どんなもんじゃい!
岳は気持ちを落ち着けるように、ウェットティッシュで口元を拭う。そして、静かにたけしに問いかけた。
「……1番人気は?」
「これだな。ドンナモンジャイ。牝馬――つまりメス馬だよ」
「え。何ですか、この名前……?」博は思わず口にした。
そりゃそうだ。競走馬といえば、トウカイテイオー、ディープインパクト、キタサンブラック。
どれもいかにも強そうな名前ばかりだ。こんなドヤ顔しそうな名前なんて、聞いたことがない。
「まあ、名前はちょっとイロモノっぽいけどね。でも良い馬だと思うよ」
「どうしてそれがわかるんですか?この馬だって新馬戦を勝っただけです。ドラクロワと何も変わらないじゃないですか」
岳の声に熱がこもる。
こうなると、息子は少し面倒くさい。まるで知りたがりの幼児がそのまま成長したような、探究心の塊なのだ。
「そうだな、えーっと……」
たけしはポケットから、画面がひび割れたスマホを取り出した。競馬サイトを開いて、とあるレース結果のページを見せる。
「これ、昨日の2歳未勝利戦。勝ったのは――ドンナモンジャイに新馬戦で負けた馬なんだ」
岳は食い入るように画面をのぞき込んだ。
1 マジックキングダム 5
2 アーバンフォレスト 1/2
3 ウォータールー アタマ
4 ハイドレンジア クビ
5 シグナルマッハ ハナ
「この、馬名の横に"5"とか"1/2"って書いてあるのは?」
「"着差"だよ。1つ上の順位の馬とどれだけ差があったかを示す数字。例えば5馬身ってのは、馬の体5つ分――大体12mくらいだ。"アタマ"や"ハナ"は、文字どおり頭や鼻の差」
「5馬身……」
博には、どれだけ凄いのかピンとこない。
「これは圧勝だね。3馬身離せば完勝って言えるくらいだから」
「じゃあ、この勝った馬は能力が頭ひとつ抜けてたってことですか?」岳が言う。
「そういうこと。……てなるとだ」
たけしは競馬新聞を指さし、ドラクロワの隣の欄を叩いた。
「この勝ち馬に新馬戦で勝ってるドンナモンジャイって馬は、もっともっと強いってことになるだろ?」
「あ、なるほど……負けた相手が活躍すれば、その馬の評価も上がる。勝ち馬の価値は、敗者が証明してくれる……」
博が感嘆する横で、いつの間にか岳は静かになっていた。
彼は遠い目で、3ヶ月前の夏を思い出していた。
――8月末の新馬戦。ドラクロワは後続馬に詰め寄られながら、ぎりぎりの差で逃げ切った。
あのヒヤヒヤした勝ち方を思えば……確かに完勝とは言いがたい。同じ「新馬戦で勝った馬」でも、ドンナモンジャイの横綱相撲と比べたら人気の差がよくわかる。
「……甲子園みたいだ」岳がぽつりと言った。
「え、甲子園?」
首をかしげる父を横目に、息子は吐き出すように続ける。
「各県からさ、予選を勝ち抜いた代表校が出てくるでしょ。でも、初戦であっけなく負けたり、大差でボロ負けしたり。あれ、よくあるじゃん。
どの学校も間違いなく“その県で一番”になったのに――上には上がいるって思い知らされる」
握りしめた岳の拳の中で、焼き鳥の串がぽきりと折れる。博はその音を聞きながら、何も言わずに息子の横顔を見つめていた。
ほんの数秒間岳は黙っていたが、すぐに立ち上がり、たけしにお礼を言った。
「休憩時間を割いてまで説明してくださって、有難うございます。それじゃ、僕たちそろそろパドックに行かないとなので」
「おう!!また来いよ。うちの焼き鳥もご贔屓にね」
「父さん。早く」
博は慌てて並々とビールが入ったコップを煽る。予想の話に気を取られ、すっかり手がただのホルダーと化していた。
「あ、いいや。急かすのも悪いし、父さんは飲み終わったらゆっくり来てよ」
そう言うと岳は、すたすたとパドックに向かって歩き出した。
「いやあ、凄いなあの子。そのうち評論家にでもなっちゃうんじゃないの?」
屈託の無い笑顔で、たけしは博の肩をポンと叩いた。どこか憎めないため口。
薄々気づいていたが、この男は自分よりも年下なのではないか。
さっき注文をした時に、大学を出てから20年余りだと言っていた。とすると、多少の留年等を考慮しても40代には収まるだろう。
博は1975年生まれで、今年50になる。だが人から見ればあまり老けないらしく、年齢を言うと驚かれることも多い。恐らくたけしも、自分の年齢を勘違いしているのだろう。
もっとも、博はそこまで言葉遣いを気にする方ではない。年下に間違われることなんて何回もあったし、編集という仕事柄、普段から一癖も二癖もある人間たちを相手にしているのだ。そんなのに比べたら、たけしの勘違いなんて全く気にならない。
ビールをようやく飲み終わり、ゴミをまとめながら博は返した。
「いやぁ、どうなるか私にもわかりませんよ。ただ、考えるのが大好きな子ですから。物欲も
無いし、お金のかからない子で……」
たけしは吹き出した。
「あっはは!競馬に興味津々なのに、お金には目もくれないと。面白いねぇ」
博も笑いながら、軽く一礼をしてパドックへ足を運んだ。
ドンナモンジャイ(Donnamonjai)
2023年生 牝2 鹿毛
父:デクラレーションオブウォー
母:ヤルヤン
母父:ディープインパクト
生産牧場:下坂部牧場(新ひだか町)
馬主:有限会社棚橋商事
勝負服:緑、黄星散、桃袖緑二本輪
戦績:1戦1勝(1-0-0-0)
マジックキングダム(Magic Kingdom)
2023年生 牡2 黒鹿毛
父:Magic The Gathering
母:クイーンオブハーツ
母父:キングカメハメハ
生産牧場:白老ファーム(白老郡)
馬主:ベンテンドー
勝負服:白、赤玉絣、黒袖
戦績:2戦1勝(1-1-0-0)




