記念か、大賞典か
息子と孫娘の背中が闇に溶けていくのを見送りながら、康成の脳裏にはあるレースが浮かんでいた。
G3・新潟記念。もう一つの新潟2000m重賞である。
新潟競馬場のコースには「内回り」と「外回り」がある。新潟大賞典も新潟記念も、外回り2000mを使用する。
通常2000m——所謂"中距離戦"といえば、1コーナーから2コーナー、3コーナー、4コーナーへと何度もカーブを曲がって直線に向かう構造だ。
だが新潟の外回りは違う。最後の直線は659メートルもあり、異様に長い。そのためコーナーはわずか2つで、Uの字を伸ばしたような独特の形をしている。
(それにしても……なぜ"記念"ではなく、"大賞典"なんだ?)
コースも距離も同じ。だが、誠はわざわざ因縁の方を選ぼうとしている。合理性を重んじる息子のことだから、そこにはきっと理由があるはずだ。
(……おそらく、斤量の問題だな)
新潟大賞典はハンデ戦。対して新潟記念は、2025年から別定量戦に改められた。
ハンデ戦とは強い馬と弱い馬の能力差を斤量で調整し、全馬に均等な勝機を与える方式である。
一方、別定戦では年齢や性別、獲得賞金、勝利数などに応じて負担重量が自動的に定まる。だがその差はハンデ戦ほど極端ではなく、結局は"強い馬が強い"結果になることが多い。
つまり、荒れる――穴馬が一発を狙えるのはハンデ戦の方だ。格上馬はトップハンデを嫌い、無理に出てこないケースが多い。
(そうか……)
康成は小さくうなずいた。
ドラクロワが勝つ可能性を上げるなら――
誠なら、迷わずハンデ戦の大賞典を選ぶだろう。
あのレースが封印された舞台であることを承知の上で。
康成は古いファイルを引き出しから取り出した。黄ばんだ新聞のコピーと、レース後の口取り写真。そして、一枚の記録用紙。
【1988年 第10回新潟大賞典】
新潟競馬場/芝右回り2200m
(……このまま、変わらなければよかったのにな)
現在の新潟大賞典は、芝左回り2000m。だが当時は芝右回り2200mだった。走る向きも距離も、まるで別物。
2001年夏――新潟競馬場は大改修を経て、右回りから左回りへと生まれ変わった。さらに日本最長の直線1000mのコースが新設され、そこからアイビスサマーダッシュ(G3)という新しい名物レースが誕生した。
つまり、クロノドラクロワが得意とするのは、長い直線と左回りのコースをもつ"新・新潟"。彼の玄祖母・クロノオドリコが走った"旧・新潟"ではない。
(もし、あの改修がなければ……誠が新潟大賞典を目指すこともなかっただろう)
旧コースのままならドラクロワの脚質は新潟に合わず、中京の金鯱賞か中日新聞杯あたりを目標にしていたはずだ。
だが――コースが変わり、直線が伸び、走る方向すら逆転したことで、再び"クロノ"の血があの舞台へ引き寄せられていく。
(……まったく、皮肉なもんだ。運命ってやつは、よくできてる)
康成は苦笑いを浮かべ、ファイルを閉じた。その手は、わずかに震えていた。
康成は次に、厩舎から持ち帰った自分の調教ノートを開いた。記された馬の名を指でたどりながら、現在の陣容を振り返る。
2025年現在、栗林厩舎に所属する馬は65頭。そのうち、黒木牧場――クロノレーシングの馬が11頭。
クロノアラレ(牡7)
クロノブラスト(牡7)
クロノステップ(牡6)
クロノロジータ(牝6)
クロノアーバン(牝5)
クロノエビス(牡5)
シングインザレイン(牡4)
クロノチャコール(牝3)
クロノウェザー(牡3)
スターフィーユ(牝2)
クロノドラクロワ(牡2)
本来ならここに、もう1頭――クロノアトリエ(牡4)の名があるはずだった。だが、現在彼は東京・高円寺で"もう一つの黒木家"と穏やかな日々を送っている。
ノートを閉じると、康成は机の引き出しからもう一冊取り出した。栗林厩舎の初代、父・徳太郎の遺した調教ノート。
【1978年 入厩馬】
クロノピース 牡3 栗毛
ダンシングクロノ 牝3 青鹿毛
クロノコマチ 牝3 鹿毛
クロノニシキ 牝3 黒鹿毛
〈クロノレーシング1期生〉
「……48年目か」
呟いた声が、古い紙の上で沈む。
今年デビューしたスターフィーユとクロノドラクロワは、牧場創設から数えて48期生。牧場の開業からほぼ半世紀、"クロノ"の名は、途切れることなく走り続けてきた。
1963年生まれの康成は、今年で62歳。調教師の定年は70歳だが、そこまで現役を続ける気はない。数年前から、一人息子・誠に栗林厩舎を継がせることを考えていた。
誠は9年前、2016年に調教師試験に合格。だがすぐには独立せず、康成のもとで「技術調教師」として修行を続けている。いわば"暖簾分け前"の状態で、その期間に馬主や関係者と信頼を築き、自分の厩舎を開くための地盤を固めるのが通例だった。
栗林厩舎は、初代・徳太郎の代で無敗の二冠馬ゴーカイテイオーを、二代目の康成の代でスプリンターズステークス覇者のクロノロビン、そしてフェブラリーステークスを優勝し種牡馬入りしたクロノロジャーを送り出した名門。その看板を託すには、確かな覚悟が必要だった。
だが今の誠なら、安心して任せられる。
あの巨体に似合わず理論派で、28歳の若さで試験を一発合格。中学時代には、茶道家元の家に生まれた柚木慎平を見いだし、一から競馬を叩き込むと、見事に競馬学校へ合格させた。
柚木が騎手として頭角を現した時、康成は悟った。
(こいつは、俺よりも育てる才能がある)
だから、ためらいは全くなかった。栗林の三代目は誠でいい。むしろふさわしい——そう思っていた。
……3ヶ月前、ドラクロワの新馬戦を見るまでは。
誠の合理主義と、新潟の長い直線で光ったドラクロワの脚。その2つが、よりにもよって封印されたパンドラの箱に手をかけてしまった。
(少なくとも……ドラクロワの件が片付くまでは引退できねぇな)
康成はグラスを手に取った。
長年の付き合い――黒木牧場との50年の縁。それがもし、この一件で崩れるようなことがあれば……
(全部、パーだ)
小さく息を吐いた。氷の音が、やけに遠くに響いた。




