右回りに挑戦せよ
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2025年12月13日(土)。
阪神競馬場第9レース・エリカ賞(2歳1勝クラス/芝右回り2000m・外)。
クロノドラクロワの3戦目は、初の右回りコースになった。初戦で新潟競馬場、2戦目で東京競馬場と左回りを走ってきたドラクロワだが、ここで右回りを選んだのには陣営の意図がある。
◆◆◆
2週間前——11月28日(金)。茨城県・美浦トレーニングセンター。
「右回りに慣れさせよう」
そう言ったのは、栗林厩舎のボス・栗林康成だった。
「あいつがサウスポー(左回りが得意な馬のこと)なのはわかるが、いつまでも左ばっかり走るわけにはいかねぇだろ」
競馬場のコースには"左回り"と"右回り"がある。簡単に言うと左は反時計回りに走り、右はその逆で時計回りに走る。そして人間に利き手があるように、馬にも左回りが得意な馬と右回りが得意な馬がいる。
問題は、日本の中央競馬(JRA)において、左回りより右回りのコースが多いことだ。左回りが新潟・東京・中京の3つなのに対し、右回りは札幌・函館・福島・中山・京都・阪神・小倉と7つもある。すなわち、右回りが苦手な馬はそれだけでレースの選択肢が狭まってしまうのだ。
「2歳のうちは、まずレースを覚えなきゃならん。得意なコースを走って自信をつけるのも大事だが、弱点はきっちり把握して克服させる必要がある」
そう言うと康成は、タブレットで動画のフォルダを開く。パッと動き出したのは、騎手・柚木慎平を背に、トレセンのCコースを駆歩で走る若駒——クロノドラクロワ。前走・百日草特別で8着に敗れるも、その後僚馬のスーパースナップがG1で大激走したのを機に、再び闘志を燃やしていた。
「まあ、親父の言う通りだよ。右回りを克服するには、この走り方をどうにかしなきゃ」
横から息子の誠が覗き込む。
彼が言う"走り方"というのは、ドラクロワの脚の出し方だった。
人間が走るとき、右足から走り出す派と左足から走り出す派がいるが、馬でも同じように左右の踏み出しがわかれる。
但し馬の場合は、ずっと同じ脚を先に出して走ると片脚のみに負担がかかってしまう。そこで多くの競走馬は、レースの途中で踏み出す脚を入れ替えてバランス良く走るよう調教されている。これを"手前を替える"という。
ところがドラクロワは、レース中ずっと同じ脚を先に出して走る癖があった。そのため他の馬より疲労が溜まりやすいという問題を抱えていたのだ。
さらにドラクロワの走り方は左回りに特化しているため、反対方向の右回りを走ると遠心力が逆にはたらく。するとコーナーを曲がるときに外に膨れて、大きなロスが生まれてしまう。
「昨日、Cコース(芝)を右回りで走らせたらさ。どうなったと思う?もう、ひどいぜ。コーナーで全然曲がれなくて、ドリフトしてんのかってくらい外に膨れた。慎平がいくら教えても、ずっとドリフト」
「僕も見てました。ドラクロワは、すぐパッとできないタイプなんですよね。何というか……不器用で。頭ではわかってても、なかなか体が動かない」
息子と厩務員の桃田の会話に、康成は軽くため息をついた。
ここ数週間、縦列調教の成果で折り合いが付くようになったとはいえ、どうやらドラクロワにはまだまだ課題が山積みのようだ。
父シビルウォーもデビューは3歳6月と遅かったし、何ならオープン戦を勝ったのは5歳になってからだった。となると息子のドラクロワも、完成には時間を要するだろう。
「……調教とレースじゃ、全然違うからな。調教で改善できねぇってんなら、前みたいにレースで負けるなりして、失敗から学んでもらうしかないだろ。長い目で見ていこう」
康成の言葉に、誠をはじめ陣営は皆うなずいた。
未勝利の馬ならこんな悠長なことは言っていられないが、幸いなことにドラクロワは勝ち上がっている。ならば、じっくり丁寧に育てていくのが今後のためだろう。
