序章:乾いた、ペーパータオル
私の世界は数字だけでできている。
売上高、営業利益率、ROI、KPI。それらの冷徹で客観的な数字だけが、世界の真実を映し出す。感情や人情、伝統といった数値化できない曖昧なものは、ビジネスにおけるノイズ(雑音)でしかない。
私は、そのノイズを除去し、クライアントの経営を最適化するプロフェッショナル。
香坂れい、三十歳。
経営コンサルティングファーム「ロジカル・ソリューションズ」のシニア・アソシエイト。
私は私のロジックを信じていた。それだけが私を守ってくれる唯一の鎧だったからだ。
実は、数字への信頼は必然的な選択だった。私の父は町工場を経営していたが、バブル崩壊とともに会社は破綻し、家族はバラバラになった。あの時、父は感情論と楽観主義にすがりついて現実を見ようとしなかった。「心意気があればなんとかなる」「お客さんは分かってくれる」――そんな言葉の空虚さを、まだ十代だった私は骨の髄まで味わった。だからこそ、私は数字という絶対的な言語を選んだのだ。
コンサルティングの世界で、私は「アイスクイーン」と呼ばれていた。感情移入を一切しない冷徹な分析能力。どんなに歴史ある企業でも、数字が物語る事実の前では容赦しない姿勢。それが私の武器であり、同時に私を人間関係から遠ざける要因でもあった。
その日、私がアサインされたのは、東京の東側、蔵前に本社を構える中小企業だった。
株式会社「白百合清布」。
事業内容は、高級おしぼりのレンタル・リース。
私は会議室のテーブルに置かれた、一枚の分厚いタオルのようなそれに眉をひそめた。
おしぼり。
私が普段使うのは、カフェに置かれた使い捨ての紙おしぼりか、オフィスのトイレのペーパータオルだけだ。こんな前時代的な布の塊に、ビジネスとしての未来があるとは到底思えなかった。
しかし私は知らなかった。おしぼりが日本独自の「おもてなし」文化の象徴であることを。平安時代の「手拭い」から発展し、江戸時代には茶屋で客への最初のもてなしとして定着した歴史を。明治維新後、西洋化の波の中でも生き残った数少ない日本文化の一つであることを。
目の前に座るその会社の三代目社長、白川潔は、まるで昭和の映画から抜け出してきたような男だった。少し時代遅れの七三分けの髪。真面目だけが取り柄といった実直そうな顔つき。彼は私を見る目に、明らかな警戒心を浮かべていた。メインバンクからの最終通告を受け、藁にもすがる思いで私たちの会社に助けを求めてきたのだが、同時にコンサルタントという「効率化の鬼」への本能的な恐怖も抱いているのが見て取れた。
「香坂さん、うちのおしぼりの良さは、一度使っていただければ必ずわかっていただけるはずなんです。この肌触り、このぬくもり……」
彼の声には、必死さと同時に深い愛情が込められていた。それは自分の子供を他人に紹介する親のような、純粋で不器用な愛情だった。
私はその情緒的な言葉を遮った。
「白川社長、私が拝見したいのは、その肌触りではありません。過去三年分の損益計算書と貸借対照表です」
彼の顔が一瞬こわばった。私は心の中で「またこのパターンか」と思った。経営者はみな、自分の商品への愛情を語りたがる。だが愛情だけでは会社は救えない。それを何度も見てきた。
私が事前に分析したデータは絶望的だった。
売上は右肩下がり。安価な紙おしぼりとの価格競争に完全に敗北している。固定費は高いまま。その最大の原因は、彼の祖父の代から続く、非効率で過剰なまでの品質へのこだわりだった。
実際、おしぼり業界の現状は厳しい。1970年代には全国に約3000社あったおしぼり業者は、現在では300社程度まで減少している。使い捨て文化の浸透、人件費の高騰、そして何より「清潔」に対する意識の変化――これらすべてが、伝統的な布おしぼり業界を追い詰めていた。
「結論から申し上げます」
私は氷のように冷たい声で宣告した。
「このままでは再生は不可能です。布おしぼり事業から完全に撤退し、安価な輸入品の紙おしぼりの卸売業に事業転換すること。それが唯一の生き残る道です」
「冗談じゃない!」
潔の顔が怒りで赤く染まった。
「うちのおしぼりは、ただの布巾じゃない!祖父の代から受け継いできた日本の『おもてなし』の心そのものなんだ!あなたのような数字しか見ない人間に何がわかる!」
また、このパターンか。
私は心の中でため息をついた。こういうウェットな精神論が、私は何よりも嫌いだった。それは五年前のあの苦い記憶を呼び覚ますからだ。
私が初めて担当した老舗の和菓子屋「花月堂」。明治時代創業の老舗で、四代目の主人は職人気質の頑固な老人だった。私はそこでも効率化を断行した。機械化による生産性向上、添加物使用による日持ち向上、パッケージの簡素化による コスト削減――数字の上では完璧なプランだった。
結果、店は潰れた。
機械で作られた和菓子は確かに安く大量に作れたが、手作りの繊細な味わいは失われた。日持ちは良くなったが、素材本来の風味も消えた。そして何より、常連客たちは店を離れていった。「味が変わった」「心がこもっていない」と言って。
あの時、店の老主人は私にこう言った。
『あんたはわかっちゃいない。俺たちが守ってきたものの本当の価値を』
その言葉が今も私の心の奥に、小さな棘のように刺さっている。
しかし私は自分を責めるのをやめていた。ビジネスの世界では、感傷は敗北を意味するからだ。生き残るために必要なのは、冷徹な現実認識だけ。それが私の信念だった。
「でしたら見せていただけますか」
私は言った。
「あなたの言う、その『心』とやらを。そしてそれが一体いくらの価値になるのかを」
潔の目に、一瞬、諦めにも似た感情が浮かんだ。それから、静かな決意が宿った。
「分かりました。明日、工場にいらしてください。うちが守っているものを、すべてお見せします」
こうして私の人生で最も非効率で理解不能なコンサルティングが始まった。それは乾ききった私の心を、少しずつ潤していく温かいぬくもりとの出会いの始まりでもあった。