3 異世界迷子の日常
「この世界の説明は以上だけど、何か質問はありますか?昨日レオンから聞いたことも踏まえて、もし何か疑問があれば言ってください」
ライドさんを拾った翌日、私はマンションのエントランスにある雑談スペースでライドさんにこっちの世界の説明をしていた。ライドさんは真剣な眼差しで私を見て、首をふる。
「いや、とりあえず一通りのことはわかった。最低限、守らなければいけないことも理解した。果たしてきちんとできるかどうか不安だが……」
「最初はみんなそうだから大丈夫。慌てず、少しずつ慣れて行ってくれればいいですよ。あ、このマンションの住人については、昨日会ったレオンとミリアちゃん以外にもいるので、追々紹介しますね」
私の言葉にライドさんは小さく頷いてから、きょろきょろと辺りを見渡した。なんだろう?
「そういえば、今日はあの男はいないのか?朝起きたらもうすでに姿がなかったが」
「ああ、レオンのことですか?レオンならバイトに行ってます」
「ばいと?」
「こっちの世界で生活するために必要なお金を稼ぎに行った、と言えばわかりやすいですかね。こちらの世界でもお金は必要になるので、みなさんには最低限お金を稼いでもらっています」
このマンションで暮らす異世界迷子の人たちからは正規の家賃は取っていない。それでも、こちらの世界に馴染むために短時間でも働いてもらっている。働き口は、祖父母の知り合いの店や会社だったり、祖父母自身が経営している店だったり様々だ。
「なるほどな……」
「あ、ライドさんは来たばかりですし、当分はこのマンションの清掃とかをしてもらえたらと思います」
元居た世界ではきっと騎士でバリバリ戦っていただろう人に、清掃とか頼むのはちょっと気がひけるんだけど……。
「ああ、俺にできることがあればなんでも言ってくれ。ここで住まわせてもらう以上、やれることはなんでもやるつもりだ」
わあ、めっちゃやる気になってる!きっと根が真面目なんだろうな、とてもいい人で良かった。これならきっとここの住人たちともすぐに馴染めそう。つい頬が緩んでニコニコしながらライドさんを見ていると、ライドさんは少し考え込むような仕草をして私をジッと見つめている。
「どうかしましたか?」
「ああ、いや……その、ノゾミとあの、レオンという男は恋仲なのか?」
「んんっ!?えっ??」
ライドさん、急に何を言い出すんですか!?驚いて言葉に詰まっていると、ライドさんはそんな私を置いていくように言葉を続ける。
「いや、二人の仲がこう……とても親密そうに思えたんだ。何か他の人間には入り込めないような空気感と言うか、雰囲気というか」
「えっ、本当ですか!?そんなはずは……。いや、私たちは何もないですよ?ただ単に私が異世界人を拾った第一号がレオンだっただけで、付き合いが長いだけなんです。本当にそれだけですよ」
「そう、なのか」
あれ?ライドさんなんだか嬉しそう?ってそんなわけない!そもそも嬉しそうにする意味がないもの。気のせいだよね、ついうっかり勘違いするところだった。危ない危ない。
「それに、異世界人との恋愛はしないって決めてるんです。今まで異世界に帰った人は残念ながらまだいないですけど、それでも万が一帰れることになったら、離れ離れになってしまうでしょう?お互いにその時がきたら辛いと思うから、異世界人と恋愛はしないです」
私がきっぱりとそう言うと、ライドさんは今度はなぜか少し寂しそうな顔をしている。なんだろう、今日はよく表情がかわるな、なんて思っていたら、今度は急に何かを警戒するような顔になった。
なんなら空気がピリついて、その場の温度が何度か下がったかのように冷えている気がするんだけど、なんでだろう?
「あの、ライドさん、どうかしました?」
「……魔族の気配がする、ノゾミ、俺の側を離れるな」
えっ、なんですかその台詞!まるでアニメか小説みたいな台詞でかっこいい!思わずドキッとしてしまったけど、それよりも魔族の気配?もしかして……。
「おい、ノゾミ。何か食うものはないか」
のしっと私の頭部に何かが乗っている感覚があって、頭上から声がした。
「貴様!どこから現れた!ノゾミから離れろ!」
ガタッ!とライドさんが慌てて立ち上がる。
「ああ?貴様はなんだ?それに、誰に向かってそんな命令をしている?口を慎め」
頭上からドスの効いた低い声が響き渡る。その声を聞いた瞬間、ライドさんは目を大きく見開いて絶句した。ああ、すごくめんどうなことになっちゃった気がする。
「ラース、邪魔だから頭の上から避けてくれないかな?それに、この人はこのマンションに来た新人さんだからそんなに威嚇しないでほしい」
私がそう言うと、頭の上から重みが消えて人の動く気配がする。そして私の隣の席にドサッと座った。肩まで伸びた少し長めの黒髪に金色の瞳、目鼻がシュッとして整った顔立ちのこれまた見目麗しい男、ラースだ。
「ノゾミ、その男が怖くはないのか!?そいつから、魔族……しかも魔王レベルの魔力が感じられる」
「ははっ、当然だ。俺は魔王だからな」
ククク、と喉の奥で笑いながらラースはなぜか私の肩に自分の腕を回す。この人、じゃなかった魔王、いつもなんだか距離感おかしいんだよなぁ。
「この魔王、ラースって言うんですけど、異世界から来た迷子でここに住んでるんです」
「はっ!?魔王まで拾っているのか!?」
ライドさんが目を丸くして驚いていると、ラースはつまらなそうにため息をついた。
「こいつは新人か。ふん、まあ無礼なのは新人ということに免じてゆるしてやってもいい。そんなことよりノゾミ、腹が減った。なにか食わせろ。食うものがないならお前を食う」
そう言って、ラースは私の耳にがぶりと噛みついた。噛みついた、といっても甘噛みだから痛くはないのだけど、どうしてこうラースはいつもこうなんだろうなぁ。最初はびっくりしたけれど、今ではお決まりになっていて驚きも無くなってもはや呆れてしまうレベルだ。
はあ、と小さくため息をつくと、ライドさんが唖然として私とラースを見つめていた。