誇りと覚悟の刃
広間には、痛々しいほどの静寂があった。けれどその静けさは、先ほどまでの気まずい沈黙ではない。
それはまるで、見事な弓の一矢が的を射抜いたあとの、張り詰めた余韻のようだった。
教師たちは筆を止め、無言で頷いている。
生徒たちは、もはや囁きさえ飲み込んで、ただ正面の舞台に見入っていた。
その中心に立つのは、わたくし──クラリッサ・ベルグレード。そして、顔を伏せ、視線を定められずにいる第二王子、エドワルド゠レーンハルト。
蒼白とまではいかずとも、表情には明らかな動揺が浮かび、彼は時折ぎこちなく喉を鳴らしていた。視線は宙をさまよい、足元にはわずかな震えがあった。
だが、王子としての威厳を辛うじて保とうと、姿勢だけは崩すまいと踏ん張っていた。
──まだ、終わりではない。
「……以上が、殿下にまつわる実情ですわ」
最後まで冷静に、クラリッサは言い切った。その瞬間、広間の片隅で、椅子の脚が軋む音が響いた。
第一王子、フレデリックだった。
「クラリッサ嬢。あなたの言葉には、耳を傾ける価値がある。まことに、的確だ」
立ち上がり、場に響くような声で言う。
そしてようやく、エドワルドが顔を上げ、クラリッサにすがるような視線を向ける。
──婚約破棄の撤回は、もちろんあり得ない。
「殿下、貴方が恋に落ちたというのなら、それは貴方の自由」
そう前置きしてから、わたくしは静かに告げた。
「けれど、それを理由に他者との約定を踏みにじり、説明も責任も果たさず、ただ“気持ちが変わった”などと宣うのは、王族として以前に、人として未熟に過ぎます」
空気が張り詰める。
「貴方はわたくしに言いました。“難しいことは苦手だ、兄上に任せればいい”と」
わたくしはひとつ息を吐き、続けた。
「わたくしは、魔法の実技は不得手です。けれど理論は理解しています。できないからこそ、学びます。責任があるからこそ、努力します」
わずかに──エドワルドの顔つきが変わった。
「……クラ」
名前を呼ばれる前に、わたくしは首を振った。
「殿下。わたくしの名前を呼ぶ前に、貴方自身がなすべきことがございます。婚約破棄、わたくしは承知いたしました。けれどそれは、貴方が果たすべき責任から逃げることを意味しません」
王族の責任、当主の覚悟、そして人としての誠実さ。
それらを投げ出して、恋だけを取るというのなら、未来など築けない。
エドワルドが、搾り出すように言う。
「……僕が……甘かった。クラリッサに、甘えていたのだ…」
クラリッサは冷たく見つめた。
「認めるのは結構ですわ。けれど、それで赦されると思わないでいただきたい」
静かな声だったが、拒絶の意志は明確だった。
「わたくしが求めているのは、言葉ではなく、変化です。
──もし、“王子”という立場にふさわしくあらんとするのならば、その在り方を、証明なさってくださいな」
エドワルドは、何も返せなかった。
けれど、拳を握りしめ、小さく頷いた。
その様子を、隣にいた少女──マリーが大きな目を見開いていた。彼女は青いリボンで髪を束ねた、小柄で華奢な娘だが、その瞳は、意外なほど真っ直ぐだった。エドワルドの変化を、彼女なりに受け止めているのだろう。
わたくしと目が合うと、彼女は少しだけ、申し訳なさそうに唇を噛み、クラリッサの方へ歩み寄る。
「クラリッサ様……私……何も知らなくて……ごめんなさい」
小さく頭を下げるその姿は、どこまでも素直でまっすぐだった。
クラリッサは彼女を見つめ、首を横に振った。
「謝罪は不要ですわ。あなたは、どちらかというと騙された側。王族に憧れる、そこには罪はありません。ただ、これからはよく見て、よく考えて、選びなさい」
マリーの瞳が潤んだ。
「……はい。ありがとうございます」
その返事に、初めてクラリッサの口元がやわらかくほころぶ。
(美しい)
フレデリックが一歩踏み出す。
「クラリッサ嬢。もし、今後あなたにふさわしい相手が必要な時が来たならば──その候補に、私も加えていただけますか?」
さざめきが広間を走った。
だがクラリッサは、ゆるやかに会釈した。
「まずは、その価値があるかどうか、見極めさせていただきますわ」
その言葉に、フレデリックが瞬く。
そして──
「──さて、そろそろ“本題”に移りましょうか」