそりと呟いて、額を軽く押さえた。
常識という名のゲートは、今この瞬間、音を立てて開かれた気がした。




