夫の奇行
怪異的現象はあるものの、怖くないです!謝
苛立つことがあるわ。それは、夫が夜中に何度も台所の蛇口を捻ることよ。家の蛇口は古いタイプで、捻るとガラスが掠れた様な嫌な音がするの。
水の流れも、勢いがあって、シンクに打ち付けるように流れて煩い。この様な不快な音が夜中に何度も続いている。
今もずーっと!
なにかひとこと言ってやりたい。そう思った私は夫の背中に向かって、
「夜中に蛇口を捻らないで!」
と言った。
夫は私を無視して何かを洗っているように見えた。何か独特の臭いがする。なまもの……? のような、ちょっとツーンとする臭い。
作業する場所にだけ明かりの灯った薄暗いキッチンで黙々と何かをしながら呟いている夫が何処か奇妙に見えて、その日は目を閉じたけど……妙よねぇ。何かあったのかしら。
朝。
気分を変えるために、花に水遣りをしようと庭に出たら、雑草が高く生い茂っていて驚いたわ。たった数日でこんなになってしまうなんて、今年の夏は異常だわ。
夫はリビングでぼーっとしながら椅子に座り壁を眺めていた。
「もう、だらしないんだから!」
────といいつつ私も、やることを考えたら肩が重くてなかなか動けない。特に物を持つことが出来なくて、その不満をぶつけるように夫の背中にのしかかった。
「元気かえ恵美さん」
「ええ、それなりに元気よ、郁三さんは?」
夫はどこかやつれていた。
仕事に行く前はこんな顔じゃなかったのに、どうしたのかしら。あ、そうだ。冷蔵庫に桃があったのよ。それを剥いたら、夫も喜んでくれるはず!
「待っててね郁三さん、今から桃、剥いてくるわ!」
「……桃は美味かったか?」
「もー、今から剥くの! しっかりしてよー!」
私は散らかった部屋をすり抜けながら冷蔵庫を開けた。
「……な、なにこれ!?」
全てのものが異臭を放っているの。作り置きのキムチやヨーグルト、キュウリの1本漬も、この世のものとは言えないくらいに臭く変色していたのよ!?
「郁三さん! あなた、頭おかしくなったの!?」
さっきの受け答えもおかしかったし、何かあったに違いない。そう思った私は、郁三さんが昨日台所で何をしていたのかを探った。それは見たらすぐに分かったわ。
「桃……」
とても新鮮だった。
宛先から、親戚が贈ってくれたらしい。でも、どうしてこんなに沢山……?
(いつもこんなにくれないのに)
気になって、カレンダーを見た。
2024年(令和六年)8月16日。
(あれ、私が買い物に出かけた日のまま捲られてない?)
もしかしたら私、何日間か寝込んでいたのかもしれない。
(本当の日付を知りたいわ!)
テレビのリモコンが見当たらなかったから、玄関の山積みになっているチラシを見に行った。すると、今日がちょうど買い物に出かけた日から1年であることがわかったの。
チラシには『お盆特集!』と書かれていたわ。嫌な予感がする……と、二階に上がり仏壇を覗きに行ったら、私の白黒写真が置いてあったわ。他は全て埃をかぶっていたのに、私の写真だけは布か何かで拭かれた跡がある。
そして、横に添えられた瑞々しい新鮮な桃……。
(思い出した……)
去年の今頃。私は郁三さんの好きな物を作って冷蔵庫に置いていた。味噌汁を作ろうと思ったら、豆腐を買い忘れていて。買い物途中で歩道橋で滑って転んだのよ。雨の日だったかしら。
アレからどうなったのか……。
察するに、私は死んでしまったのね。
きっと、夫は私がいなくなった1年で徐々におかしくなってしまったのだわ。もともと不器用な人だったから、桃を剥くのに時間が掛かっていたのね。それで何度も何度も水道の蛇口を捻っていたの……。
「ごめんなさい。郁三さん」
私は、付いていないテレビをぼーっと眺めている夫の肩にもたれ掛かりながら泣いた。愛する夫なのに、どうすることも出来ない。
私のせいだ。私が……死んでしまったから!
「泣かんでええんや恵美さん」
「うう……?」
私が何気なくテレビの画面を覗くと、画面の奥で微笑んでいる夫が居た。どうやら私の姿はテレビに映っているみたい。
夕日が差し込んできた。
同時に私の足もテレビ画面に映らなくなっていった。強く雨が降り始めてきたわ。
(また、雨が私たちを分かつのね!)
何か伝えなくちゃ。時間がない。短く、夫が元気になる言葉を……!
私は、画面越しで口を大きく動かして、夫にこう言った。
『来年もくるわ』
画面から消えてしまう前にしたキスは、テレビ画面だけが映し出す映画のような物。触感も何も無かったけれど、また来年も来るからね。寂しくても、貴方はまだこっちに来ちゃだめ。
しっかり生きて。お願いよ!
また来年!
おしまい
最後まで読んでくれてありがとうございます!