エピローグ:薔薇色の午後、言葉と香りを添えて(マリー視点)
貴族区画の奥、静謐な図書館。
午後の光がステンドグラスを透けて床に踊る、花の影。
クラリッサ・ベルグレードはその中心、磨き上げられた黒檀の机の前に座していた。
プラチナブロンドの髪は美しく編まれ、
身に纏うのは、藤色のシルクに繊細な銀糸の刺繍が施されたロングドレス。
胸元に輝くのは、深い青のサファイアのペンダント。
仕草の一つひとつが、まるで書物に描かれた高貴な令嬢そのもの。
──これが、わたしの憧れ。クラリッサ様。
「入っていいわ、マリー・エトワール」
名を呼ばれるだけで、わたしは胸がいっぱいになってしまう。
「その、ほんの……お礼を。クッキーを焼いてきました。あと、詩も……」
震える手で差し出す、リボンをかけた小箱と便箋。
クラリッサ様は優雅に受け取ると、まずは便箋を開いた。
──あなたは白百合、威厳をまとい凛と咲くひと。
──あなたは青き薔薇、ありえぬ夢を現実にする奇跡。
──あなたはラベンダー、静けさで心を揺らす聖女。
──あなたは月下美人、その一瞬に触れてしまった。
──それでもあなたは、クラリッサ・ベルグレード。
花の名を借りても足りぬ、ただひとつの人。
読み終えたクラリッサ様は、ほんの少し目を細め、
続いてクッキーの小箱を開け、ひとつをつまむ。
さくっ──
口に含むと、サブレのように軽やかに崩れ、
ほんのりとバニラとアールグレイが香る。
その奥に、ラズベリーのジャムが甘酸っぱく広がった。
「……まあ。甘すぎず、気品のある味。香りの余韻が、詩と同じくらい心に残るわ」
「そ、それは……本当に、よかったです……!」
「詩とクッキー、両方に共通しているのは誠実さね。マリー・エトワール、あなたらしいわ」
──その笑顔だけで、今日一日分の幸福が満ちてしまう。
ふと思い出す。
あの日、第二王子が誰にも聞こえない声で、クラリッサ様に向かって何かを囁いていた。
「やっぱり君が──」とか、そんな言葉。
でもクラリッサ様は、視線ひとつ、歩き方ひとつで、
それを風のようにかき消してしまった。
まるで初めから存在していなかったかのように。
──それがもう、かっこよすぎて。
わたしは思わず立ち尽くしてしまった。
「殿下は詩の返礼を?」
「えっと……“詩は難しいけど、笑ってる君が好き”とか……」
そんな第二王子は、今頃、必死に頑張っているだろう。わたしには、もう──ほとんど関係ないんだけれど。それでも。
「……それは詩ではなく、思いつきの口説き文句ね」
ひらり、と微笑むクラリッサ様。
その優雅さは、まるで風の中に咲く月白の芍薬のようだった。
強く、しなやかで、そして──美しい。
「マリー・エトワール。あなたのまっすぐな想い、嬉しかったわ」
「わ、わたし……クラリッサ様のように、なれるでしょうか……?」
「あなたはあなたとして、十分に魅力的よ。でも、目指すものがあるのは素晴らしいこと」
その言葉は、まるで陽だまりのようにわたしの胸を照らした。
──帰り際、扉の外で、わたしは振り返る。
そこにはまだクラリッサ様がいた。
静かに、優雅に、そして微笑んで──まるで、詩そのもののように。
そして、わたしはまた、詩の続きを考え始める。
──あなたは向日葵、誰かの心に光を落とすひと。
そう、どんな言葉を並べても足りないのに、
それでも、どうしても伝えたくなる。
だから、わたしは今日も詩を書く。
クラリッサ様に出会えた、この奇跡を、形にするために──。




