風音
背中に父の鼓動を感じると、不安は消しとび、高揚感だけが胸を熱くした。
ゴーグルをつけた顔に当たる風は、物理的な重さをもってぶち当たってくる。
父のささえがなければ、私の身体はかんたんに吹き飛ばされてしますだろう。
飛竜の背は、鞍があるとはいえ乗りづらいのだ。
「もういっかい!」
私の声は、風に吹き飛ばされて父には届かなかったが、飛竜がかなえてくれた。
わたしと飛竜の間には、すでに友情が結ばれているのだ。
「私よりも、マチルダの言うことを優先するとはな」
父のぼやく声が微かに聞こえて、わたしは笑った。
飛竜も甲高い鳴き声をあげ、わたしと一緒に笑った。
父が早世すると私は一人になった。
前妻の子である私には、義母は冷たくもないが温かくもない。
他人のままであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
実子であるアルベルタは五歳にして家長となり、そちらにつきっきりだ。
騎士階級とはいえ、貴族でもない我が家は裕福ではない。
にもかかわらず、飼育費が莫大にかかる飛竜を一頭飼っているのだ。
何度も売りに出されそうになったが、そのたびに父の形見だからと全力で阻止した。
だが、それにも限界がある。
「女だからって、なぜこの子に乗れないの?」
「竜騎兵は男がなるものだ。」
「私はきっと誰よりも上手に乗れるのに」
「馬鹿を言うな。飛竜だぞ」
厩舎長と、何度も繰り返した問答を始める。
飛竜に乗り、戦場を駆ければ多額の報奨金が手に入る。
十五歳になった私も、男であれば出征できる年齢だ。
現存数の少ない飛竜をとばせば、それだけで相手の戦意をくじくこともできる。
アルベルタが十五歳になるまで、あと十年もかかる。
飛竜は長命で問題ないが、それまで手元に置いておくことができるとは思えなかった。
「せめて、わたしが家長であれば……」
「それを言うな、マチルダ」
鋭く制されて、私は口をつぐんだ。
女が戦場に出る例は、少ないがあるのだ。
家督を継ぐ男子がいない時、勇敢な女が戦場に赴く。
何度夢見たことか。
そう、アルベルタがいなければ問題は解決するのだ。
「アルベルタを、今のうちから鍛えましょう」
「なんだと?」
「将来のために飛竜に乗れるように、今から馴らすのよ」
「まだ五歳だぞ」
「私が初めて父と乗った時、五歳だったもの」
絶句する厩舎長を尻目に、私はにんまりと笑った。
その機会は思っていたよりも、早くに訪れた。
一か月ほど、仲良くなるために良い姉を演じたのだ。
驚いたことに、義母までが私に心を許した。
後妻であり、長男を生んだことに罪の意識でもあったのだろうか?
アルベルタを飛竜に馴らすために、厩舎に行くことを簡単に許した。
「やめとけマチルダ」
アルベルタにゴーグルをつける私に、厩舎長が止めに入る。
それを振り払うと、アルベルタにやさしく声をかけた。
「アルベルタがいると、お姉ちゃんも飛竜に乗れるのよ」
「そーなの?」
「あなたはだって、男だもの」
冷たい言い方になってしまったのを隠すように、アルベルタの頭をなでる。
まるで、あの時の父と私のようだ。
アルベルタのつける子供用ゴーグルは、私のために父が作ったくれた物。
思いを振り払うように頭をふる私を、飛竜が見つめていた。
久しぶりの大空だった。
重苦しい雲が空の明度を下げるが、飛竜も従順で快適だった。
雲の多い日は空を飛ぶな、父の言葉だ。
思いもよらない事故がおこるからと。
父と最後に飛んだのは五年前。
私にも、飛竜にとっても久しぶりの空だ。
そして灰色の重い雲。
なにがあってもおかしくない。
空を駆ける。
一直線に上空を目指し、駆けあがる。
そして、急降下をする。
三度繰り返した。
「ごめんね、アルベルタ」
小さな声で謝罪をした後、上空を見上げた。
「もういっかい!」
アルベルタは叫び、笑い、私に背中をあずけてきた。
あの時のわたしのように。
きっと私のうるさいほどの鼓動を感じれるだろう。
指示もしていないのに、飛竜が上昇する。
私よりもアルベルタの言うことを聞くなんて。
きっと、立派な竜騎兵になるだろう。
父のような。
あの時のように風が暴力的に吹き付けてくる。
私がいないとアルベルタはかんたんに吹き飛ばされてしまうだろう。
わたしは、ぎゅっとアルベルタを抱きしめた。
父のように。