工房と画家
さて。この弟、クロノドラクロワ。
果たして「走る」——結果を出せるのか。
渉の見立てでは、「リステッド……うまくいけばG3くらいまでは」と見ていた。
根拠は、ちゃんとある。
彼の半兄であるクロノアトリエ。
現在は東京・高円寺で“放牧中”という、やや特殊な立場にある元競走馬だ。
——確かに、アトリエは一度も勝てなかった。
だが、戦績をよく見てほしい。全8戦、2着が4回、3着が2回、残る2戦も4着と5着。
一度たりとも掲示板を外していないのだ。
“勝ちきれなさ”が目立つが、一度も崩れていない。
鞍上を務めていたのは、寡黙な職人型ジョッキー、柚木慎平。
37歳、19年目。通算1300勝を超え、重賞勝利は70あまり。派手さはないが、常にリーディング上位をキープし、実直に結果を積み重ねる男だ。G1はいまだ勝てていないが、その巧みな位置取りと安定感は、他の騎手の追随を許さない。
複勝率50%、掲示板率は驚異の80%超え。2桁着順は——めったにやらない。
その堅実さから「複勝・ワイドの守護神」と呼ばれ、競馬ファンの財布を守る存在として信頼を集めている。「柚木は買っとけ。——複勝かワイドな」は、最早合言葉だ。
G1未勝利とはいえ、2着の惜敗が30回以上。最早ネタにされている。
穴馬でも何でも、ほぼ確実に「手土産」——賞金はむしり取らせる、そんな騎手だ。実際、新馬戦から柚木が乗っていたが、アトリエは一度もタダ走りはしなかった。
しかし。
さすがの彼でも——馬の“心の在り様”までは変えられなかった。
アトリエは、10年ほど前に柚木が失った未勝利の牝馬、ウイングノア号とよく似ていた。
脚質、性格、目つき、そして、どうしようもなく人懐っこいところまで。
重ねて見えてしまったのだろう。本気で“勝たせる”ことに、最後までこだわれなかった。
それでもアトリエは、地力だけで成績を残していた。
特に注目すべきは、2着に敗れた相手の一頭が、後にG3を勝っているという点だ。
——つまり、アトリエは未勝利馬の中でも“勝てるはずの馬”だった。
だからこそ、弟・クロノドラクロワへの期待も高まる。
あの闘争心ゼロの兄でさえ、それだけやれたのだ。
ならば、兄よりも負けず嫌いで、気性にも“火”が宿っている弟なら——
「狙えるんじゃないか。いや、狙わせてやりたい」
渉はそう思っている。
クロノドラクロワ——この馬には、兄が見せられなかった景色の、その先を見せる資格がある。
かくして、2025年7月。
クロノドラクロワは、黒木牧場と長年の縁がある栗林厩舎へと入厩した。
「……あの、牧場長。アトリエ、元気なんすか?」
そう口を開いたのは、調教師の栗林誠、36歳。今の厩舎長であり、元騎手でもある栗林康成の一人息子だ。
栗林康成は今から約40年前、まだ若手騎手だった頃にG3・新潟大賞典を制し、黒木牧場に初の重賞タイトルをもたらしてくれた名手。20年ほど前に騎手を引退し、調教師に転身した。
いずれ数年もしないうちに、その父から誠が厩舎を継ぎ、栗林厩舎の三代目となる予定だ。
さらに誠は、柚木慎平とは中学からの親友。
育てる者と、騎乗する者——二人三脚で20年近くタッグを組んできた仲でもある。
しかし、その明るく前向きな誠が、この半年ほど明らかに覇気を失っていた。
無理もない。アトリエが姿を消したのは、この厩舎の隅の馬房からだった。
今でもそこはぽっかり空いたままになっている。馬房に空きができたことで他の厩舎からの転厩依頼もいくつか来ていたが、すべて断っていた。
「ああ、元気にしてるよ」渉は穏やかに言った。
「東京で放牧三昧。毎日ご近所を散歩してるらしい。道路交通法によると——馬は軽車両扱いなんだってよ」
随分とお気楽な返事に、誠は拍子抜けしたように乾いた笑いを浮かべた。
「……はは、マジっすか。それなら……いいですかね。幸せなら」
「で、この弟さ、“東京の黒木さんたち”が名前を考えてくれたんだ。クロノドラクロワ。意味は自由と芸術、だったかな。画家の名前だよ」
「へえ……兄貴のアトリエから、弟は画家か。なかなか上手いじゃないですか」
「まあ、こっちは兄貴よりもだいぶ“競走馬らしい”からさ。とりあえず、まずは一勝。確実に取りに行こう」
「お、そいつぁいいこと聞いた……よーし、任せてくださいよ、俺ら親子に!」
「頼むよ。馬房は……兄貴の、使うか?多分、逃げたりしないだろ」
「やめてくださいよ、ちょいちょい……!」
互いに冗談を交えながらも、表情には確かに決意が浮かんでいた。
かつて自由を愛しすぎた兄の、空っぽの「アトリエ」。
今度はそこから、弟の——新たな「画家」の物語が始まろうとしていた。




