恐怖の噛みつき馬
翌週—11月2週。
「よし!!終わり。お前、大分汗をかかなくなったな。我慢できてるぞ、やればできるじゃねぇか」
康成が、クロノドラクロワの首をぽんとたたく。
『…………』
ここ1週間、ドラクロワは死んだ目で縦列調教をこなしていた。
(尻)
(尻・尻・尻)
(無)
目の前には常にムキムキの尻。後ろには噛みつき馬。
その恐怖に耐え続けた結果――先週は体が拒否していたのに、今週はもう勝手に体が動いていた。
「そうだ」
康成が満足そうに言う。
「反射で体が動くようになれば、レースでも自然に動く。練習でできねぇことは、レースでもできないからな」
そしてニヤリと笑った。
「そろそろ順番を変えてやってもいいぞ。ちゃんとスピードについていけてるし、尻を噛まれる心配はなくなってきたろ」
(助かった)
(もう噛みつき馬の前はいやだ)
(ストレスで尻がハゲる)
ドラクロワは小さく鼻を鳴らした。
厩舎へ戻ると、壁には歴代の重賞馬たちのミニゼッケンがずらりと並んでいた。
先代のボス・栗林徳太郎から数えて50年。時を超えて、この厩舎を支えてきた名馬たちの証が飾られている。短距離王国の名に恥じず、スプリント・マイルを中心にカラフルな勲章が壁を彩っていた。
その中に――さっきまでドラクロワの後ろで目を血走らせていた、噛みつき馬の名前もあった。
第69回 G2・京王杯スプリングカップ(2024)
優勝 スーパースナップ号(牡4)
(あの狂犬……)
(重賞馬だったのかよ)
そのとき。
遠くの馬房から――
カチカチ
歯を鳴らす音が厩舎に響く。
ドラクロワがそっと廊下へ首を出すと——暗い馬房の奥で、キラリと白い前歯が光っていた。
スーパースナップだった。血走った目で、こちらをじっと見ている。
『ひぃぃぃぃぃ』
ドラクロワは思わず首を引っ込め、後ずさった。
奥の馬房からは、
カチカチカチ
歯を鳴らす音が、楽しそうに響いていた。
(キチガイだ)
(関わりたくねぇ)




