終章:君の香る、ぬくもり
それから一年後。
白百合清布は、伝統を守りつつ新しい「おもてなし」の形を提案する企業として完全に生まれ変わっていた。売上は三年前の2.5倍に達し、従業員数も50%増加した。より重要なのは、すべての従業員が誇りを持って働いていることだった。
会社の応接室には、社長の潔と、彼のビジネスパートナーであり、そしてプライベートのパートナーにもなった私の二人の姿があった。私は約束通り、コンサルティング会社を円満退社し、この会社の専務取締役に就任していた。
新たな来客が到着した。今日は重要な商談があるのだ。相手は欧州系の高級ホテルチェーンで、日本法人設立にあたって、すべての店舗で白百合清布のおしぼりを使いたいという申し出だった。
来客に私がそっと差し出したのは、一本の温かいおしぼり。
「どうぞ、私たちの心を込めて」
相手方の代表は、そのおしぼりを手に取った瞬間、明らかに驚きの表情を見せた。
「これは……本当に素晴らしい。まさに私たちが求めていた『Japanese Omotenashi』の具現化ですね」
商談は成功に終わった。これで白百合清布の海外展開も本格化することになる。日本の伝統的な「おもてなし」の心が、世界中のホテルで体験されることになるのだ。
夕方、私たちは二人きりで誰もいない作業場にいた。そこには月の光が差し込み、洗い上げられた真っ白なおしぼりの山が静かに輝いている。
「ありがとう、れい」潔が言った。「君がいなければ、この会社は、そして僕はとっくに終わっていた」
「ううん、私の方こそ」私は答えた。「あなたに教えてもらったの。数字だけじゃない、乾いたロジックだけじゃない、本当に大切なものがこの世界にはあるって」
二人の間に、甘くそしてどこか清らかな空気が流れる。それは潔がこの日のために特別に調合してくれていた白百合の花の香りだった。
「れい、僕はこれからもあなたのそばで、あなたの心のささくれを温めるおしぼりでありたい」
彼の不器用でしかしあまりにも真っ直ぐな言葉に、私の心は深く震えた。
「私も」私は微笑んで答えた。「あなたの夢を支えるパートナーでありたい」
その時、潔が小さな箱を取り出した。中には、白い綿の花をモチーフにした繊細な指輪が入っていた。
「れい、僕と結婚してください」
私は迷わず答えた。
「はい」
指輪が私の薬指にはめられる瞬間、工場中に白百合の花の香りが満ちた。それは私たちの愛の結晶を祝福するように、そして新たな物語の始まりを告げるように。
―― エピローグ ――
それから五年後。
白百合清布は日本を代表する「おもてなし企業」として、国内外で高い評価を受けていた。従来のおしぼり事業に加え、医療・介護分野での清拭用品、高級ホテル・旅館向けアメニティ、さらには海外展開も積極的に進めていた。
私たちの結婚式は、工場で行った。従業員たちが手作りで準備してくれたささやかだが心温まる式だった。ハツさんが「れいちゃん、幸せになるのよ」と涙ながらに言ってくれたことを、今でも鮮明に覚えている。
現在、私たちには二歳になる息子がいる。名前は「和」。平和の和であり、人の心を和ませるという意味を込めて名付けた。
息子は工場で遊ぶのが大好きで、よく従業員たちに抱っこしてもらっている。きっと彼が大きくなる頃には、また新しい形の「おもてなし」が生まれているだろう。伝統を受け継ぎながら、時代に合わせて進化していく――それが私たちの会社の使命だ。
今日も私は、来客におしぼりを差し出す。
「どうぞ、私たちの心を込めて」
そのぬくもりは、これからもずっと続いていく。人と人をつなぐ、やさしい架け橋として。
(了)