第二話 嫌がらせと恐怖のはじまり
夕方になり、仕事から戻った彩夏の母の智子は、彩夏が作った夕飯を見てニッコリと笑った。
「ありがとう、彩夏。美味しそうね」
「まだまだだよ。お母さんには及ばないもん」
離婚をして故郷に戻り働き始めた智子の代わりに彩夏は家事の殆どをしている。だから、部活は出来ないと彩夏が思っている事を智子は知っていた。
「彩夏、部活決めたの?」
「まだ。家事するから活動が緩いのが良いかなって思ってる」
ゆっくりと夕飯を食べながら、智子は訊ねる。彩夏は、智子に気を使わせてるなと思いながら答えた。
「ここの中学には演劇部はないもんね」
「うん」
それ以上、智子は部活の話はしなかった。彩夏の気持ちを尊重してくれているのだろう。
翌日、ホームルームが始まると赤松は黒板に『プール掃除』と書いた。
「本来なら水泳部がやってくれてるプール掃除だが、今年も人数が足りないって事で、各クラスから二人ずつ助っ人を出すって事なんだが、立候補してくれる奴は居るか? どうだ?」
グルリと教室を見回すが、面倒なプール掃除を率先してやる生徒などいるはずもない。
部活を真剣にやっている生徒にすれば、部活を休む事になるのは嫌だろう。真面目にやっておらず幽霊部員になっている生徒もいるが、面倒な事には代りない。
「佐々川さん、まだ部活に入ってないんだから立候補したらぁ〜?」
声を上げたのは、彩夏と菜摘を目の敵にしている美代だ。
「え……でも……」
「佐々川さんなら部活休まなくても良いし、適任だと思います」
彩夏の呟きを無視して美代は続け、ニヤリと笑った。
「まぁ、そうだが……。佐々川、どうだ? プール掃除やってくれるか?」
赤松は、少し悩みながら彩夏に言う。
「……分かりました。やります」
美代と取り巻き達の厭らしい笑顔は癪に触るが、どこの部活にも所属していないのは事実だ。
彩夏が嫌々ながら引き受けると菜摘が手を上げた。
「じゃあ、私もやりまぁ〜す」
「おう、そうか。じゃあ、佐々川と竹嶋な」
(菜摘ちゃん……)
菜摘は振り返りながら、ニッコリと笑って小さく手を振っていた。
水が抜け切ったプールには、溜まっている枯れ葉や投げ込まれたペットボトルがあった。
「ゴミ捨てるなっての」
「だよねぇ〜」
デッキブラシを持ち洗いながら、彩夏と菜摘は話していた。
ゴシゴシ……ゴシゴシ……
こびり付いた緑色の藻を擦って、ゴミを回収していく。
「藻って、どこから来るんだろうね?」
「どうなんだろ?」
ふと見ると、排水口の所には緑色の塊があった。排水の所為で藻が集まったのだろう。
「あれって何か糸みたいな藻だよね」
菜摘が排水口に近づいて行くのを見ていた彩夏の体がビクリとした。
(えっ⁉ 人の……頭っ⁉)
排水口にはグレーチングがあるはずなのに、人の頭部のような物が見えた。水に濡れた長い髪がプールの底にダラリと伸びている。
「菜摘ちゃんっ‼」
「ん? なぁに?」
菜摘が髪を掴んで持ち上げたように見えた。だが、それは糸状のアオミドロだった。
(髪じゃ……ない……? でも……確かに……)
菜摘はてきぱきとアオミドロをバケツに入れていく。枯れ葉も絡んでいて、すぐバケツは満タンになった。
「手で触ったら気持ち悪くない? 大丈夫?」
彩夏は微かに震える声で言った。心臓は全力疾走をしたかのようにバクバクと速くなっている。
「大丈夫、大丈夫。さっさと終わらせて帰ろう?」
「うん。そう……だね」
(気の所為……だよね? 人の頭がある訳ない……。あったら、他の人だって気づいてるはずだし……)
水泳部員だけでなく、一年から三年のクラスから二人ずつがプールの中に入り掃除をしているのだ。誰も気づかないなんて事はあり得ない。
プールでの怪談話を何度も聞いていたのに、美代の画策でプール掃除に立候補してくれた菜摘の優しさを思い出し、彩夏は再びデッキブラシをガシガシと動かした。
藻や汚れを綺麗に落とした後、ホースで汚れを洗い流していると、水泳部の部長がビニール袋を抱えてプールサイドを歩いてきた。
「みんなぁ〜。今日は、ありがとう。これ、お礼だよ。好きなの飲んで〜」
中にはペットボトルのジュースが入っていて、みんなは好きな飲み物を手にして、プールサイドに座り飲み始めた。
「はぁ〜。疲れたけど、綺麗になると嬉しくなるね」
「うん。菜摘ちゃん、一緒にいてくれてありがとう」
「ううん。彩夏ちゃんとだったから楽しかったよ」
「うん」
プールの中では、水泳部の部員達が残った水を排水口に向かって流していた。
(さっきのは……なんだったんだろう……)
彩夏は、綺麗になったプールをじっと見ていた。