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予告なしの婚約破棄? では、正論の時間ですわね。

正論ざまぁです。エピローグまで5話の予定。

 陽の光が柔らかく差し込む、大理石の床と金縁の柱に囲まれた大広間。

 ここは、王立ルミナス学園の講堂──通称“白百合の間”。通常ならば、式典や表彰にしか使われない由緒正しい空間だ。


 なのに、今日は違った。

 赤い絨毯の先、壇上に立つひとりの青年を、わたくしは遠くから見つめていた。


 第二王子・エドワルド゠レーンハルト。

 王家の次男で、わたくしの婚約者──今は──である。


 背は高く、髪は陽光に透ける金。目の色は空のような淡い青。

 顔立ちは整っており、見た目だけなら、さぞ王子らしいと誰もが思うだろう。だが、立ち方に威厳はなく、笑顔には自信ばかりが滲んでいた。


 その隣に立つのは──


 マリー・エトワール。

 平民出身の転入生で、清楚系の美少女。

 栗色の髪を柔らかく三つ編みにし、白いワンピースを着て、うつむいたまま立っている。


 わたくしと視線が合うと、びくっと肩を揺らした。

 ふむ。まだ状況をよく理解していないようね。


 ──そして、そんな二人を見守るのは、なぜかこの場に集められた全校生徒と一部教員たち。


 わたくしは、絨毯の上をゆっくりと歩きながら、視線を感じていた。

 この場の主役が誰なのか──それを無意識に悟っている者もいるのだろう。


 深いロイヤルパープルのドレスには、銀糸の刺繍で我が家の紋章。

 身体にぴたりと沿うマーメイドシルエットは、訓練された姿勢でなければ着こなせない。

 長いプラチナブロンドの髪は編み込みでまとめ、首元には青く輝くサファイアのペンダント。

 ──これが、わたくしクラリッサ・ベルグレード。


 王家に次ぐ地位を持つ、名門ベルグレード公爵家の一人娘にして、

 幼少から王妃教育を受け、“第二王子の婚約者”として日々の鍛錬を積んできた者。


 誰よりも努力し、誰よりも完璧にふるまい、誰よりも──

 王族を支える覚悟を持って生きてきた。


 そんなわたくしの前で、彼は口を開いた。


「クラリッサ・ベルグレード!」


 唐突に名を呼ばれ、広間がざわつく。

 エドワルドの声が響き渡る。得意げな顔だ。


「本日をもって、君との婚約を破棄する! 僕は……マリーと、真実の愛を選ぶ!」


 ……はい、来ましたわね。


 あまりにもな展開に、目を閉じて深く息を吐く。

 しかし、顔は微笑を崩さない。


「承りました、殿下。王族たるもの、二度と発言を撤回されないように…よろしいですわね?」


 わたくしの問いに、エドワルドはあたかも勝ち誇った様子で頷く。


「では、お言葉を返させていただきますわ──エドワルド殿下」


 わたくしが一歩、前へ出た瞬間。

 空気がぴたりと止まった。視線が、一斉にわたくしへと向けられる。


 誰かが「始まった……!」と小さく呟く。

 第一王子フレデリック殿下も、後方の椅子から興味深げに身を乗り出していた。


「殿下。まず第一に──“真実の愛”という美名で婚約破棄を正当化なさるのは、あまりに短絡的ですわ」


 静かな声。けれど、それは確実に場を制した。


「我がベルグレード家との婚約は、王家と公爵家の政略によるもの。

貴族社会の秩序を保つための、政治的意味を持つ契約。

それをこのような場で、何の事前通達もなく──しかも、生徒を観客として招いた上で破棄するなど。

殿下……あなたは“王族”としてのご自覚がおありですか?」


 ざわっ、と人々の間に小さな波が走った。

 エドワルドの顔に、焦りの色が浮かぶ。


「そ、それは……感情に従っただけで……」


「その“感情”で、幾つの政務を後回しにされたことか」


 わたくしは視線を鋭くし、口調を崩さずに続けた。


「補佐官たちの嘆き、知っていますか?

“殿下は詩に夢中で、三日遅れの書類を山積みにしたまま”と。

その結果、農村支援金の支給が遅れ、多くの者が生活に困窮しました」


 マリーが、小さく息を呑む音が聞こえた。


「感性が豊かであることは、否定しません。詩を書くのも、ご自由に。

──ですが、“政務から逃げるために詩に耽る”のは、王子の在り方ではありませんわ」


 笑い声が聞こえた。冷笑ではない。

 ただ、呆れとも賞賛ともつかぬざわめきの中で、わたくしは静かに続けた。


「それに……マリーさんにも、ちゃんと伝えておくべきではなくて?」


「えっ……私、ですか?」


 マリーが困惑する。


「殿下が彼女を“選んだ”と言ったとき、マリーさん、何も知らないようなお顔をしていらした。

あなた方の“真実の愛”なるものに、共通の覚悟と誠実さは存在しているのかしら?」


 静まり返った空間。

 エドワルドは言葉に詰まり、マリーは俯いたまま震えていた。


 だが──


 わたくしは、ほんのわずかに彼女の顔を覗き見たとき、

 その頬に浮かんだ、恥ずかしそうな紅潮と、かすかに震える唇に気づいた。


 (……なんて、まっすぐ)


 彼女の中には、まだ未熟で、形にはなっていない──けれど強さの種のようなものが、確かにある。


 ああ、これは……少し面白いことになりそうですわね。


 わたくしは、視線を彼に戻し、にっこりと──けれど一片の温度もない笑みを浮かべた。

 それは、“社交界で一番見たくない公爵令嬢の微笑”と、よく言われる顔だ。


「では、続きを始めましょうか。まだ“王子”としての責任について、お話しすべきことがございますもの」


 その瞬間、空気が明らかに変わった。


 がやがやとざわめいていた生徒たちが、一斉に静かになる。

 後方にいた教師たちの数名が、何かを察したように手帳を開き、ペンを走らせ始めた。

 “これは教材になる”とでも思っているのだろう。実際、なる。これは極上の“公的な叱責の模範”だ。


 最前列の第一王子フレデリックが、グラスを置く音が聞こえた。

 そして、背凭れから静かに身体を起こし、興味深げにわたくしを見つめる。


 「……お、始まったか」と、口の動きが言っていた。


 そう。始まったのだ。


 クラリッサ・ベルグレード──

 常に冷静で、常に正確に“事実”を突き、

 “感情”ではなく“責任”と“矜持”によって人を黙らせる令嬢が。


 わたくしは深呼吸し、広間全体を一度見渡した。

 ざわつく視線、緊張に身を固める王子、そして不安げに立つ少女。

 すべてを見据えて、静かに、けれど逃げ場のない声で告げる。


「さあ──ここからが本題ですわ」

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