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「いやー、暑いねぇ」
道ですれ違う人の話し声が聞こえる。夏。セミの鳴く声が頭に響くほどにうるさい。スマホには7月28日と書いてあった。この日だ。颯が交通事故にあったのは。
ここは事故の起こった場所。もうすぐ颯がやって来るはずだ。颯を追いかけた形にするため、私の家の近くで待ち伏せをした。
「なんなんだ、真澄のやつ。僕じゃないって言ってるのに!」
私と喧嘩して怒った颯が、家から出てきた。私は颯を久しぶりに見たことで、泣きそうになって身体が動かない。
だめっ。動いて。早くしないと颯が⋯。
何とか気持ちを持ち直して、颯に駆け寄った。
「颯! ごめん、私の勘違いだったみたい。お兄ちゃんがこっそり私のお菓子を食べてたの」
「·····えっと、真澄。なんで泣いてるの」
颯が困惑した顔でそう言う。
「えっ?」
私は自分が泣いていることにさえも気付かなかった。颯が今ここにいる。それがどれだけ嬉しいことか。
「ゔぇーん。良かったよぉぉ。颯。颯!」
私は泣き崩れた。服が汚れるのなんて気にせず、膝を地面に着け、颯に抱き着く。
「どうしたのさ、真澄。僕こそあんなことで怒っちゃってごめんね」
颯は私の頭を優しく撫でる。
「うん!」
私は、泣きじゃくった声でそう答えた。
ドーーーン!!!
二人だけの時間を壊すように、大きな音が鳴った。
車が車道を外れて歩道に突っ込んだのだ。原因は飲酒運転。私は目の前にいる颯の存在を何度も確かめる。
生きている。良かった。
「真澄! 何か事故があったみたい。行ってみよ!」
この角を曲がったところなので、颯はそう言うと行ってしまった。
私の身体が徐々に薄くなっていく。もう時間だ。未来でまた颯に会えるんだ。とにかく、それだけが嬉しかった。
「颯。また未来で会おうね」
──何も変わっていなかった。
未来で颯はまた死んでいるのだ。
「なんで! 私はあの時ちゃんと助けたのに! どうして。どうして…」
おかしい。この目で颯が生きているのを確かに見た。
「運命はなかなか変えるのが難しいんですよ」
スーツの男はそう言った。
「どういうこと?」
「運命とは、言わば決められたゴールのようなものなのです。例えば、家から学校に行くとして、電車で行ったとしても、バスで行ったとしても、歩いて行ったとしても、結局は学校へ着くのです。
手段を変えたところで、"死ぬ"という運命からそう簡単には逃れられない、というわけです」
「なんだよそれ。私は颯を助けられないってこと?」
「いいえ、運命を変えられないとは言っていません。颯様に運命的な出来事を与えれば良いのです」
「運命的な出来事?」
「はい。それを見付けられるかは真澄さん次第ですよ」
そういうわけで、私は颯を助けるために色々と調べた。
今回の颯の死亡理由は、電車での人身事故だった。
近くにいた証言者によると、何者かに押された可能性が高いらしく、他殺として捜査されていたが、結局何の手がかりも掴めずに、お蔵入りとなったらしい。
颯。今度こそ助けに行くからね。
時計に付いたボタンを押した。
場所は渋谷駅。颯はここで電車に轢かれて死んだ。
電車が来るまであと五分しかなかった。颯を探さなければならない。どこにいるのか。私は颯を必死に探した。今ここで見付けなければ、颯はまた死んでしまう。
ーーいた。
人混みの中に姿がちょっと見えた。私は早く颯の元へ行きたいのに、人が多すぎてなかなか進まない。
──早く!
私が颯に近付けたのは、電車が来る直前だった。
颯の身体が線路の方へ傾いていく、すんでのところで、私は手を掴んで引っ張りあげた。
目の前を通る電車の風は、颯の髪の毛を勢いよくなびかせる。
「颯! 大丈夫!?」
「真澄!? どうしたのこんなところで」
「どうしたの、じゃないよ。颯。危なかったじゃん」
今度こそ確かに助けた。スーツ男の言う、"運命的な出来事"のため、私は颯をベンチに座らせた。
「颯、あのね。私、颯のことがずっと好きだったの」
颯が驚いたような顔で私を見る。
「実は僕も真澄のこと、好きだったよ。ずっと前から」
私たちは笑い合った。そして付き合う約束をした。二度と颯を死なせないために、ちゃんと私はやってみせた。そろそろ次の電車が来る。私は颯を見送ったあと、未来へ戻った。
今度こそ颯と会える。
そう思っていたのに、なぜ。
「私は颯に告白した! 付き合う約束もしたのに! あれは"運命的な出来事"じゃなかったって言うの!?」
未来でも颯は死んだままだった。
そして今回の死因は首吊り自殺。
何かがおかしい。なぜ颯は自殺なんかしたんだ。
「気付いているんでしょう? 真澄さん」
スーツの男がどこからともなく現れた。
「気付いているって何に?」
「とぼけないでください。颯様が、あの電車での事故の時、自殺を図っていたことにですよ」
そうだ。颯はあの時、自分から身体を投げ出しているように感じた。
それに、颯は、助けられたことに対して、"ありがとう"とは言わなかった。そう。自分が死ぬ寸前だったことに気付かないフリをしたのだ。
私は、心のどこかでそれを分かっていながらも、そんなはずはない、と勝手に否定していた。
でもなぜ? 颯が自殺する理由はどこにある?
私は、スーツの男が言っていた言葉を思い出した。
『人間の皆様が自殺する理由の大半は、過去の出来事が原因なのです』
そうだ。過去だ。颯の過去に何かがあったに違いない。
私は颯が過去に何をしたのか調べることにした。
「な、何も出てこない」
颯の過去にこれといって、自殺するような理由になりそうなものは、一切見当たらなかった。
私は家に帰ると、教科書やノートでいっぱいになった机の上に、知らないノートがあることに気が付いた。
なんだろう、と思って開いてみる。
私は、そのノートに書かれていた内容に目を疑った。