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新コンビ結成



(じょう)柚木(ゆのき)が馬房に戻ると、既に岳は準備を済ませていた。普段の散歩で防具として使っている乗馬ヘルメットに、ベストタイプのプロテクター。体は大きいが、かなりやせ形でひょろっとしている。まるでデビュー前の頼りない若駒のようだ。


「持ってきた」

柚木が古びた鞍を手渡す。

「サンキュ」

誠は手際よく鞍を付けていく。アトリエは1年前と変わらず、嫌がることもなく大人しくしていた。


「よし。オッケ、まだ人を乗せる感覚は残ってるみたいですね。鞍も嫌がらないし」

誠はそう言いながら、腹帯をそっと締めて鞍を固定した。


「あの、やっぱり……嫌がる馬もいるんですか?」

岳がそっと声を落として問う。


「馬によって大分違うね。理由も沢山あるよ、人を乗せることは平気だけど馬具の感触が合わないとか。そもそも乗られるのが嫌いな馬もいるし」

誠は手綱の長さを調整しながら淡々と続けた。

「人を乗せることって、馬の本能ではないからさ。デビューの1年前くらいから徐々に馴らしてくんだ。まあ、社会人になるための準備みたいなものかな」


「ん?じゃあ……それに耐えられない馬は……」

岳がぽつりと漏らす。その声には、恐る恐る地雷を踏みにいくような危うさがあった。


だが、博はそっと息子の肩に手を置いてそれを制止した。誠も"あとでゆっくり教える"と目配せする。


誠は優しくアトリエの首を撫でると、注意深く様子を観察しながら、手綱を引いて馬房から中庭に誘導する。その後から渉に柚木、そして黒木家の人間たちも出ていった。


「一旦確認というか、おさらい的な意味で僕が最初乗ります。で、大丈夫そうなら岳くんにチェンジで」

そう言うと誠は軽く地面を蹴り、補助無しでひらりとアトリエの背に乗ってみせる。その迷いのない身のこなしと溢れる"プロ"の凄みは、周りの空気を一瞬で変えた。


それは彼が経験豊富なホースマンであると同時に、騎手には到底なれなかったことを示していた。体高が170cm近いサラブレッドに補助も要らずに乗れる巨体では、体重制限があまりにも酷だからだ。


誠は鞍上から岳を見下ろし、穏やかに指示を出す。

「ここ、足をかけるところ。(あぶみ)ってんだけど、ちょっとこれは調教用で短くなってるから今回は使わないよ。ただ大きな丸太に跨がる感じで、足はぶらーんって」


誠の声は落ち着いている。アトリエも、それに安心しているのか静かだった。

「馬体を足で挟みたくなるかもしれないけど、それだと逆に体の軸がぶれる。できるだけ足は広げて、背筋は伸ばして」


岳に細かくレクチャーする誠を見ながら、柚木は中学の頃を思い出していた。


同じクラスだった誠に初めて乗馬を教わったのは、確か中1の夏休みだ。その時も、今のようにかなり詳しく教えられた記憶がある。競馬の知識など全く無かった自分に誠は馬のいろはを叩き込み、2年後に競馬学校という狭き門を通過させた。

驚くべきことは、指導者でも何でもない中学生が、全くの素人をたった数年でホースマンの卵に育て上げたことだ。そのホースマンの卵は、今やリーディング上位に名を連ね、穴馬でも何でも掲示板にねじ込む"複勝・ワイドの魔術師"になっている。


「お前は馬に乗るための男だよ。絶対に才能ある。だから、俺はお前に全てを託す」なんて言っていたが——


見抜く力に育てる力。本当にホースマンとしての才があったのは、自分ではなく誠の方ではないか——


柚木は今でもそう思っている。



と、穣が小声で柚木に話しかけた。190センチ近い長身を折り畳むように膝を曲げ、頭一つ――いや、それ以上に背丈の違う柚木と、無理やり肩の高さを揃える。

「あの、柚木さん。"乗り替わり"って……割とあることなんですか。さっき、岳が言ってましたけど」


柚木は視線を前に向けたまま、そっと答えた。

「あるよ。……もう、日常茶飯事だ」


その声は淡々として、どこか乾いていた。

「レースはお金だけじゃない。馬の将来もかかってる。だから陣営だって、勝てないジョッキーはどんどん降ろす。俺だって何度も降ろされたよ。誠にもね」


一拍置いて、柚木は苦く笑う。

「誠は調教師だ。あいつにとっては、俺を乗せるより"馬を勝たせる"ほうが大事だから」


穣は思わず眉を寄せた。だが、食い下がるように続ける。

「……でも、人馬一体とか、運命の相棒とかもよく聞くじゃないですか。ほら……武豊さんとディープインパクトとか」


柚木は小さく息を吐いた。

「そりゃ、一流の馬と一流のジョッキーなら、そういうドラマは成立するよ。でも……多くの場合、デビューから引退までずっと同じ騎手が乗るなんてまず無いな。

陣営が降ろす気がなくても、騎手と馬のスケジュールが合わなきゃ乗れない。騎手なんて、同じ日に何頭も乗るし、いくつも騎乗依頼をもらうから。乗りたくても、乗れない時がある」


短く息を吸い、言い聞かせるように——少しだけ、声音が柔らかくなる。

「それに、乗り替わりが良い結果を生むことだってある。"降ろされる"んじゃなくて――他のジョッキーのほうが合ってるって、自分から降りることもある。馬のために、ね」


穣は、唇を噛むようにして――最後に尋ねた。

「じゃ……アトリエにとって、今回の"乗り替わり"は……良い結果になりますか?」


柚木は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。

その沈黙は、"自分がもうアトリエの背に戻れない"という現実の重さだった。


やがて、静かに答える。

「……俺は、そう思ってる」

柚木の視線の先には、アトリエがいる。今もなお、その背に乗る"誰か"を待っている馬が。


「アトリエは、すごく素直で優しい子だよ。相手のことを思いやれる馬だ。……レース向きじゃないけど、すごく頭がいい」


そして、柚木は穣に目を向けず――それでも確かな確信を込めて続けた。

「きっと、岳くんなら良いコンビになる。彼も口下手だけど……アトリエのことをちゃんと考えてくれてるから。お互い、フォローし合えるはず」



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