焼き鳥たけし
岳の腕時計は11時半を指していた。それに合わせるように、博のお腹が鳴る。
「フードコートがあるから、そこでテイクアウトしよう。何がいい」
「肉」
「中学生かよ」
「中学生だし。13歳だし」
冗談はさておき、自分より大きな息子の背中を見ながら博はつくづく思った。
(確かにこれは、大学生に見えなくもない)
博は182cmある。妻の文も168cmと長身なため、子どもたち4人は皆大柄に育った。
だが、姉の希が徐々に背が伸びていくのに対し、弟3人は一気に伸びた。 希は172cmまで伸びたが、中学生の頃は飛びぬけて大きいわけではなかった気がする。
けれど穣に岳、そして律は——小6の時点で170は超えていた。もっとも声変わりは最近まで無かったため、駅や映画館で疑われることはそれほど無かったのだけど。
(ひょっとしたら、岳と二人きりで出掛けたのは初めてかもしれない)
出版社の編集部にいる博は、基本的に夜型だ。週刊誌の原稿のチェックを終えてもすぐには家に帰れない。営業時間を過ぎた頃から、漫画家志望の若者たちが作品を持って直接編集部を訪れる。それを一つ一つ読んで対応しなくてはならない。
だから家に帰れば、とっくに子供たちは寝ている。
息子たちの小さい頃などは、早朝に帰って仮眠をとった後、彼らが幼稚園に行ったのを見届けてから再び出勤していた。ゆえに、「パパっていつも何してるの?」などと本気で首をかしげられたものだ。
そりゃそうだ。3人が認識している父の姿は、ソファに沈み込んで灰になっているシーンしかないのだから……
妻の文は父親が新聞社の人間だからか業界事情を理解しており、夫が育児になかなか参加できないことを責めたりはしなかった。
姉の時はまだめぼしい役職には付いていなかったため、多少の時間は取れた。けれど弟たちの場合は……そういう思い出も少ない。なまじ三つ子なだけに、どうしても3人まとめて相手をしてしまうところがあった。
「あそこがいい。焼き鳥」
「お。いいね、せっかくだし飲み物も買うか。日曜だし、昼からビール飲んじゃお」
2人は、「ハロンボウ」と書いてある焼き鳥屋の前で足を止めた。 店の奥では、40代くらいの男がひとり汗だくで串を焼いている。だがその光るおでこより、2人の目に留まったのは——
<焼き鳥たけし>
という、胸に貼られたお笑い芸人みたいな名札だった。
少し面食らったが、それで諦めるほどの店には見えない。むしろこういう店こそ美味しいはずだ。恐れずに博はカウンターに向かう。
「焼き鳥ください。あとビールも」
「あいよ!焼き鳥ビールセットにする?その方が安いぜ。串3本にビール付きだ」
「あ、じゃあそれで」
「オッケー!970円ね」
男はなれた手つきで串を並べながら、気さくに話しかける。
「お父さんたち、競馬場は初めて?」
「息子は1回新潟に行ったことがあるんですけど、私は初めてで」
「さては天皇賞を見に来たんだろ」
「あ、違います。いや、それもあるけど本命はひゃくにち……何だっけ、岳」
「百日草特別。8レース」
「えっ、初心者さんが条件戦か?珍しい」
「ちょっと見たい馬がいるんです」
博は岳から競馬新聞を借り、出馬表を見せた。
「この馬です。クロノドラクロワ。息子が名付け親なんです」
「ええ?クロノってことは……クロノレーシングの馬じゃんか。もしかしてお父さん、一口馬主さんだったりするの?」
たけしは串を焼く手を止め、カウンターに身を乗り出してきた。その勢いで、煙のカーテンがスパッと割れる。
クロノアトリエの件で名付け依頼が来ただけで、馬主なんてご身分ではない。でも詮索されては面倒なので、博はスマートに「まあ、そういう者です」とだけ返した。
すると、今まで黙っていた岳は急に口を開いた。
「おじさん、ここの仕事は長いんですか?」
「大学を中退してからずっとだな。前は京都競馬場でバイトしてたんだけど。あ、あとYouTuberやってるよ。"焼き鳥たけし"で予想とかの投稿」
(あ、だからあんな名札を付けていたのか)
博は妙に納得した。
岳はその言葉にぴくりと眉を動かすと、博の手から新聞を奪い取ってたけしに見せた。
「じゃあ、このレースの予想を聞かせてください。僕たち、まだ素人なんです。勉強がてら」
「え?お兄ちゃん、俺に予想させてくれんの」
「手が空いた時でいいので」
岳はいつもより熱のこもった声で言う。
「僕はドラクロワのことをもっと知りたいんです。なら、競馬好きなおじさんから聞くのが一番でしょう」




