課題がてんこ盛り
大欅の向こう側を駆け抜け、先頭のタグタグウマッコが4コーナー直前に姿を現した次の瞬間。
後方に控えていた馬が数頭、するすると上がり始めた。
「な。見てみろ」康成は顎で示す。
5番のマイティタックル——鞍上は若手トップの小森賢雄。その横、2番はパイクドール——背には21年目のベテラン、大山俊典。
さらにその外。1番人気、紅一点のドンナモンジャイと小森優一。
数秒後に各馬も動き始めたが、康成と誠の目には明らかに3人の仕掛けが早かったことがわかった。
「あいつらは自分の体内時計を信じていたんだな。現に視覚に頼っていた連中は、ペースを読み違えて遅れを取っている」
4コーナーから直線に入り、各馬が一気に先頭のタグタグウマッコとの差を詰めてくる。
しかしウマッコは潰れること無く、しぶとく伸びた。スローペースゆえに、逃げ馬にも最後の力が残っていたのだ。
これこそが彼の狙いだった。大柄なクロノドラクロワにわざと喧嘩を売り、前で競り合わせる。その巨体を盾にすることで自分を遠くにいるように見せ、後続の騎手たちを見事に欺いてみせた。
柚木慎平は、ドラクロワに鞭を入れる。
「ドラクロワ。頑張れ!!とにかく首と脚を伸ばすんだ。ここまできたら、少しでも歩幅を稼ぐぞ」
その時、ようやくドラクロワは我に返った。
と同時に、視界に入ったのは——
ウマッコの小さくしまったお尻と、きゅっとすぼんだお尻の穴。
(わかったら、レース中は俺のケツでも見てろ)
ウマッコの煽り文句が蘇る。
ドラクロワの視界いっぱいに、小さな尻が揺れていた。
『このプリケツがぁぁぁぁぁ!!!!』
再び怒り心頭に達したドラクロワは、ひたすら狂ったように首と脚を伸ばした。
が——
その横を、あっと言う間に後続馬が追い抜いていく。
「あああああ……!!!」
誠の情けない声と同時に、レースは終わった。
勝ったのは驚異の末脚で駆け抜けたドンナモンジャイ、そして2着にマイティタックル。タグタグウマッコはパイクドールの猛追から逃げ切り、何と3着に残ってみせた。
終わってみればどうだ。クロノドラクロワの結果は——8着。
今日のスローペースを考えると、作戦通り後方で脚を溜めて追い込みにしていれば掲示板も狙えたはずだ。にもかかわらず、売られた喧嘩を買って特大の出遅れ。おまけに先行して競りかけたせいで、本来の目的だった"馬群に揉まれる経験"もほとんどできずに終わった。
「いやぁ……」
康成はストップウォッチを止め、頭をかく。
「こいつはどっちゃり宿題をもらっちまった感じだな。課題がてんこ盛りだよ——年内にもう1勝できるかもわかんねぇぞ」
しかし康成は、完全に悲観したわけではなかった。
最後の直線でドラクロワは、わずかながらも怒りにまかせて最後っ屁のような伸びを見せた。普通の馬なら心とスタミナが折れてずるずる後退するところを、多少なりとも踏ん張ってみせたのだ。
「根性だけは人一倍ある。あとは、あのクソみてーに粗削りな走りをどう料理するか……」
康成はぶつぶつ言いながら、検量室に向かう。そこにはちょうど、馬たちが着順どおりの場所に入るところだった。
3着に入ったタグタグウマッコは、悔しそうに蹄で地面を引っ掻いている。それを見て、康成は言葉を吐き出した。
「あの逃げ馬は、強いぞ。若駒のくせに策士だ——レースこそ負けたが、いずれ必ず大舞台に出て来る。要注意だな」
誠は父ほど冷静になれなかった。今のドラクロワの立ち位置を、嫌というほど見せつけられたからだ。
上位人気との圧倒的な力と精神面の差。もちろん同じ1勝馬でも力に差があることは、ホースマンとして十分理解している。
だが、ウマッコといい、ドンナモンジャイといい……2歳の段階でこれだけ完成度の高い馬はそういない。
しかも彼らは"1勝クラス"だ。つまりその上には、先日2歳レコードを叩き出したニルヴァーナをはじめとするオープンクラスの怪物たちがひしめいている。
「ドラクロワ……とんでもねー世代に生まれちまったのかも」
誠はぽつりと呟いた。
「おい!!誠」
「何だよ」
「厩舎のボスからの命令だ。明日までにあのチビ馬のデータを調べておけ」
康成は振り向きもせず言う。
「俺!?」
驚いた様子の息子に、父は背中から有無をいわせぬオーラを発して黙らせた。
「何だ。確かにお前は俺と同じ調教師免許を持ってるが——まだ"技術"調教師だ。自分の厩舎を持ってねぇんだから雑用でもしろ」
マイティタックル(Mighty Tackle)
2023年生 牡2 栗毛
父:ライジングマイティ
母:デコピンパンチ
母父:Arcle
生産牧場:下坂部牧場(新ひだか町)
馬主:小田切雄三
勝負服:緑、赤菱山形、黒袖
戦績:3戦1勝(1-1-0-1)




