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プロローグ


地球には、実に多種多様な競技が存在する。


個人の技量を極限まで高めて挑む個人競技。

仲間と力を合わせ、共に勝利を掴む団体競技。

純粋なスピードを競うもの。あるいは、芸術性や創造性を評価されるものもある。


人間は、古来より自らの肉体や精神を使い、競い合い、観る者を魅了する「競技」という文化を育んできた。

時に娯楽として、時に信仰として。

それは人類が火を得た頃からの、本能にも近い営みなのかもしれない。



だが、そんな「競技」の中で、人間以外の生き物と共に挑む競技は一体いくつあるだろう。



まず思い浮かぶのは、犬だ。


犬は人類が最も早く家畜化し、最も深い絆を結んだ動物と言われている。狩猟や牧畜、番犬、あるいは家庭の癒し手として、人間の暮らしに寄り添い続けてきた。


そんな犬と人が共に挑む競技も現代には存在する。

代表的なものにドッグアジリティがある。ジャンプ台、トンネル、スラローム……障害物を次々とクリアしていくスピードと正確さを競う、華やかで賢さを感じさせる競技だ。

ハンドラーと呼ばれる指導者が声や手ぶりで指示を出し、犬はその導きに忠実に従って動く。

そこには信頼があり、愛情があり、絆がある。


だが——

ゴールするのは犬だけだ。

人は、共に走り、共に汗を流すことはあっても、見守るだけでその背には乗れない。

犬の身体は小さく、骨も繊細で、人を運ぶという目的には作られていないから。


そういう「構造」ではないのだ。


人類にとって最古の友人は、人類の大きな夢を乗せるにはあまりにも小さすぎた。



では、馬はどうだろう。


犬よりも家畜化の歴史はやや浅い。だがその役割は、犬とはまるで異なる。

馬は人よりも大きく、草食で大人しく、極端な気候や環境でなければ適応できる順応性を持つ。

背中のゆるやかな曲線は、人がまたがるのにちょうど良い形状だ。

適度な知性があり、指示や訓練にも従う。


そして何より——かつて、つい数世紀前までの長い間、人の「足」は馬だった。

人が歩いて数日かかる距離を、馬はたった半日で駆け抜けることができる。人を乗せた状態でだ。

物資を運び、戦に赴き、農地を耕し、国と国をつなぎ、歴史を動かしてきた。

古代から近代に至るまで、馬がいなければ文明はここまで発展しなかったと言っても過言ではない。


犬が「友人」だとすれば——

馬は「資産」であり、「力」であり、「希望」だった。


そして今、そんな馬と人間が、一緒にゴールを目指すものがある。

それが、競馬だ。


ただ走るだけではない。

ただ乗るだけでもない。

騎手は、馬と会話する。


蹄のリズム、首の揺れ、耳の角度、鼻息の強さ、手綱のわずかな重み。

全ての「感覚」を通じて、馬と人間は一つになる。


人馬一体。


数百メートル先のゴールに向かって、まるで一つの生命体のように駆けるその姿は、どのスポーツにもない唯一無二の特徴だろう。

それは「協力」でもあり、「信頼」でもあり、ある種の「運命共有」だ。


鍛えた肉体。磨いた感覚。知識と経験。

そして、バカにできない大事な物——運。


それらすべてが合致したとき、ゴールのその先に、栄光という名の幻が見える。




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