こうしてドラクロワは、エリカ賞に出走することが決まった。
◆◆◆
1週間前——12月5日(金)。北海道日高・浦河町、黒木牧場。
「エリカ賞に出すのか。わかった」
牧場の事務室で、2代目牧場長・黒木渉が誠と電話で話していた。
「どうだい?マコ。ドラクロワの調子は」
《んー、ぼちぼちっすね。素質はあるけど、まだまだ走りは粗削りで。成長ゆっくりさん、って感じ》
「まあ、父馬が晩成型だからな。でもその分、きっと息の長い馬になるぞ。大器晩成だよ」
《いや、そう言っていただけると有難いですよ》
「あ。そういや、もう片方はどうした。スターフィーユ。来週の阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)に出るんだろう?今年の期待馬だ。生産者兼馬主に、定期報告くらいしてくれよ」
《ええ?親父がしてるはずでしょ》
「康成さんの見解だけじゃ不十分だ。お前だって調教師なんだから意見を言え」
《はー……》
《……正直、現時点での素質はそこまで高くないと思います。でも、めちゃくちゃ要領が良くて器用なんすよ。右回りも左回りもこなせるし、慎平が鞭入れればすぐ反応するんです。平均ちょい上の能力を技術でカバーしてる感じですね》
スターフィーユは、クロノドラクロワより1ヶ月早い7月の新馬戦でデビューした。そこを2着で終えた後、すぐに未勝利戦を勝ち上がり、9月には札幌2歳ステークスで牡馬相手に3着と健闘。続く10月のアルテミスステークス(G3)でも2着に入り、2歳馬とは思えないレースの上手さと安定した成績から牧場でも期待の声が上がっていた。
そしてその期待は——鞍上の男にもかかっていた。
複勝率50%、掲示板率は驚異の80%。抜群の位置取りセンスと安定感を誇りながら、未だにG1に手が届いていない銀メダル男・柚木慎平。あと一歩足りない馬を技術でサポートして勝たせる彼のスタイルは、器用さが武器のスターフィーユと見事に合っていた。
「もしかしたら、今年ついに柚木がG1を取るかもしれないな」
渉の声は、つい興奮で上ずった。
「うちの馬に沢山乗ってもらってるし、ぜひとも初G1は黒木牧場の馬——スターフィーユと取ってほしい」
《そうっすねー。慎平ももう19年目ですし。俺があいつを競馬の世界に引き込んだのも、"こいつは絶対G1取る"って思ったからですもん。そろそろ取ってくんなきゃ困りますよ》
誠は冗談交じりに返すが、内心では若干焦っていた。
通算1000勝以上している騎手で、G1を勝っていないのは柚木慎平ただ1人——その不名誉な記録が彼のプライドを傷つけているのは、親友として嫌というほど理解している。
通算1317勝、重賞71勝。G1未勝利なのが不思議なくらいの成績なのに、なぜ未だに頂点に手が届かないのか。それについて、誠は薄々感じているものがあった。
(あいつの存在自体が"善戦マン"なんだよな……)
柚木が騎乗依頼をもらう馬は、多くの場合個人馬主や中堅のクラブ法人といった、あと一歩足りない"2番手"の馬が多い。そういった馬を技術でカバーして勝たせるのが、柚木慎平の十八番だった。
一方で有力牧場や大きなクラブ法人のエリート馬は、大事なところできっちり勝てるトップジョッキーたちに回ってしまう。強い馬と強い騎手で組まれてはさすがの柚木でも分が悪く、またしても2着——というのが、万年銀メダル男の理由だった。
《まあ、てなわけでドラクロワはエリカ賞、フィーユは阪神JFに出ますから。来週末は阪神でお願いします》
そう言って誠は、電話を切った。
スターフィーユ(Star Fille)
2023年生 牝2 芦毛
父:ディープブリランテ
母:クロノシネマ
母父:ノールブラック
生産牧場:黒木牧場(浦河町)
馬主:クロノレーシング
勝負服:黒、白二本輪、白袖灰一本輪
戦績:4戦1勝(1-2-1-0)




